★まただ。ギリアン・フリン。십구.diecinueve.

501~527

松屋高円寺店。ヴェイユ

527.2019年12/27 高円寺駅北口の松屋に入る。券売機で食券を買っているとき、ごほっと奥のほうからひどい、まるわかりの口中音がした。見ると、客らしき男23?がテーブルを前に立っている。わたしを見ていたのである。とっくに食べおわっていながら、客が入ってきたのを気配で知って帰る気になったというわけだろう。二十歳前後の女ではなく男がきたとわかって、高卒男特有の口中音をかましたというわけだ。なにしろでていくにはわたしのうしろをとおっていかなければならない。
 でていく男の顔を、ななめうしろに見てやった。学知はこれっぱかりもなさそうにみえた。
 翌々日。中野駅へと歩きはじめてすぐのとき、ごほっといつもの口中音がした。うしろからである。まただ。ふりむいた。男23くらい高卒ふうがわたしを見つつ数メートルうしろから歩いてきている。吠える犬も同然である。存在力の脆弱さはいかんともしがたい。赤の他人にかかわることで自己確認をしていよう。
 ヴェイユはいう。「存在するものは何ひとつとして、絶対的な意味では、愛するに値しない。だから存在していないものを愛さねばならない。」(『重力と恩寵』)    

早稲田駅ホーム。

526.2019年9/5 早稲田駅ホーム上にて電車を待った。じっとしているならば人の目にさらされるばかりである。左手のほうを見ると、27くらいの女がホームに背をむけ、この様態自体がなんだか変であり、何かを見るように立ちどまっている。いやな予感がした。
 右手のほうへ移った。あたらしい改札口のところにいた。その女が、わたしの横をとおりぬけた。後ろ姿をしこたま見つつであっただろう。この女はわたしを警戒するだけ警戒した末に、ホームの端のほうへといったというわけである。
 中野行きに乗る。ドア脇に男22くらいがいた。たいていの男や女がそうするように肩をドアにむけている。車両内を見渡せるように立ち、スマホを見ている。見ているふりをしている。
 その男の真ん前ちかくにいることになった。男は顔をあげた。後方へふりむけた。こうしてカモフラージュ的にわたしのようすをさぐっていた。こういう男に͡͡個我はない。
 ひと駅の高田馬場で車両をかえた。たくさんの人がおりたから、だれもいないドア前に立つことができた。やがて走行中、長椅子の、人がすわっている前に立っている男26黒枠めがねが、体をわたしにむけた。スマホに目をおとしている。わたしは嫌気をもよおし、反転した。するとこんどは、長椅子の端にすわっている女の目がわたしを射すくめた。この女は40くらい、わたしの後ろ姿を見つづけていたわけだ。
 そこから離れるように通路を歩く。車両端のほうへいく。あたりに立っている人はだれもいない。
 じきに終点中野に着くというとき、どこかにすわっていた女が、すぐうしろにきた。こんな女48?のうしろ側にまわってやった。ごほっ。だれかが口中音をたてた。わたしの動きを見すましてのことにちがいない。かつて廣松渉がくくった共同主観的同型者がまたいた。いっかな特個的能知者誰某ではない。
 到着。折り返し電車に乗る人たちが入ってくる。優先席の端にすわった男28?は、わたしに体と顔をむけつづけた。早いとこ降りるべきだった。あの黒枠めがね体むけスマホ男から、ホーム上で見られるのを避けていたのである。

