★中野郵便局JP職員と女。ホイットマン。이십사.veinticuatro.

634~659

性的虐待大迫恵美子
659.2009年11/9 ある43才の男性は妻36才、長女8才、次女3才との四人家族である。
 ある日、妻がへんなことをいった。次女がお父さんにおしりの穴に指をつっこまれたといっている、とそういったのである。あなたは性的虐待者だ。
 妻は夫を難詰した。妻は長女も味方につけ、長女は父をにらみつけた。
 彼はそうまでした覚えはとんとなかった。いっしょにお風呂に入っておしりを洗ってあげてきた。肛門も洗った。その拍子に指先が入りこんだこともあったかもしれない。だが、虐待などとは断じて身に覚えがない。いいかがりである。妻はそれを信じて疑わない。かたくなに。
 それというのも妻は長女が生まれてこのかた、鬱病をわずらっている。そのうえ、新築の家を買って引っ越してきたばかりである。
 これまでは妻の病気を勘案し、妻からの暴言を我慢してきた。しかし、今回のは、ことの内容が内容だけに彼は怒った。犯罪者扱いにたいして断固として離婚を切りだした。
 妻は長女と次女を連れて実家へもどっている。今も心療内科に通っている。
 加藤諦三はいった。——鬱病者は自己の見解に固執する。その人は人の理解をもとめるけれども、まわりの人にとってこれほどに理解しにくい病気はない。よくなっても、そこで離婚を切りだせばまた鬱になる。
 相談者は離婚が正しいのか否か、確信がもてない。
 弁護士氏(大迫恵美子)は次のようにいった。
「8才の女の子が母のいうことを真にうけて父に嫌悪を抱くことは年令的に無理です。女の子の表情はむしろ夫婦仲のわるさを反映しているものです。それに、顔色を見ようとするときの父の険しさに反応しているんです。離婚について、法律家としていえることはない。あなたの気持ち次第です。あなたはまだ迷っているとみえます」
 加藤はいった、
「合理的に考えて正しい答えがあるというふうに思わないことです。現時点でいろいろな情報を集め、どれかを選ぶ。選んだことを正しくするように努力するんです」
 鬱病的認識の特徴のひとつは、自分の認識に固執することですと、加藤は結尾としていった。

●冷えた夫婦関係。マドモアゼル・愛。
658.2009年11/6 ある39才の女性は夫42才、長男14才、次男10才、長女8才の五人家族である。
 中三の長男は面談の席において、高校にいきたいのかいきたくないのか表明できなかった。成績は芳しくない。級友たちにいじられている。
 そんなこんなの長男のようすを夫に話した。夫は矢も楯もたまらず長男を呼びつけ、激しく面罵した。
 長男はいう。
「おれの人生だから口だすな」
 夫はちいさい頃に親の仕事の関係で海外に住んでいたことがある。いい大学をでて大きな会社にも入ったと、妻はいう。この人は挫折を知らないと妻は思っていた。ところが夫は仕事をかえた。それにともなって引っ越しもした。抱えこんだストレスもあって長男を罵倒したのだと妻は思った。
 実家の母はこういった。夫婦の問題が長男の心に影を落とし、長男の態度に体現されている、と。
 夫はやさしくはない。かといって冷たくもない。妻はそう思っている。
 出産の日、夫がそばにいることはなく、妻がひとりであれこれやった。
 これをきいてマドモアゼル・愛氏は、やさしくないじゃないですかと切りこんだ。
「あなたはやさしい人を求めているのに社会的地位、お金、権威を無理矢理もとめている」と愛氏。
 結婚前、彼女はいまの夫ではない人とつきあったことがある。その人は大会社に勤めているわけでなし、お金はなかったけれどもやさしかった。彼女は胸の内の襞をひろげてみせることができた。しかし母がお金で苦労したのを見てきたので、その人ではなくいまの夫をえらんだ。
 愛氏は次のようにいった。
「これからの時代、あたまがいいでは生きていけない。だいじなのはやさしさであり、やさしさの中核があってこそ人との関係が築ける。守りから入ると、ことの本質をはずす。
 成績がよかろうが、どこそこの大学をでていようが、家庭のなかでは世界を築けない。家のなかの価値観は外のそれとはちがうからである。
 離婚覚悟で長男を守ろう。長男は個性をもっているのだといおう。そうすれば長男は歩きだす」
今井通子はいった。
「夫を無視しよう。夫に頼ろうとせず、強くなること。
 息子がおかしいとは思わないこと。
 いまの感覚を汲みとってあげよう」 §2020年12/30このブログへ転記。

