★阿佐ヶ谷パールセンター。シモーヌ・ヴェイユ。십이.doce.

310~337
●だます女。だまされる男。

337.2016年5月某日。TBSラジオのプロデューサー池田某は2004年1月、43才のとき知人の紹介により29才の美人女性と知りあった。彼女は、自分は山口県に住んでいるといった。池田の実家は福岡である。

 彼女は大学院生であると自分でいった。春から東京の専門学校に通うのである、と。

「結婚しましょう」と彼女のほうからいった。

「うちにこない?」と池田。

 一回だけ男女の関係になった。池田は避妊具をつけていたけれども、彼女がはずした。

「こっちのほうが気もちいいでしょ」と彼女。

 性交渉はそれ一回きりであった。その一回で池田は尖圭コンジロームに罹患し、治療に一年半を要する羽目になった。

 なんだかんだで池田は彼女にお金をあげていた。

 勤めから帰ると手料理があった。書き置きが添えられていた。友人宅にいく、と。

 彼女は池田に知らせることなく福岡の池田の実家に泊まることもあった。

 結婚のために東京でマンションを買おうということになった。池田は手続きを彼女にまかせ、3800万円の入った通帳と印鑑をわたした。

 夜、帰宅してみると、彼女の荷物は一切池田の部屋から消えていた。

 ケータイに電話をした。つながらない。調べてみて、「飛ばし」のプリペイドケータイをつかっていたとそのとき初めてわかった。

 山口県在住というのも嘘だっただろうと池田は思う。美人のプロの女であったと思う。

 池田は彼女の両親に一度も会っていない。会おうとすると、お父さんとけんかしたから会える状態ではないとか、くさぐさの理由をつけられた。

 上記は池田の初告白である。聴き手は池田と二十数年のつきあいのある劇団主宰者たる宮川賢であった。

 反響はおおきかった。リスナーからこんなメールも届いた。離婚したあと出会い系サイトで知りあった女性に車一台分くらいのお金をとられたとあった。

●山口恵以子のケータイ。

336.2016年5月某日。山口恵以子はやくみつると同様、ガラ系ケータイをつかっている。メールと通話のできるらくらくホンでことたりている。スマホをもったとしたら宝のもちぐされになり自分には絶対につかいこなせないと思う。なにしろゲームはやらないし、かのインベーダーゲームさえ当時一度もやったことがない。ニッポン放送アナウンサー那須恵理子もガラ系である。他方、同アナ垣花正はスマホであり、料金は月に一万はこえている。山口のケータイ代は二千円台であり三千円をこえることはない。

●阿佐ヶ谷パールセンター。シモーヌ・ヴェイユ。

335.2018年10/21 阿佐ヶ谷の商店街、パールセンターを歩く。ごほっ。わざとらしさたっぷりの口中音がするので顔をむけると、白マスクの男23くらいが人ごみのなかわたしを見つつ歩いていた。犬のように吠えたも同然であった。こういう男には仏文学者田辺保が『さいごのシモーヌ・ヴェイユ』のなかで書いたような「精神の秩序においてのみ存立しうる二次的な生への試み」はあるはずもない。

 ヴェイユは詩人ジョー・ブスケと交流をもった。田辺は同書においてブスケの次のような考えを書いている。

「経験的現実にまさる言葉の次元の優位をうち立て、現実の混沌を、超現実の透明へと、不完全なわたしたちの自我を純粋の精神へと移しこもうとする」

 ブスケやヴェイユの惻々たる息づかいと、猛々しいだけのその男の息づかいとは対極にあるというほかない。

 午後五時ちかく食品スーパーアコレ阿佐ヶ谷店に入る。人のいないほういないほうへと歩く。テレビCMであたらしいバターと宣伝されている明治スプレッタブルをさがした。マーガリンのおいてある棚のそばで女32?が幼児を連れていた。わたしはこの人を見ないようにしていた。