中島みゆき『進化樹』

525.2020年1/29 きのう池袋駅北口改札をでて左をとって歩いていた。人のひっきりなしに行きかう地下通路に男22くらい紺色作業着がいる。壁を背にして立ち、スマホに目をおとしている。だれかを待っているようだ。わたしは人波のさなかでどうしてもその男のちかくをとおらざるをえなかった。
 ごほごほっ。
 男はわたしがその目の前にちかづいたとき、そんなように口を鳴らした。またこんな男がいた。高卒男。
 きょう阿佐ヶ谷のとある店において男23くらいがコーヒーメーカーのある棚へいった。わたしはちょうどこの男のうしろをとおって受付へいくことになった。まさにそのとき、ごほごほっと男は思いっきり口を鳴らした。ほんとうの風邪の咳とは似ても似つかないものだ。一瞬ののち、この男は受付の前にいるわたしへと顔をむけていた。
 よくも口で音をたてるなあ。そう思わないではいられなかった。そんな男がまたいた。
 きのう池袋にて所用のあと、大通りにでようというとき、そこから二人組のチンピラふうの男らがあらわれた。そのうちのひとり、白いスニーカーをはいた男が、うっと口を鳴らした。わたしを見てそうやったのである。
 きょうミニストップでポイントチャージをした。高円寺商店街へと高円寺通りを歩いているとき、交差点の横断歩道を渡ってきた二人組の男がいた。どちらも二十代前半くらいであり、まともな勤め人という感じではなかった。そのうちのひとりが、ううっと口を鳴らした。わたしを見て反応したわけである。またこんな男がいた。
 中島みゆきが二年数か月ぶりにニューアルバムをリリースした。これまでの四十幾つかのアルバムの上にあり、それらを馬上の騎士のごとく引き連れて、まるで雲海をも突きぬけているかのようだ。そこにおさめられた『進化樹』で次のように歌っている。
 だれか教えて、ぼくたちはいまほんとうに進化をしただろうか。この進化樹の最初の粒とぼくはたじろがずにむきあえるのか。
 ごほごほっだとか、ううっだとか、他者の存在にたいして口を鳴らす人は、イヌのような動物へと退化していよう。かれらは貨幣万能の俗塵の世にあって足元をしっかと踏みかためていない。存在力の弱さに気づいていない。醜陋なる修羅に身をおき、品性の甄陶をおきざりにしている。貨幣と高慢さの奴隷である。 
 阿佐ヶ谷から高円寺へと歩いているとき、飼い猫をさがす貼り紙があった。十才のオス、ブサ猫を女が自転車で持ち去ったようで、人間の心があるなら返してほしいと訴えていた。この手の女も前掲の男らとおなじ仲間である。
 1/30木曜夜。片岡鶴太郎NHKラジオで季刊深夜便をやっている。片岡はこどものころ、足立区のバラック二階四畳半で両親と弟の四人で暮らしていた。そこから情念をはぐくんできた人だ。ゲストとして残間里江子がでていた。残間がリクエストしたのは中島みゆき『時代』である。わたしは胸内で思った。それじゃなくて『進化樹』だろう、『ルチル』だろう、と。
 中島の二十代前半の歌声、オリジナルヴァージョンが流れた。艱難辛苦にあっても勇気をもらえると残間はいう。
 『時代』を聴くと、中島みゆきがなるほど残間の汲みとったように二十代前半の若さで人生を俯瞰できていたのだとわかる。この歌は最新アルバムに収録されていてもまったく違和感がなさそうである。

松屋の女。中島みゆき『CONTRALTO』

524.2020年1/20 中野駅北口から歩いてニ三分の松屋に入った。ストレスのない席は埋まっていた。カウンターの端、出入口にもっともちかい席にした。カレーを食べているとき、持ち帰り待ちの女が右手のほうにきた。22くらいである。この女は食べている最中のわたしに体と顔をむけ、わたしを見にかかった。
 右手を小手にかざす。品位を欠く女の行為を視界から消し、左手でスプーンをつかった。女はわたしの右手の前へと顔をさしむける。執拗にわたしの食べているようすを見ようと図った。
 右手をかざしたまま顔をそむけてやった。この席では前にも似たようなことがあった。
 つたやへと歩く。中島みゆきのニューアルバム『CONTRALTO』を借りるためだ。
 ごほっ。
 うしろから口中音を投げつけられた。まただ。すぐそこのパチンコ店に逃げこむ。ほどなくガラスのむこうを、口中音をたてた張本人の男が歩いてきた。28くらいである。この男はパチンコ店のなかにいるわたしへと顔をむけて歩いている。人のことを目で追いかけているというわけである。
 この男といい松屋の持ち帰り女といい、平素単孤で文事にかかわるといったようなことをまったくしていないにちがいない。高卒男に高卒女。