●握手という儀式。
657.2019年9/9 いじめた側の子といじめられた側の子とが教師の仲介によって仲直りの握手をする。こんなことが学校現場でおこなわれている。その後いじめが解消されるどころか、逆にエスカレートすると、夜10時からのR1NHKジャーナルが報じていた。
 いじめた側に反省をもとめても土台無理なのである。そんな儀式のあと傍観者の子がいじめ側に加わったという事例もあるという。
 仙台市で小2の女児とその母がふたりながら自殺するという痛ましいことがおきた。母は手記を残している。握手の効果などまったくなかったことや、教師や教育委員会に絶望したことが切々とつづられている。(ひとり残された)父は三人で引っ越そうと誘ったけれども、妻は、そんな気力はないと応じていなかった。

中野ブロードウェイの殺伐さ。シルエット。
656.2020年4/22 王将でごはんを食べ、中野通りのセブンイレブンへむかった。バナナや牛乳を買いたかったからである。歩道を歩いていると、ブロードウェイ商店街と連絡する暗がりの細道から男があらわれた。わたしと方向がおなじになりそうだった。男はわたしを見ていたのにちがいない。
 立ちどまり、この男を先にやった。スラックスの両脇ポケットに右手左手をそれぞれ突っこんでいる。33くらい。えらそうな歩きようである。尻ポケットから流行の長財布が三分の一ほどはみでている。先のとがった茶系のビジネスシューズ、上半身のセーターからして、近くにある何かの事務所からでてきたらしい。
 男はわたしの前方を、胸をのけぞらせて歩いていく。セブンイレブンに入った。わたしがつづいて入っていくなら、この男に見られ、何かされそうに思えた。例によって口を鳴らされるかもしれない。
 入るのをやめた。ブロードウェイのなかにもセブンイレブンがある。そちらへいくことにした。
 連絡する細道からでて同商店街を歩く。いけどもいけどもセブンイレブンがない。方角をまちがえたと、だんだんわかってきた。それで踵をかえした。

 ごほっ。
 口中音がした。右手のほうを見ると、さっきの両手スラックスポケット突っこみ長財布男がいるではないか。さっきのときとおなじおもむきで、中野通りの灯りを背景に暗がりにシルエットとなってうかびあがっている。連絡する細道をとおって、ブロードウェイ側にこようとしている。どんな人が歩いているかと眺めて、ふたたびわたしを見かけ、無反応でいられなかったというわけである。精神性を軸に生きていない。経済の、弱肉強食の論理のもとにだけあるということを如実に、あからさまにみせた。もっとも当人はまったくそんなことは悟っていないにちがいない。またこんな男がいた。

セブンイレブン高円寺駅東店の男。丸山健二
655.2019年9/16 夜、男26?がいた。人のことを気にしながら商品棚を眺めるばかりで、先にレジにいく気はないとみえた。わたしが目をむけると、こちらを盗み見ていたことがよくわかる目遣いをしていた。こういう男が無住の境地を焦がれることはないにちがいない。丸山健二の書いた、おのれのことを世に満つ汚濁のひとつと見なすというようなこともないにちがいない。
●女が坂をおりてくる。ヴェイユ
655.その2 2020年3/26 女26くらいが坂をおりてきている。わたしとすれちがう直前、ごほっと口を鳴らした。うゃっあー。ふりむきつつ叫んでやった。
 ヴェイユはいう。——人間の悲惨は、富める者や権力ある者には知ることがむずかしい。なぜなら、そういう者は、自分が重要な存在であると、まずはどうしても信じないではいられない傾きがあるからである。(『重力と恩寵』)

 

●女が肘をひく。ファミマ杉並阿佐谷南口店。
654.2020年4/15 きのう阿佐ヶ谷のファミマに入ろうとしていた。釣り堀のそばの店だ。ドアガラスのむこうに人影がみえた。でてくる人がいる。だから、まだ外にいて待って、この人を先にいかせようとした。女46?がでてきた。わたしのいるほうへきた。まったく避けることなくわたしとすれちがう。肘をさっとひいて厭悪感をみせた。またこんな女がいた。こんどこんな場面が出来したらわたしはもっともっと店先から離れたところにいよう。