 ほしいものがなく、あきらめて帰ろうと体のむきをかえた。この女が体をわたしにむけているとわかった。女の顔は商品棚のほうにあった。わたしが目をむける寸前、この女の目玉だけが動いた。わたしを見ていたとわかるように動いた。無視のていである。こんな芸当がよくできるなあ。そう思わないではいられなかった。

●電車内スマホ女。

334.2016年5月某日。女がななめむこうのドア脇に立っている。上石神井にてわたしが乗りこもうとしているとき、この女は目顔をスマホにおとしていたけれども体をまともにわたしにむけていた。だれからみても故意にそうやっているとしか思えない立ち方をしていた。いまドア脇にいてドアに垂直というよりもややななめにこちらをむいて立ち、わたしをうかがっている。最前、スマホから顔をあげ、わたしをじかに見ていた。こういう女40?にとってスマホはカモフラージュの道具立てのひとつにすぎない。

●そこからでてきた女。いなげや。

333.2016年5月某日。上石神井駅へとむかうとき、いなげやがある。その店の横の道を歩く。右側の歩道である。同店駐車場出入口からでてきた女22?は、顔をわたしへとむけ、わたしを見定めていた。わたしが気づくよりも先にそうやっていた。

 この女は道の左側の歩道をいく。角に、信号機のある交差点がある。わたしは信号の赤青をみて、むきを左へとかえた。横断歩道を渡っていく。当の女もまたそこをこちら側へと渡ってきていた。すれちがいざま、ケータイかスマホをばちんと音をさせてしめた。きこえよがしにそうやった。もとより何のつながりとてない女であった。

●ローソン。中野駅南口。

332.2018年9/22 中野駅南口から2分くらい歩いてローソンに入った。小袋の砂糖ミルク入りコーヒーが目当てである。ついでにということで紙パックヨーグルトと二百ミリリットル牛乳、それにローソンでしか買えない?どら焼きを買おうとレジの列にならんだ。〔どら焼きは帰宅後モンテールのものだとわかった。〕

 すぐ前のカップルの男23?は顔を揚げ物のケースへとむけ、こうしてわたしを視野にいれつづけた。一種の監視をやめなかった。

 うるささに半回転した。たちまち男の顔がレジの外国人女性店員のほうへむいた。

 女ふたりが入ってきた。ふたり連れである。23と20くらい、ともによそゆきの、きれいなかっこうをしている。ともにスカートである。

 23のほうがレジ前通路を歩いてきた。わたしのいるほうへとくる。わたしを見つつも揚げ物ケースのなかをのぞいていた。

 この女の顔貌を見ることはなかった。したがって23才くらいかどうかは実際のところわからない。この女は何かしてくることなく、わたしのうしろへついた。何を買おうとしていたのだろう。

 ついで20くらいのほうがおなじくレジ前の通路を、顔は下にむけて歩いてきた。脇をとおっていく。その刹那、ごほっと咳をした。口元に手をあてていた。出入口のところからすでにわたしを見定めていたのである。

 やりかえした。ごほっ、と。もっとも女のやり口ほどうまくはなかった。 

 女は女と合流し、ほどもなく20くらいは出入口のほうへもどった。こちらはただの付き添いであり、買い物の予定ははなからなかったのにレジ前をとおりこしたというわけだ。わたしなら人のいるほうへはいかない。だが、この女はわざわざきた。ひとりならしないだろう行動にでた。

 この女の顔貌も見てはいない。人の存在をおびやかす女がまたいた。見かけに気を配るだけの精神性の欠損した女だ。

 レジ清算をすませ出入口へとむかった。出入口横の通路の先にあの20くらいの女がいた。体をわたしへとむけ、その顔を目を、わたしにむけていた。しつこさといったらなかった。どこまでも人を見る、眺めるというわけだ。むかむかしてきた。

 うっ。

 火器のごとく口中音を見舞ってやった。何も返ってこなかった。さっきの咳が嘘っぱちだと覚知しているからである。

 道にでた。店前に男がふたりいた。どちらも20くらいである。すわりこんでいた。しゃべりあっていた声が、ふっつりやんだ。わたしの剣幕を耳にし、何ごとかと思ったようにみえた。恐れをなしたようにみえた。