中野駅の女。

523.2020年2/6 中野始発の各停に乗ろうとホームを歩く。女65くらいが三鷹行き方面の線路に体をむけつつも顔だけをわたしにむけている。わたしは右手をかざして歩いていく。女がいきなり目の前を横切った。わざとである。人の行く手をじゃましにかかったというわけだ。邪悪な女。学知によって鍛錬されていない女がまたいた。
●男が緑道で犬の散歩をする。百瀬文晃。
522.2019年12/6 桃園川緑道へまがった。小川を埋めてできた緑道であり、自転車用と歩行者用とが植え込みでわけられている。
 男38くらいニット帽の顔が小刻みに動く。わたしをとらえた。お好み焼きのように丸い顔。いつだって何かにうっとりするような顔である。男はそこにいる。とまっている。なぜか。歩いていくうちにわかった。子犬の散歩中なのである。緑道は人の憩いのためのものであり、犬の散歩は禁止との立て看板があるはずだ。だがこれはかならずしも守られていない。
 男の肢体は疎簾のごとき植え込みごしに、歩いていくわたしへとむけられている。わたしを待ちかまえていた。人を見すえるという肚が透け透けである。わたしは左手をかざす。
 ごほごほっ。
 男は通りがかったわたしにむかって思いっきり口中音をたてた。凶猛な、不逞な男である。
 すぐそこの枝道へとまがりこむ。その際、男のほうを見てやると、そこから動いていない男はわたしへと陰惨じみた顔をむけていた。黒のニット帽に同色のダウンジャケット、灰色のジャージ、白スニーカー。絵にかいたような外見である。無学問・無芸術にして経済上の生存競争に邁進しているにすぎないとみえた。といってもマックス・ヴェーバーが描いたようなプロテスタンティズムへの帰依はまったくないにちがいない。精神性はとうのむかしにおきざりである。自己省察なんてちんぷんかんぷん、どこか遠い国の聞いたこともない言語だろう。
 このことから敷衍するに、この国ではあおり運転もいじめもなくならないと断じることができる。
 カトリック司祭たる百瀬文晃は次のように書いた。
 「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(マタイ6・24)とイエスは語った。「富」とは、ただ単に物質的な豊富さのみならず、自分の能力、時間、人間関係その他のあらゆる可能性を指し、またこれに頼って自己実現をはかる人間の傲慢を指している。富に仕えるとは、神の代わりに自己を生の中心にすえる傲慢、世俗の価値基準、社会の偶像に身をわたすことである。(『イエス・キリストを学ぶ』)
 また同書においてこうも書いた。
 私たちは、今なお傷つき破れた生の現実の中で、信仰においてイエスの死と復活に参与し、やがて自分と世界において救いがまっとうされ、神の国がまったき完成に至る日を待ち望む。あたかもたどり着く目的地をかなたに仰ぎつつ、歩みを続ける巡礼者のように、永遠の相のもとに過ぎ去っていく地上の生に取り組むのである。
●<TOKYO METRO NEWS >二月号
521.2020年2/3 東西線に乗ろうとホームを歩いているとき、階段をあがってきている男28くらいがごほっと口を鳴らした。わたしを見あげてのことだ。
 街を歩く。時間があったからである。男ふたり、ともに大学生ふうとすれちがうとき、そのひとりが、うっと口を鳴らした。この地にある東京電機大の学生だろう。
 駅ちかくの公衆電話からでた。すこし歩くと、男72?とぶつかりそうになった。そこは地下鉄からの出口だったからで、まわりこんでよけると男の進路をふさぐかっこうになった。男はごほごほっと口を鳴らした。うるさげにそうやった。そうやることに慣れっこになっているとみえた。
 その駅のホーム上、いちばん端にいた。路線図を見ていた。だれかにどこかから見られているのではないか。そう思い、首をめぐらせる。遠くを見た。遠いところに女の顔がある。54くらい、めがね、白マスクである。赤の他人のわたしを食いいるように見つづけている。たまさか乗り換えの都合でいるだけのわたしに興味をそそられている。またこんな女がいた。高卒女。
 女21?は、まだ到着前からドアの前にきた。ドアがあくと、ごほっと咳まがいの音をたてておりていった。すじむかい、優先席の隅にすわっていた男62?はわたしの目の前で、ううっと口を鳴らしておりていった。またこんな人たちがいた。
 タワーマンションをでた。高架下沿いの道を歩く。むこうから何人もの勤め帰りの男や、そうでもなさそうな女がきていた。そのうちのひとりの男、白マスク38?は、わたしを見定めようとしてか、威圧するためにかこっちにむかってきた。それで平気の平左の目つきをしていた。こういう男はよくいる。女はわたしとすれちがう直前、ごほっとかました。こういう女もよくいる。このふたりとも独孤の精神をもたない。塵中に生きるばかりである。人の沈々たる尊厳を守らず、人を放っておけない。他人とのかけひき、争いのなかで口過ぎをしていよう。
 帰りの電車に乗った。右のすじむかいの男24?の視線がわずらわしい。左ななめむこう、長椅子の端にいる女23?が、よくあるようにわたしに顔をむけた。ドア前に立っている女21?がスマホを手にわたしに体をむけている感じなので、席を立つ。車両をかえた。
 こちらの車両からそのドア前女がみえる。さらに男46?もスマホ片手に体をこちらの車両のわたしにむけている。ふたりとも車内はがらがらだというのにすわらない。スマホをカモフラージュに乗客を眺めることにとらわれている。我執にとらわれているともいえよう。俗人の通有性をこれでもかとみせてくれている。さっき女がわたしを見ており、いま男がわたしを見ている。
 <TOKYO METRO NEWS >二月号は今月おこなわれる東京マラソンの特集である。あのエッセイに予想どおり(496で書いたように[440参考])書き手の息子が登場した。我が家という語もご丁寧に添えられている。当人の意図はともかくキャミソールのように女性性がすけすけである。自分を守っている。この書き手もまたこの世のありふれた基準のなかに住まう許多の人びとのひとりにすぎない。