ブックオフ石神井店の店員。アウシュヴィッツ収容所。山口二郎
653.2020年10/7 上石神井ブックオフへ入った。プールへ正時にいこうと思っており時間が浮いていたからである。ほかに客はいなかった。岡本かの子『老妓抄』(新潮文庫)があれば買うつもりだった。なかった。
 電話をしている声がした。店員の声だ。男が通路を曲がりこんできた。
 うううっ。
 男は口を鳴らした。わたしを排撃するためだ。黒い服を着ており、店員32?である。電話をしつつわたしを見て、ちかくの棚の前にしゃがみこんだ。
 さきごろ政治学者の山口二郎の文章に触れることができた。山口は『政治のしくみがわかる本』のなかで「悪者のイメージを安易に膨らませ、これをバッシングすることで自分の正しさを確認するという行動」と書いている。この日のブックオフ店員はその体現者にほかならない。山口が書いたように、みずから思考することなくステレオタイプを信奉する人である。眼鏡をかけて人を見て、わきあがる感情にひきずられる。山口の論及するアウシュヴィッツの空気に、息苦しさを覚えないのにちがいない。

●夜のコンビニの女。ファミマ高円寺駅東店。
652.2020年10/6 レジの順番待ちにつく。レジはひとつしかあいていない。女23?がレジ清算をはじめた。わたしはこの女に初めから警戒していた。ふりむいてわたしを見るのではないかということだ。予想はあたった。女はわたしが順番待ちのところにいるとわかると、首をまわし見にかかった。わたしは出入口のほうへ体をむけた。女がわたしを見つづけるので、とうとう女に背をむけた。さいわいなことに列はできていず、ほかに客はいない。
 何となく首をまわす。レジについている女を見てやると、女はレジに右肩をむけるほどに体を横にし、わたしを見ることに余念がないといったさまである。こんな女をうかがうのをやめた。背をむけ、顔は後方にむけた。
 女は何を買っているのかなかなかおわらない。ようやくおわると察し、体をレジ側へむけた。いやに高級そうな大ぶりのハンドバッグをもっている。まともな勤め帰りにはみえない。風俗嬢にみえた。
 みずからの力で昼となく夜となく心内に何かをうちたてようとしていない。それで目にする他人に心的暴慢のかぎりをつくす。これをやってのけたのが上述の女である。タワーマンションのエレベーター内で宅配業者の男の、キッチンオリジンでとなりのレジについた男や女のみせる行動様態にそっくりである。

●雨の土曜日。やよい軒。ローソン。杉並学院
651.2020年4/18 低気圧により雨がふっていた。高円寺のやよい軒を外から見ると、けっこうすいていたのでごはんを食べていくことにした。壁をむいた三人がけの席のひとつにすわる。このコロナの御時世なのでまんなかの席は使用できないと表示されている。やってきた店員男性に食券をわたした。21くらい。大学生ふう。わたしが買った幾枚かの券をあらためるにあたってこの男は、わたしにまっすぐに体をむけている。念を押すときにはわたしの顔を見ていた。自分というもののない精神愚劣な男にしかみえなかった。
 阿佐ヶ谷パールセンターにローソンがある。そこでロッピをつかう。雑誌のところにいる女52?はわたしへと体をむけ、こちらを見つづけていた。わたしが背中で防御すると女はそこからいなくなった。すこしして女はもっとちかいところにあらわれた。棚のものを見ているふりをしつつ目の端でわたしを見ていた。そのふるまいのおもむきからして高卒女にしかみえなかった。
 牛乳のあるほうへいく。女26?がいた。この女はわたしに気づくと、通路にたちはだかるように立った。体をわたしにむけ、顔だけは牛乳の横のほう、日持ちのする食品袋へとむけている。気格というものを欠く女とはこういう女のことを指す。わたしがレジ清算をしているあいだにもなおそこにとどまりつづけていた。ビア樽に棒きれを二本つけたような体型である。黒いスパッツのようなものをはいていた。
 杉並学院の脇、阿佐ヶ谷寄りの道において、人がいるのでやむなくガードレールの内側を歩いた。内側はふだんめったに歩かない。JR高架下のほうから男がむかってきた。24くらい。スマホに目をおとしているけれどもわたしのことを見ていたのにちがいない。ガードレールの外側のひろいほうへはいかない。わたしへとむかってきた。ぶつくさいってやると、きこえたものとみえ、すれちがったあとこの男はふりかえってわたしを見ていた。手にはスマホである。下はジャージ、上は長そでシャツ一枚。ちかくの家かマンション、アパートからでてきたばかりといった風情である。
 走りだした。からまれてはかなわない。杉並学院の北側正面をこえたところで後方を見ると、男がわたしを見ながらこちらへ歩いてきている。またこんな男がいた。しつこさを信条としている。内面世界は茫漠とした痩せ地にすぎないのである。