 心中荒れたまま歩く。大久保通りの信号機のある横断歩道にさしかかったとき、前方左手から自転車が渡ってくるとわかった。わたしの歩いていくほうには信号機はない。そのまますすめば自転車とぶつかりそうであった。うしろを、きたほうをむいた。元にもどると一台、女32?ママチャリが目の前をとおりすぎていった。

 もう一台きた。女18?白マスク顔隠しである。わたしを見ている。眺めるように見ている。ふたたびうしろをむいた。時間をとって前をむいた。女はゆっくりゆっくり走っている。顔をわたしにむけつづけている。わたしが顔をそむけてもなお、顔だけをわたしにむけていた。ようやく右手のほうへいってから、わたしはわめいた。

 馬鹿か。

 性情の陶冶されない女がいる。さっきのローソンの女もそれである。

●快速・各停の人たち。

331.2018年9/19 きのう西国分寺から快速東京行きに乗った。ひと駅めで特急の通過待ちがあった。そのあいだに、ちかくのドア脇に女21くらいが入りこんだ。例によってスマホに目をおとしている。目をあげれば、ドアをむいて立っているわたしをほしいままに見ることのできる体勢である。

 ついで女52くらいが混みあう人をわけ、車両端へいく。体をすこしずつわたしのほうへむけた。わたしが顔をむけると、この女はわたしを見ていた。これからずっと見るつもりらしかった。こうしておのれの存在の脆弱さから目をそらすのみならず、人を目で侮弄することによって快味までもむさぼるというわけである。

 いそぎ、車両をかえた。私立小学生ふたりがドア脇にそれぞれいるところがあった。そこに大人はいない。ドアをむいて立つ。すかさず車両端のほうにいるサラリーマンふうの男48?が上半身をよじってわたしに顔をむけた。すわっている同僚らしい男や、もうひとり立っている男とべちゃべちゃしゃべっていながらもそうやった。わたしをたしかめた。走行中、幾度かそうやった。

 三鷹で各停に乗りかえるためにおりようと図る。あいたドアのほうに体を反転させた。ドア脇に女がいる。ドアに左肩をつけているその女は顔をわたしにむけ、見ひらいた目を押しつけてきた。わたしは鉄道小冊子で目線をさえぎった。ホームにおりようとするとき、この女が紺色ハイソックスをはいた女子高生であると知れた。

――ずーっとこっち見てる。

 そうつぶやいてホーム上におりた。

 中央総武千葉行きに発車間際に乗った。けっこうすいていた。それでもドア前に立つ。このほうがストレスがすくない。すわって真ん前の人やななめむこうの人やにずけずけ見られるよりましである。

 すわっていた男、私立中学生が席を立ったと横目にわかった。この中学生はあろうことか車両隅に、わたしの後方に、ドアを背にして立った。そこからわたしを眺めている。

――なんだおめえ。

 わたしはそうひとりごちた。またも車両をかえた。

●スーツメタボ系の男。

330.2018年9/18 西国分寺駅において武蔵野線からの連絡通路を歩く。前方をスーツメタボ系の男56?が連れの通常体型男48?とならんで、べちゃべちゃしゃべりつつ歩いている。わたしのすぐ前を歩いている。抜こうと思えばできた。だが抜かさなかった。男らから口中音が飛んでくると思ったからである。

 階段をあがりきり歩きだす。たまたますぐちかくにいた男、さっきのスーツメタボ系を抜き去ることになった。

 ごほっ。

 男がかました。ふりむくと、口元に拳をあてていた。ごまかしである。

 こんなことによくもまあエネルギーをつかうよな。わたしはそう思うしかなかった。 

●志木から乗った男。

329.2018年9/18 志木から乗ってきたスマホイヤホン男19?は、車両端のわたしの真ん前にきた。すわれるというのにすわらず、すぐそこで立ちつづけた。椅子や窓に背をむけ、右肩を車両の壁にもたせかけていた。はじめこそスマホに目をおとしていたものの、こんな男がよくやるようにスマホから目をあげ、わたしを見ていた。