 パウロはいう。「妻のある者はないもののように、泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである」(「コリント人への第一の手紙」)
「知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない」(同)
●女がものをいう。マックス・ヴェーバー
520.2019年12/25 高円寺駅北口へ歩く。歩道のむこうから五六人の女らがきている。いずれも50才前後か。60代の女もいるようだ。この女がわたしをじーっと見つづけている。わたしは道路ぎわへ寄り、右手をかざした。集団とすれちがいざま、そのうちのひとりが、顔を見られたくないものだからうんぬんというのがきこえた。わたしを見ていたということである。人を見ることの不道徳性、卑俗性に気づいていない。避けられた腹いせにぶつぶついった、五六人でいるから共感者をつのるようにいったのである。ひとりならいわない。小者である。
 見られるのを防いだというより、真っ昼間集団でのし歩くような女らと視線でかかわるのを避けたのである。どの女も芸文とは無縁の高卒にみえた。
 すれちがいざま何かいう。こういうことをする人がおおい。うわあ、めいわく野郎だあ。そういった女23?をまた思いだした。
 このあと同駅北口で国際興業バスを待った。バス待ちの人は、わたしのほかには、ベンチに腰をおろすニット帽の老女73?がひとりいるだけである。寒いからか。駅のほうをむいていると、左ななめうしろ、書店の出入口脇に男70?がいるとわかった。茶色いサングラスごしにわたしをじーっと見つづけている。ひまな男だ。
 いったん書店に入った。以前店内に入ったのは、いったいいつのことだっただろう。ものの数分後、女21?があの老女の横にいるとわかって、ふたたび列にならんだ。自転車の男がまだおなじことをしている。顔を見られたくないものだからうんぬんの女と同様自己省察というものがない。
 右横にベビーカーの女がきた。そのむこうにも女がきた。列が長くなってきた。自転車の男が列にそってなぞっていくようにゆっくりすすんで立ち去っていく。
 バスは予定時刻をすぎてもこなかった。ようやく北口ロータリーのむこうに当のバスがとまるのがみえた。客がおりきったあと、運転手は、白いYシャツ青いスラックスの彼は、おりて小走りに走っていく。ようす、その方向からすると洗面所をつかうらしい。これは仕方ない。もどってきた運転手は何か手にし、ふたたび小走りになり、関東バスの案内所へいくようだった。時間をくっていた。
 七分おくれできたバスに乗りこむとき、不機嫌になっていた。おっせえなあ。ぶつくさいうと、きこえたものか運転手は、ちぇっと舌打ちした。やむをえなかったとの思いだったのだろう。わたしはこういうべきだっただろう。おくれたっていいから安全運転よろしくね。
 この日の夜、中野駅コンコースにおいて、すれちがおうとする男26?プータローふうが、ごほごほっと思いっきり口中音をたてた。ちょっかいをだした。マックス・ヴェーバーが異なる文脈で用いた表現を借りるなら「およそ低級な心情の現われ」といってよい(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)。かように類型者としてのありのままの本心、すなわち当体を口中音にかえてさらけだした。独立して生きていないのは、この国の鬱憤をかかえる人の通性である。
●チンピラ老人ふたたび。ヴェイユ
519.2019年6/14 クックサンで買った食料を手に高円寺駅へといく。駅舎の太柱に冊子のラックがある。そこからひとつとろうとしていると、右からきた男がごほごほっと威喝するかのように口中音をぶちまけてわたしのうしろをとおっていく。やりかえすと、男72?半袖膝丈のズボン姿はなおもごほごほっとやった。改札口へとむかいつつごほごほと重ねた。さいごのごほは、すべてわざとのゆえにかすれていた。あたりに騒音をまきちらして平気の平左である。無想離念の境地とは無縁である。
 その年になるまでどういう身過ぎをしてきたのか。徳義のひとつもない男にみえた。花火大会にいそいそでかける。大口をあけてぽかんと、めくるめく闇夜の火の粉を眺めるだけの男にみえた。
 ヴェイユはいう。「他人に害を加えることは、他人から何かを受けとろうとすることだ。・・・・・・自分が大きくなったのだ。自分が広くなったのだ。他人の中に真空をつくり出すことによって、自分の中の真空を満たしたのだ。」(『重力と恩寵』)
●怨念。
518.2019年11/13 男23くらいが電車からおりていこうとする。ドアに近づき、ごほっとやった。その手の音をわたしの耳にきかせたというわけだ。脳内はからっぽである。俗情の垢穢だけをその心内にためこんでいるのにちがいない。怨念やるかたなく、目についたわたしをひとまず攻撃したのか。高卒の男にみえた。
 中野駅ホーム。ベンチのところで特快がでていくまで時間かせぎをしていると、ごほっと口中音がした。うしろをとおっていく男26くらい黒コート姿サラリーマンふうがわたしの存在に反応したのである。きのう阿佐ヶ谷にいた男とおなじことをした。類型男がまたいた。
日大二高生の口笛。
517.2019年11/12 阿佐ヶ谷駅ちかくでローソンのSコーヒーを飲んでいるとき、ごほっと口中音がとんできた。うしろをとおりがかっていく男21?高卒ふうがわたしを見ている。この男だ。
 同駅南口において男ふたりがならんで歩いていた。わたしとおなじ方向へ歩いており、わたしは前にでた。ごほごほっ。そのうちのひとり22?高卒ふうが口を鳴らした。