●土曜の高円寺。村田沙耶香
650.2020年10/3 高円寺へ。JR沿いから離れた裏道をいく。むかしからの道であるのだろう。杉四小をこえてしばらくいったときだ。
 はあーっ。
 ため息がきこえた。聞こえよがしのものだ。右をみると男24?が建物の階段からおりてきている。わたしが歩いてきているのを見て、平静でいられなかったのである。またこんな男がいた。
 セブンイレブン高円寺純情商店街店において女45?が通路に立ちどまっていた。絶対にわたしの前を通らないときめているとみえる。わたしに見られると思ってのことだ。体をこちらにむけ、顔は九十度そむけている。
 この女は、わたしがレジへの通路に立とうというときすでにそこへいけるところにいた。いけるのにいかずわたしを見ていた。待ち構えていた。人を先にいかせ、うしろから人を見る魂胆がありありとしていた。わたしを見とがめてからずっと、こちらがどこにいるのかをうかがいつづけていたのにちがいない。
 反転した。奥の通路へもどった。ややあってレジ三つへの通路へいった。その女はようやく順番待ちをしている。わたしはこの女のあとになった。高卒女。
 レジで男23?が長財布をつかっていた。男は順番待ち先頭のわたしへ顔をむけた。見られていると思ったのだろう。そう思うならこっちに背中をむけてレジ清算をしろといいたかった。長財布はポケットにおさまらない。そんなものをよくもまあつかうよな。PCですむのにスマホなんてよくもまあ持ち歩くよな。
 村田沙耶香へ。こんなコンビニが大好きか。

●キッチンオリジン阿佐ヶ谷パールセンター店。
649.2020年4/10 男23?はわたしがいるとわかったうえで、店内で立ちどまった。スマホをやりだした。わたしのようす、動きを見るためである。幽趣の一毫もない所為だ。わたしが豚汁をすくっていると、ななめうしろでわたしに体をむけていた。豚汁の横の台にこの男がほしいものはひとつもないとみえた。
 その男が何か買ってでていく。壁に体をむけているわたしへと目をむけていた。
 阿佐ヶ谷駅方面へ。男48?非職中とみえる男が、道に立っている。男はわたしになかば体をむけ、歩いていくわたしの運動靴を見ていた。人の上っつらだけを気にしていたということだ。
 高円寺通りにセブンイレブンがある。そこへいくとき、裏道をとった。遠くにスーツを着た男23?がいた。同僚とふたりでいるようだ。いったい何をしているのか。男はわたしに気づくや、体をはすにした。わたしが来ているのを見逃すまいとしていた。わたしはこういう所為を嫌厭し、きた道をもどっていく。ふりかえると、当の男はわたしに体をむけつづけ、こちらのようすを見ていた。またこんな男がいた。
 高円寺通りからこの男のいた方面を見てやった。男はまだそこにいた。
 目当てのセブンイレブンに入った。あとひとつ何か腹に入るものを買おうと思っているとき、男22?が入ってきた。スマホを手にし、それを見ている。この男は何もさがそうとしていない。わたしがどこにいるのか、どのようにしているのかを気にかけ、みずからのことはままならないといったようすである。男はすこしずつ場所をかえた。とうとう、アイスクリーム類の冷蔵ボックスをあいだにわたしへと体をむけて立ちどまった。スマホに目をおとしているのは単なる見せかけである。わたしがレジ清算に入るまでは購買行動をとる気はまったくないとみえた。またこんな男がいた。

●中野郵便局JP職員と女。ホイットマン
648.2020年11/27 中野駅の南口方面にある郵便局に入った。ごほごほっ。テーブルで何かやっている女40?がそうやった。透明ガラスに映りこむわたしに反応したのである。
——こちらで呼んでいるんですけど。
 郵便局員がわたしにいった。ぞんざいな上から目線である。◇◇◇番はたしかにそっちのほうだった。
 このあとふりむくと、三メートルくらいうしろに女43?がおり、わたしをじーっと見ていた。ただし、ただちに顔をそむけていた。わたしはてのひらで、ぱあとやってやった。
 その女は紺色の毛織物ふうコートを着ていた。いいオーバーコートだね。それ脱いだら、どんな中味?心の中味ってことだ。そういってやりたかった。
 ウォルト・ホイットマン『草の葉』に「軍艦鳥に寄す」と題された詩文がある。

 薄暮にはセネガルを、晨[あした]にはアメリカを瞰下し、
 稲妻と雷雲のただなかに、喜び戯れる、
 それらのうちに、おまえの体験のなかに、お前は私の霊魂をかい抱いていたのだ、
 ああ、はてしない歓喜!極まりなき歓喜こそお前のものであった。