 となり駅、荻窪駅の西口において、制服の色からし日大二高生が三人ならんで歩いてきていた。すれちがうとき、わたしは別のほうを見ていた。そのうちのひとりが口笛をふいた。
――くちぶえっ。
 いってやると口笛はやんだ。自己に没入できない哀れな男子高校生である。三人ならんで空間を占領して何とも思わないのか。おまけにすくなくともひとりは、わたしを見ていた。それでも一応進学校である。
 むこうからきている男45?がごほっと口を鳴らした。同様のことをやりかえすと、すーっと鼻を鳴らし、すぐさまうっと口を鳴らした。わたしは道の反対側へ移った。
 阿佐ヶ谷駅への道において、建物に入ろうとしている男がいた。その男はごほごほごほごほっとけたたましく口を鳴らした。最後は喉がかすれ気味である。演技でしかなかった。
 むこうからカップルが歩いてきていた。そのうちの男21?がごほっとやった。わたしはやりかえし、道のむこう側へいこうとふりかえると、わたしのほうへ歩いてきている男がいた。この男はスーツを着ており、まだ遠くのわたしへと顔をむけている。わたしをずっと見つづけている様相の顔のむけかたである。
 きょうはまったくの厄日であった。
●男が人を見る。
516.2016年6月某日[舛添東京都知事が辞表をだした日] 中央総武各停に乗ろうと階段を二段とばしであがっていく。ホームのとば口からすこしいったところに男25くらいが、妻、それにベビーカー(幼児)とともにおり、体も顔も、あがっていくところのわたしへとむけていた。その目は他者との、目にみえるものをめぐっての比較商量にばかり興味を燃えたたせているようにみえた。
●こどもなんて立っていればいい。
515.2019年11/10 お茶の水から家族連れが電車に乗りこんできた。夫、妻、こどもふたりである。三才くらいの男児が母に促されるようにわたしのとなりにすわった。二才くらいの子は立っている。すると、そのむこうにすわっていた男性20代が立ちあがった。わたしはその母が、すわった男児の目の前にきたので、わたしをまともに見下ろすことができ警戒心もあらわにちがいないので、席を立とうとした。
「どうぞすわっててください」
 女35?はそういった。わたしに指示をだした。
 きくわけもない。立ちあがった。ドア前へいく。女23?がちかくにきた。わたしはあたりに首をまわす。夫が外国人だと何となくわかった。ポルトガル語スペイン語を話しそうにみえる。女はわたしのいたところにすわっており、わたしを見ている。
 いられるところがなく、となりの車両へ移った。こどもなんて立っていればいいとその女はわからないにちがいなかった。
 この日、別の路線において家族連れに席をゆずった。母は、すいません、ありがとうございます、といった。この母のほうが格段に空気がよめていた。
●女が体をむける。
514.2019年11/24 秋葉原から各停三鷹行きか中野行きに乗った。最後尾のいっとう前寄り、あいたドアの脇にホームをむいて立つ。あとから乗りこんだ女22くらいは、このドアのもう一方の、長椅子寄りの脇にきて体をわたしにむけた。見られるのはたまらない。
 そこを離れ、連結部をとおってとなりの車両へ移った。ドア脇にドアをむいて立った。さっきの女、すらりとした女が、こちらにくるのがわかった。うしろのドアのほうへきた。これを見て、わたしはまたもそこを離れ、元いた最後尾のドア脇へもどった。連結部に扉がなく、その女がむこうに立っているのを、見ようと思えば見ることができた。
 ひと駅目のお茶の水で快速に乗りかえようとホームにおりた。その女、女子大生ふうもおりており、わたしに顔をむけている。こうまでしてわたしを見て監視でもしていたいのかと思わざるをえなかった。
●人が粗暴化する。ヴェイユ
513.2019年11/28 暗闇のなか男42くらいが、道をななめに横切るようにむかってきた。男は片手をズボンのポケットにいれ、もう片方の手にビジネスバッグをさげてぶらぶらさせている。
 さっと細道の反対側へと移った。すると、男は動きをとめたようで、「なんだ、おまえ」とつっかかってきた。むかってきたのをとらえた時点で前へはいかず反転するくらいのことをしていればよかった。
 空気を引き裂くような荒い息づかいがきこえてくるようだった。ふりむかず前へと歩きつづけた。ふりむくものか。
 自分からむかってきながら避けられると、なんだ、おまえとおまえ呼ばわりで逆ぎれする。人を毀損しにかかる。高卒暴戻男、心内荒廃男である。こういう人がおおい。
 つづいて、高円寺を歩く。ごほっ。口中音がしたので、ふりむいてその音のほうをみた。コンクリートに腰をおろしている男24くらいがたばこをすっている。わたしを見ていたのである。見るならだまって見ていればよいものをそうはしていなかった。人を盗み見て反応する。ばかげているとは思わないのだろう。
 ごほごほごほっ。男はわざと咳まがいの音を、わたしに聞こえるようにくりかえした。またこんな男がいた。あおり運転と同質のことをする男だ。個人の問題というより、この国の社会、その裏側の通患とよぶべきものだろう。閉塞感をもった人が鬱塊をひとりでどうにもならず、他人をまきこんで憂さばらしをする。
 ヴェイユは『重力と恩寵』のなかで次のように書いた。
 善を行なうこと。私は何を行なっていようとも、これは善ではないのだと何よりはっきりと知っている。よき存在ではない者が、善を行なうことはないのだからである。そして、「神ひとりのほかによい者はいない・・・・・・(ルカ。18・19)
 どんな状況においても、何をなそうとも、人は悪だけしか行なっていない。それも許されないような悪だけしか。
 自分の行なう悪がただ自分だけの上にじかに降りかかってくるようにと願い求めなければならない。それが十字架である。
●男が人を見る。
512.2019年10/13 東高円寺駅の洗面所に入っていく。ちょうど用をたしおえたらしき男21くらい(高卒ふう)が小便器の前で体をわたしにむけ、ズボンをあげ気味にわたしに目をはだけていた。その男の横をとおっていくと、ごほっと男は思いっきり口中音をたてた。この男は、わたしが個室をつかってでていくとき、まだいた。人の尊厳を踏みにじって平気の平左の男が、全身のうつる細長い鏡の前にいる。そこに映りこむわたしを見つづけ、片手で髪の毛に手櫛をいれているありさまであった。この駅のホームは地下鉄ゆえにせまい。だから人からのストレスを避けて電車がくるまでそこにいつづけるのだとみえた。
●鼻ですーっ。連発。
511.2019年3/27 中野始発の各停に乗る。通路を歩くと、すわっている身なり上等、スーツ姿の男48?がすーっと鼻で音をたてた。となりの車両へいき、連結部寄りにすわる。両ドア空間はすむこうに男70?身なりりっぱが足を組んですわっている。顔をわたしにむけてきた。
 女23?が、わたしが元いた車両へと歩いていく。とおりすぎざま、すーっと鼻を鳴らした。そんな人たちばかりだ。
 女30くらいは、東中野から乗りこんで、わたしのすじむこうにすわった。スマホ目八分であり、こっちをうかがうことに余念なしである。
 大久保についた。乗る人が乗ってからおりようと思い、それを実行に移す。乗りこんだ女21?がドア脇にいる。椅子の支柱を背にスマホを見ている。おりようとするわたしに気づいても、出入口をせばめていることに頓着なしといったふうである。おり際、すーっと女は鼻を鳴らした。わたしはやりかえした。女はスマホから顔をあげ、ホームのこちらを見た。どういう男かと見定めた。スマホに没入などしていない。ほかの何ごとにおいてもそういうことだろう。よくいる類型女である。
西武線の女。男。
510.2019年3/19 西武新宿線野方駅ホーム上。女62くらい白マスクがこちらに歩いてきた。わたしをとおりこし、沼袋寄りへいった。雨よけの天井の柱ひとつ分だけむこうでとまった。気づくと、わたしに体をむけてわたしを見ていた。またこんな女だ。
 その女とは反対側、柱ひとつ分むこうに、女36くらいがいる。この女もまたわたしに体をむけて立ちつづけている。手にはスマホである。わたしは鉄柱の陰にまわった。
 ひとりの女が、わたしのすわっている車両に連結部から入ってきた。鷺宮から乗りこんだのか。すいているなか右ななめむこう、両ドア空間むこうの長椅子、この遠いほうの端にすわった。わたしは警戒した。
 女は60くらいである。ブルージーンズをはいている。足を組んだ。ついで左の肘を支柱のパイプにおき、頭をもたせかけた。こちらに顔をむけた。わたしを見始めた。これを目的としてそこにすわったとみえる。
 だめだこりゃ。ただちに、となりの最後尾の車両へ移っていく。いまいた車両よりもすいていた。車掌のいるほうの、端も端にすわる。この車両内にいるのは、わたしをいれて四人にすぎない。さっきの女の、存在のくだらなさがみえてくるばかりだ。わたしを狙ったのだろう。
 武蔵関に着く。あの女が、この車両にいるではないか。くそったれ女め。うわあー、めいわく女だあ。女がわたしを見た。白マスクをしている。60ではなく40くらいにみえる。手に飲み物をもっている。この車両にいるのは、わたしをふくめ三人だけだ。女がわたしを見た。女はこの駅でおりた。
 男21くらいが歩いてきた。すいているのにわたしの真ん前にすわろうとし、すわる前に、わたしは席を立った。場所をかえた。
 わたしがいたところに女子高生がすわった。依然としてすいている。この女もわたしに顔をむけた。むけつづけた。
 駅の改札をでるやいなや、ごほごほっごほごほっと口を鳴らす音がきこえた。顔をむけると、目の前ちかくを折しもとおっていこうとする男36?スーツ姿がいた。わたしに顔をむけ、進行方向から90度こちらにむけて、わたしを見ている。その目は例によって人を凝視するように、まばたきひとつしていない。男はもうひとりの、似たようなかっこうの男とふたりで歩いている。
 改札口へといちいち顔をむける。わたしに見られると思っていたのか。そんな口中音がなければ、男らが三差路の横断歩道へとむかっていくところには一瞥もくれなかっただろう。わたしは反射的に男に舌をだした。これを目にした男は、いささかいやそうに顔を元にもどした。
 右をとって、後ろ姿を見てやった。心内に、うるわしいものがあるだろうか。何もなさそうだ。どこかの不動産屋で働く営業マンふうにみえる。人ではなく吠えたてるばかりの犬である。うわあー、めいわく男だあ。
野方駅へ。
509.2019年3/15 高円寺駅へと歩く。十字路に角の二方向がひらけた駐車場がある。一台の車に人が乗っているのがなんとなくわかった。わたしはそこに顔をむけてはいない。角をまがり、そこを通りすぎようというとき、ごほっと口中音がした。横からわたしを見ての、眺めてのものだ。あの車からおりた男20代?が、わたしの気づかないうちにわたしを見ており、とくと眺めにかかったというわけである。またもこんな男がいた。高卒労働者。現場作業従事者。この国はこの手の口中音男を大量に生みだしている。精神の荒寥たる男である。女とても例外ではない。
 環七を野方駅へと歩いていくあいだ、心内は荒れていた。
 男が歩道の道路際に立っている。63くらいである。わたしに体をむけて、サングラスの奥からわたしを見つづけている。仕事のない男にみえた。わたしは左手をかざしつつ、うえーっと叫んでその男の前をとおりすぎた。
 野方の商店街において、スーツを着た四五人の男ら40代から50代が歩いてきていた。銀行員か何かが昼ごはんにでてきたというふうである。わたしはぶつかるのを前もって避け、道の反対側へ寄った。左手を目通りにかざして歩いていく。
 うっ。
 口中音がとんできた。その四五人のうちのだれかがわたしを見て、自己の内面にひきずられることもなくわたしを見て、そうやったにちがいなかった。
●マックの女子高生。
508.2009年10/28水曜 マック荻窪店は混んでいた。ふたり連れ女子高生が、せまい通路で立ちどまっている。その片割れは、すぐうしろのもうひとりに、こういった。