 如上の男も女もホイットマンを知らないにちがいない。凡俗のひとだ。

●いやがらせという所業。路上生活者殺人。
647.2020年11/22 鍵をしめて歩きだす。カラーン。となりの家の男30?がわざと何かをどこかにぶつけた。その音を人にきかせた。
 過日ごほっとやってのけた男である。いちいちからんでくる。土日の午前、しょっちゅうベランダにでてくる。営利目的以外の何もしていないからだ。
 その家を買うのにいったい何年のローンを組んでいるのだろう。その妻ときたら、敷地の縁にたちどまってじーっとわたしをうかがうのが常だ。
 夫も妻も、おそらく将来のその子供も、だれかがどこかで書いたけれど形而下の猥雑な現象の確たる担い手である。洒々落々の心もちからは億万キロ離れている。高卒か。
 甲州街道幡ヶ谷のバス停で46才の男が午前三時?ベンチで寝ている路上生活の老女64才を殺害した。レジ袋に石をつめて、それで殴殺した。この男と隣家の男とは根基のところで同気なのである。ナーガールジュナの空の思想を知らないにちがいない。

ペッパーランチのにんじん。
646.2020年8/20 ペッパーランチ大久保店に入った。男性三人組がいた。二十代前半の仲間のようである。仕事のか、遊びのか。全員ラフなふだん着である。べちゃくちゃしゃべりながら食べていた。
 そのうちのひとりが女性店員に、にんじんのおかわりできますかと訊いた。いささか無謀な要求である。
 女性店員は調理の男性と相談したうえ、できないんです、とこたえた。まっとうである。
 わたしはカウンターの隅でハンバーグを食べつづけた。量を頼める店なので、いつも幸福感を味わえる。にんじんのおかわりなんて考えたこともない。
「よろしかったらどうぞ」
 その調理の男性がにんじんのおかわりくんに、当のものをもっていったのである。
「おおーっ」
 男の声がきこえた。いってみるものだ。
 調理氏は、いったんはことわっておきながら、客の食欲、気もちをおもんぱかった。いきなはからいである。拍手。

●男がスマホで通話する。グレーヴィチ。中島みゆき
645.2020年8/1 セブンイレブン阿佐ヶ谷駅南口店。女46?は総菜売場の前でスマホをかけだした。買う気もなくそこにいる。どかない。買うようなそぶりでそこにいる。買おうとする客にじゃまだとわからないとみえた。
 男28?は昼休憩に昼食をもとめにきているようだ。うううっ。わたしを見て、わたしを気にし、そんなふうに口を鳴らした。じゃまだ、どけ。その目つきがそう語っている。土曜日にも仕事ということは、ほどちかいところにあるソフトバンクの店員か。ごくろうなこった。
 路地から比較的幅のある道へでた。車二台がすれちがえる。だがこの道は幅があるわりには車は通らない。環七から入ってきたとして道がひどくせまくなり、まっすぐにはすすめないからである。
 男30?がきていた。この男はスマホを手にしながらも、路地からあらわれたわたしを見ていた。目にみえるものだけに反応する。道の反対側から、もう一人男26?がきている。この男もわたしを見ている。
 うしろから車がきていないのをたしかめ、ふたりの男のあいだをいく。スマホ男のほうが、ううっと口を鳴らした。またこんな男がいた。腕に紺色の入れ墨があるのがみえた。もうひとりの男がわたしのうしろで立ちどまったとわかったのは、すれちがったあと、前方からきていた女24が、わたしのほうに寄ったからである。この男を避けるためである。
 この男がわたしのあとを追ってきた。わたしが三叉路を右にとると、この男もそうした。わたしに体をむけてスマホをかけだした。
 おつかれさまです、とかいっている。きょうは土曜だ。派遣社員か。わたしを目で追いながらの通話である。環七のほうへ歩いていたのにそうしない。この男もまた目にみえる人に反応したというわけだ。高卒男。「神の前に責任を負い、形而上学的な、破壊し得ない中核——魂——を有する人格的個性」(アーロン・グレーヴィチ『中世文化のカテゴリー』)とはまったくちがう。
「人間は発達するのではなくて、一つの年齢から次の別の年齢へ移行するのである。それは質的な前進をもたらすところの、順を追って整えられる進化ではなくて、内的に関連のない状態の逐次的連続性である。」(前掲書)
 きょう目にした男や女は、ヨーロッパ中世の歴史家の目からみたその人間像と軌を一にしていよう。
 中島みゆきは「進化樹」でこう歌う。
 誰か教えて 僕たちは今ほんとうに進化をしただろうか。
 この進化樹の最初の粒と 僕はたじろがずに向きあえるのか。

中野駅ホーム。
644.2020年10/23 中央線各停三鷹行きからおりた。中野である。その瞬間、ごほごほっと口中音がとんできた。おりたわたしをずけずけ見た男がわたしに反応し、攻撃したというわけである。またこんな男がいた。高卒にして知的活動をまったくしていない。これをいちいち公言しているにひとしかった。社会の夾雑物、ゴミである。