「どこがいい?」
 よくない席があるというわけだ。この感覚に、千差万別の世界への親和性はない。
●女がキーボードをたたく。
507.2009年10/28水曜 ワイプのオープン席に先客の女がいた。わたしがその隣りに、たまさか選んだその席にすわるや、女は立ちあがってどこかへいった。飲み物か何かをもってくるついでに、わたしがどんな人かを見定めたにちがいなかった。この目的のために、いちいち席を立ったというわけである。
 女は30才くらいで髪を背中の下ほどまで長くのばしていた。すぐにキーボードをたたきだした。うるさいと感じられるような音をたてつづけた。赤の他人たるわたしを標的に、何がしかの不満のはけ口に、攻撃のし放題をしていた。
●大久保。ローソン100
506.2019年3/6 大久保のローソン100において、ちかくにきた男は商品棚を見ていた。52くらいである。
 ごほごほっ。
 男は口中音をたて、わたしのうしろをとおってでていった。何も買っていなかった。わたしに“めいわく行為”をしただけだ。
●東電の作業着。
505.2019年3/6 ごほごほっ。口中音がした。顔をむけると、東電の作業着の男が、車のドアのところにいる。あいたままのドアの横で顎をあげ、缶ジュースを飲んでいる。そこはコイン式の駐車場である。その男24くらいは、通りがかったわたしを見て無用にも無思慮にも反応をみせた。缶ジュースを飲むにあたってどうしていちいち歩道のほうへ体をむけているのか。その顔は実に平然たるものであった。めいわく野郎。高円寺商店街でカップルの女23?がわたしに面とむかっていってのけたそれとは、こういう東電男のことだといわなければならない。
 そのあと、拡幅工事中につきせまくなった歩道で女とすれちがった。その女22くらいは歌を歌っていた。挑発である。
●めいわく行為。
504.2019年3/4 高円寺駅南口を歩く。駅前の信号機のない変則交差点において雨のなか傘をさして歩く。ふと傘の下端から前方に目をやった。女がむこうからきている。23くらい赤コート姿。駅前ロータリーを駅舎の南口のほうへいくようでありながら顔だけをわたしにむけ、こちらを見つづけている。
 幾日か前カップルの女がすれちがおうとするだけで“うわあぁーめいわく野郎だあ”といってのけたことが念頭から離れない。あの女のほうからすると、わたしに見られていると思ったにちがいなかった。けれどもこちらの現実の視力は達者ではない。つけつけ見ているはずもないのである。
 顔をそむけた。傘をさげた。銀行のATMコーナーへいこうとこの女とすれちがうかっこうになるとき、傘をわずかにあげた。女はなおもわたしを見つづけている。こういう市井の、この女にとってはなんともない行為こそが非道徳的めいわく行為である。
 銀行ATMコーナーは混んでいた。二機が調整中でつかえていない。横に八機か九機ぐらいがならぶなか、その二機のむこうを男42くらいがつかっている。だが体を機器にたいしてはすにし、手前のほうにだれがいるのか、出入口からどういう人が入ってくるのか気にしながらやっているとみえた。またいた、こんなやつが。わたしは後方のしかるべきところで待機した。すぐ前方が当の男である。
 ごほっごほっ。
 男は口を鳴らした。あいたところにわたしがいくと、あいだにだれもいないので、わたしはこの男の視野にじかに入り男はまたもごほごほっとやった。
 ことをおえでていく。このとき男はまだやっていた。
 歩道にでた。目の前ちかくを女20?が横切っていくところであり、ごほっと口中音をたてて左方向へ歩いていった。それはめいわく行為というものだった。
●不倫サイト。
503.2009年10/31土曜 結婚詐欺の廉で逮捕された34才、無職の女は、結婚紹介サイトのみならず不倫サイトにも登録していた。不倫サイトで狙ったのは社会的地位があって不倫を表沙汰にできない男性である。多彩なハンドルネームを駆使し、両サイトで計四十人もから何のかのの理由をでっちあげてお金をまきあげていた。高級外車ベンツに、月二十五万円?の豪勢なマンション生活は、こうしたあこぎな基底のうえに築かれていた。この女が、練炭自殺や練炭失火という緩慢な死の毒牙にかけたのは四人とも六人ともいわれている。
●結婚詐欺女。
502.2009年10/30金曜 結婚詐欺容疑で逮捕された34才の女は、インターネットの結婚紹介サイトで獲物たる男性をさがしていた。複数のサイトにそれぞれ数千円を払って登録し、複数のハンドルネームをつかいわけた。相手の学歴、年収、好みのタイプ、趣味等々の項目にあわせて、介護ヘルパーであったり専門学校生であったりと自分をいつわった。
 彼女の口座には六人の男性から合計一億円ほどがふりこまれている。結婚をえさに男の純情をもてあそんだ。挙句、そのうちの四人は生命までも奪われた。
 板橋区では月十四万円の部屋に住んでいた。それが豊島区池袋のマンションの、月二十五万円の最上階の部屋へとかわった。高級外車を買ったかと思うと、別の高級外車にのりかえる。一回二万円のエステにいっていた。派手なお金の使いっぷりであった。
 板橋区に住んでいたとき精神科を受診し、前の病院で処方してもらったといって、ハルシオン、デンドルミンと具体的な名前をあげて睡眠導入剤をもらっている。この薬とおなじ成分が、彼女と交際して不審な死に方をしたふたりの男性の血中から検出されている。
 また今年に入って三度、インターネットで七輪と練炭のセットを買っている。
 彼女は北海道東端にあたる別海町に四人きょうだいの長女として生まれた。
 長い髪は背中の下まである。小太りの体型。
――今、婚活中です。これから二泊三日で□□に婚前旅行にいってきます。云々。
 ブログにそう書いた41才の男性は翌日、車のなかで練炭一酸化炭素中毒で死んだ。睡眠導入剤を飲んだか、飲まされていた。
●まただ。ギリアン・フリン。

501.2019年2/17 高円寺駅ちかくのJR沿いを歩く。ごほっ。うしろから口中音がとんできた。まただ。ふりむくと男23くらいがわたしを見て歩いてきている。きつそうな目をしている。高卒以下であるのはまちがいない。もうやってるとか何とかわたしがぶつくさいおうにもお感じなしの顔つきであった。雑居ビルの地下への階段口をおりていったから日曜昼にも不本意にも働いているとみえた。美容師か何かか。かかえる鬱屈感は相当なものだ。運命に沈みこむばかりで運命を乗りこえようという気はない。手っとりばやく攻撃性をむきだしにする。

 道をかえ、元きたほうへもどった。駅前商店街へとまがりこむや、ごほっとまたもや口中音がとんできた。今度は女だ。たちどまり、ふりむく。女21くらいがよくあるように平然と歩いてきていた。あたしの前を歩くなと、その胸中にこだましているのにちがいなかった。

 男であれ女であれ、精神性の陶冶以前の粗暴さをふりまわす。こういうもののほかに生きている実感をもてていないのだろう。だからまた、四囲環海のこの国のどこかで、むごたらしい虐待事件がおきよう。

 日がすっかり落ちた。高円寺駅から南のほうを歩く。ちかくに牛丼店すき家のある三叉路を北上しかけていると、西のほうから自転車の男28くらいニット帽がまがりこんでこようとしていた。ごほごほっ。男が口を鳴らした。じゃまだ、どけ。通例の、鼓膜に不快にひびく音を動物よろしく吠えたてた。この都会の病弊がまたもほとばしりでた。『ゴーン・ガール』のなかで夫のニックに悪をもくろむエイミーが、その巧緻さゆえに魅力的にさえ思えてくる。

 2019年になろうが、非宗教、非芸術の群れなす人びとの行為のありようは絶望的にかわらない。この先年号がかわろうが、かわらないだろう。