●女が体をむける。
643.2020年10/25 めずらしく中央線快速に乗っていた。優先席のドア寄りにすわっていた。先頭車両である。すいていた。四ツ谷から新宿への走行中、女がわたしの左前方にきて、体をわたしにまっすぐにむけて立った。あほう。手にはスマホである。この女25?は元は長椅子のまんなかあたりにすわっていた。どうしてだかわたしに狙いをつけたのである。標的を定めると、車内での立場が決まる。わたしを見知っているのか。心的世界は貧困だ。

 小冊子をかざし、この女を視界から消した。ざまあみろ。
 新宿に着いた。この女は動かない。わたしはすばやくおりた。車両をかえた。

●となりの男のごほっ。ル・ロワ・ラデュリ。からあげの天才。
642.2020年10/24 ごほっ。となりの家の男が口を鳴らした。水道の音がきこえるというわけだ。かかわる必要もないのにかかわってくるのは、心的世界がないからである。高卒か。日に何度も、よくもまあベランダにでていることよ。そのむこうどなりの家の住人にとってもうるさいにちがいない。
 ル・ロワ・ラデュリは『モンタイユー』のなかでこう書いた。

 この男[レモン・ド・レール]は正統キリスト教から見れば逸脱者だが、彼の場合には極端に逸脱しているためかえって明瞭に、道徳の前提をなす社会的「複合観念」を見て取れるのである。この「複合観念」は、依然として宗教の規範に忠実なサバルテス住民にも存在する。ただ、この種の大勢順応主義者の場合、「複合観念」は隠然たる規定力をもってはいても、暗々裡のまま表面化せず、展開不十分なだけである。だからこそレモン・ド・レールの供述が興味深いので、他の人物や群衆にあっては単なる「慣習[ハビトゥス]」にとどまっているものがこのユニークな証人の場合には見事に「性格[エートス]」となっているのだ。

 さきのごほっ男は観念の領域において、まったく貧困なのである。どこをどうめくりとってみても経済観念の腐った鱗だけが見つかるにちがいない。この先、徳化されることもないのではないか。ごほっ。これは心的貧しさの表徴である。
 夜のとば口、外にでた。生じさせられた鬱塊をどうにかしたかった。高円寺北口にある“からあげの天才”で何か買って帰ることにした。この店のことはニッポン放送渡辺美樹テリー伊藤が番組をやっているので知っている。ワタミと丸武のコラボである。
 コロナでワタミは居酒屋から焼き肉店へ大胆にかわる。“からあげの天才”を経営の柱のひとつにしようとしている。千店までひろげるらしい。ケンタッキーフライドチキンなみの店舗数になるという。
 客はわたしひとりだけだったのが、注文をおえたときうしろに三人いた。レモネードをカップのまま手渡された。それでは歩いて帰れない。袋にいれてほしいと頼んだ。女子高生ふうの店員バイトちゃんが、こぼれないように袋に入れようとしている。手間どっていた。ういういしい。マック店員ほどの手早さはなかった。
 買ったからあげでおいしいと思ったのは、これが初めてのことだ。テリー伊藤の兄の店、丸武の卵焼きも、うわさにたがわずおいしかった。卵焼きってこんなにうまかったか。レモネードもいい。むかしテニスの試合のあと飲んだものと似た味がした。それは女子部員がつくってきたものだった。ごはんはふつう。菊芋ポテサラも買ったから税込合計858円であった。

●阿佐ヶ谷すずらん通り商店街。チェスワフ・ミウォシュ。
641.2020年6/6 とある店先で総菜を買おうとしているとき、女72?が右手のほうからきて立ちどまった。体をわたしにむけて、冷蔵の棚の扉をあけようとした。わたしはただちにはすになり、こんな女からのまともな圧力を避けた。またこんな女がいた。
 女はわたしの左手のほうへまわった。わたしはあたりを見た。右ななめうしろのほうに女28?が立ちどまっている。体をぴたりとわたしにむけ、スマホカモフラージュである。またこんな女がいた。人を見つづけているというわけだ。わたしに気づかれてもやりつづけている。心理を読まれていることに気づかないのだろう。
 レジ袋に総菜パックがいくつか入っている。それを手に阿佐ヶ谷駅方面へともどっていく。ふりかえり、ふりかえり、その女を見てやった。スマホ目八分をやりつづけている。体を、歩き去っていくわたしにむけている。ちらちら、ねちねち、わたしを見ているのである。ある程度間隔が生まれたとき、女はわたしの後方を歩きだした。
 前にこんなこともあった。外階段をおりていくわたしを、垣根の手入れをしている女が背中を見せつつも顔を横にむけ、こちらをうかがっていた。背中を見せているのには理由がある。ドアに鍵をかけた音に反応し、人がでてくるとわかったからである。結局この女53くらいは庭へ入りこんだ。わたしに体をむけわたしを見つつ、庭と細道を隔てる柵をしめた。わざわざこんなことをする前に挨拶のひとつでもすればよいものをと思わないではいられなかった。
 こんなこともあった。早稲田から東西線に乗ったときだ。コロナ緊急事態宣言がとけていたから、わりかし人が乗っていた。気楽にいられるところなどない。ドアとドアのあいだに立った。すると前方左のドア脇にいる男24?がスマホを手にしていながら体をわたしにむけた。わたしは小冊子を盾にした。今度は前方右のドア脇を陣取る男23?が体をわたしにむけた。露骨さに辟易するばかりであった。
 どちらの男もサラリーマン、勤め帰りにみえた。精神的に満たされているとはみえなかった。
 ノーベル賞詩人のチェスワフ・ミウォシュは『囚われの魂』のなかでこういう。

 調子のよい文句をしゃべるよりは、溢れる感情で吃ることがときにはよいこともある。しゃべりすぎるかもしれないようなときに、われわれを押しとどめる内なる声は賢明なのだ。

 これに照らしていうなら、行為をおもてにださないほうがいいときもあるということだ。上述の女も男もだれひとり、行為を抑制する内なる声をもたない。単層のひと。心内に重層性はない。自己を凜乎たるものにあらしめる垂直軸も水平軸もない。
 ラジオから二十代くらいの男の歌い手の声が流れてきた。メロディーラインは心地よい。情感たっぷりの歌いっぷりである。
 ね、どこへいくの。やだよ。好きだよ。・・・すてきな人よ。どうかぼくの手にふれていてほしい。あの頃のまま――
 またこんな歌詞だ。他局へきりかえた。

ポッキーの日、男がひなたぼっこをする。
640.2020年11/11 きょうはポッキーの日だと、森永卓郎が小ネタを披露した。ニッポン放送でのことだ。
 中野駅へと歩いていた。三叉路の角に男がすわっているのがみえた。63くらいである。尻をおろして体育ずわりのような姿形である。たばこをすっている。このあたりの賃貸に暮らしているのか。
 そんな男を黙過していく。三叉路を右へ曲がりこんだその瞬間、ううっと男が口を鳴らした。通りがかる人を見ていることしかできない。自他の自由を自由とうけとめることができず、口を鳴らす。沙汰のかぎりだ。
 中野駅ホームにおいて、男40くらいはベンチにすわっていたというのにわたしのあとを、すかさずというようについてきた。わたしは前へいくのをやめた。あともどりした。
 ううっ。
 男はまるで置土産のように口を鳴らし、歩き去っていった。

●環七の陸橋。高円寺純情商店街。ル・ロワ・ラデュリ。

639.2020年11/15 デイリーストアを通り越した。青信号で横断歩道を渡る。その先に環七にかかる陸橋がある。そこをあがっていく。あがりきって左をとるとき、前方から男62?があがってきているのがみえた。わたしはこの男にかまうことなく、先へと歩いた。眼下は環七である。左をとって階段をおりようというまさにそのとき、ごほっと口中音がとんできた。うしろからである。その男の仕業だ。人の後ろつきをじーっと見つづけていたわけだ。ちょっかいをだした。またこんな男がいた。気格低級。高卒男。

 同日。高円寺純情商店街セブンイレブンにおいて、パンを手にレジ待ちの列のところにいた。このとき並んでいたのはわたしだけである。

 ううっ。

 口中音がきこえた。ふりむいてやった。女22くらい高卒ふうがわたしを見ていたとわかる目つきで、連れの男(彼氏)とともにうしろをとおっていった。口で音をたててわざわざ人の耳をわずらわす。やる必要があるか。またこんな女がいた。

 ル・ロワ・ラデュリは『モンタイユー』のなかで次のように書いた。なお括弧内はわたしの注釈である。

 

 オクシタニーの山国は、明日の牧師(宗教改革者)も昨日の善信者(異端カタリ派)も、ともに歓迎したのであった。・・・・・・民衆の感性という永続的で肥沃な培養土があって、その上にさまざまな異端が芽生えたと言っても間違いではないと思うのだ。

 

 感性ゆたかな人はこの都会のいったいどこにいよう。お金お金、見てくれ見てくれで生きている人、生きてきた人、そんなふうにみえる人ばかりに出くわす。

●青梅街道と環七。

638.2020年9/8 杉十小プールから歩いて環七の交差点にきた。あいにく信号待ちにひっかかった。高円寺通りのミニストップへいきたくて、そこでコピーをしたくて、ほかの道はとれず、いたしかたない。女26?が幼児を荷台にのせて自転車で信号待ちをしている。この女は首をまわしたのにちがいなく、わたしに気づいた。首を正面から九十度左にまわし、草食動物の目のように目端でわたしのようすを見つづけた。監視と観察をかねてのことだ。わたしはがまんしきれなくなった。セブンイレブンのほうへ移った。女はなおも見つづけている。わたしはとうとう建物の陰へと身をよせた。この動きにつれて女はフェードアウトするように緩慢に首を正面にもどしていった。点描するに足る動きをした。高卒女がまたいた。瀰漫している。

曼珠沙華

637.2020年9/4 秋葉原駅改札をでた。JRの階段へと歩いているときだ。

 うっ。

 あきらかな口中音が、まうしろからとんできた。ふりむいた。男23?高卒ふうがスマホ片手に目だけをそむけた。

 この男を先にやった。韓国の人ふうにもみえた。黒いジーンズ、クリーム色の半袖。こんな男は曼珠沙華の花の香りを窒息するほどに嗅げばよい。夢寐[むび]にでもそうするがよい。

 目に入るものにただちに反応し、感情を行為へとうつす。人に不意打ちをくらわせる。人を消遣の具とし、自己の存在感をあらわす。ふだん人に踏みつけにされていればいるほどそうやるのである。

●自転車の男。中野駅への道。

636.2020年4/15 歩いているとき、たまたま電柱にかくれているようになっていた。こうだとわかったのは、ずっとずっとむこうからきている自転車がさっと妖気のように細道の、むかって右へ動いたからである。白マスクの当の男23くらいがわたしをじーっと見ている。ものごとへの三昧境を知らないのである。

コロナウイルス秋葉原駅

635.2020年4/13 秋葉原駅の階段をおりた。エスカレーターのおり口をまわりこんで中央方向へいく。次の階段へとむかっているとき、男23?が右横一メートルむこうを歩いていた。歩みはゆっくりである。わたしを見始めた。顔をむけ、わたしをうかがっている。

 きもちわりー。わたしは思わないではいられなかった。

 サラリーマンふう。見かけ上等。この男はおそらくエスカレーターに乗っているときから、ひとり階段をおりていくわたしを見ていたのにちがいない。心内にあるのは俗情だけだろう。

 この男のうしろ側へいく。離れてすすんだ。コロナですいている駅ではこういう男が顕著にあらわれる。高卒サラリーマン。

●タワマンエレベーターの男。ヴェイユ

634.2020年4月某日 タワマンのエレベーターに乗っていた。途中階から65くらいの男が乗りこんだ。ワタミ宅食か何かの柿色のベストようのものをつけている。この男はほどなくわたしに体をむけた。わたしが壁をむいていたからである。サイテーである。虫酸が走るとはこういうことだ。

 一階についた。この男を先にやった。どんなに年をとっても、人を見ること、せまいエレベーター内で人に体をむけることがどういうことか、わかっていない。精神性のない愚物である。

 中野行き電車に乗った。最後尾の優先席は片側だけのもので、対面側は車椅子スペースである。その席のドア寄りにすわった。ひとつおいた連結部側にいるのは、先にのりこんだ男である。42くらい。肉体労働者ふう現場帰りふう。この男は大きなバッグをかかえ、わりと太目である。だからわたしとの間はせばまっている。

 ファイルをとりだした。自分の作業をはじめた。男は首をわたしのほうへまわす。その目はまずわたしの顔をみた。このあと窓ガラスへむかった。窓外を見るふりをして人のようすをたしかめたのである。またこんなことをする男がいた。

 ファイルを伏せ気味にする。男はだれもいない正面をむいた。コロナウイルス事変により車内はこんな時間なのにすいている。

 ファイル作業をはじめると、男は最前の首ふり顔むけをした。わたしは、やめた。はじめた。男はまたやった。くりかえしである。わたしは走行中、席をたった。となりの車両へ移った。

 優先席にすわれた。代々木から乗りこんできた男42?サラリーマンふうスーツ姿は、わたしの真ん前にすわった。のどぼとけをみせるくらいに顔をあげ、わたしの頭上にある何かを見ている。見ているふりをしているようだ。こうしてわたしのようすを観察しつづけていた。またこんな男がいた。

 ヴェイユはこんなことを書いた。「芸術の対象、偶然と悪の編み目を通して感じとられる感覚的で偶発的な美しいもの。」(『重力と恩寵』)

 悪を悪とも感じとれない人、悪の行為者。そんな人の内部に芸術は非在である。