 わたしは鉄道小冊子を防御の盾にした。次の朝霞台でおりるにあたり、この男はわたしの動くほうへぴたりと追うように首を動かした。たまたまそこにいる人に左右されるだけの精神脆弱な男にすぎなかった。

●東中野から乗った女。

328.2018年9/18 中野始発電車に乗る。最初の停車駅は東中野である。そこから乗りこんだ女43?は、あいている席がいくらでもあるのにわたしの真ん前にすわった。ここは優先席である。となりの車両の、ふつうの三人がけの席があいているというのに。顔を動かし、わたしを見た。

 わたしは次の大久保駅に着こうというとき席を立った。となりの車両へとむかう。その女はややおくれてスマホをぱたんととじた。聞こえよがしの音をたてた。いやがらせの音をたてたというわけだ。うっ。ごほっ。そんな口中音と同質のもの。人を不満のはけ口にしている。わたしのファイル作業中、靴やらズボンの裾端やらをスマホ越しにちらちらちらちら見ていたのにちがいない。類型女以外の何者でもなかった。

 この女の顔を初めからこのときまで徹頭徹尾見ていなかった。ストレスのすくない中野始発電車であったのにとんだストレスであった。

●夜おそくの女。

327.2016年5月某日。西荻南にセブンイレブンがある。その手前の交差点にさしかかっていたとき、右手からあらわれた女45?がすれちがいざま、うっと口中音をたてた。

 またやりやがって。

 ふりかえってそういい、うっと口中音をやりかえした。すると、その女からの「うっ」がふたたびきこえた。度し難い確信犯である。わたしを何度か見かけているのだろう。

 金曜夜11時ちかくに帰宅する女であった。すくなくともおのれの存在力を強めるようなことは何もしていないにちがいない。

 もうJR南側のあの道を歩くのはやめよう。ろくなことがおきないのは、なにもきのうの夜にかぎったことではない。

●東上線の男。西武バスの女。

326.2016年5月某日。小竹向原で各停に乗り換えた客がおりてあいたところがあった。そこに男〔年令不明〕がすわった。わたしの真ん前である。この男はなんの慎みもなく、頑執妄排の徒輩のごとくわたしを見つづけていた。

 終点の和光市で東上線に乗り換えた。すわれた。目の前に男が立つ。さっきの電車でわたしの真ん前にすわっていた男である。事前にわたしを見ていたのにちがいない。

 朝霞駅にて改札口へとむかっているとき、前からくる男65?がううっとわたしに口中音をたてた。

 吉祥寺行きの西武バスにおいて東京女子大入り口にておりようとデイパックに手をかけると、この動きに気づいたうしろの女は、ううっと口中音をたてた。わたしが降車ボタンをおしてからずっとこの女25?の心胸は平静ではなかったにちがいない。共同主観をこえた自己をもたない女であった。

●荻窪すき家。ローソン。セブン。

325.2018年9/15 昼、荻窪すき家に入る。カウンターにすわっている男のうちのひとり46?が顔をむけてきた。目を見ひらき、まばたきもせずわたしを見つづけた。注文品がでてくるのを待っている男だ。わたしはそれでもうなぎを食べたかったので、女店員にもちかえりの注文をしようとした。だがその男の視線がしゅうねくも投げこまれつづけていた。面貌に知性から何から豊かなものは何もないとみえた。

 注文をやめた。荻窪の同店に入ってきながら断念するのはこれで二度目である。一度目は、食べている男22?に顔をむけられ、うっと口中音をたてられた。もうこんな店には金輪際入らない。

 ちかくのローソンに入った。買うものを手にレジへとむかう。ふと通路を見ると、わたしが避けた女42くらい、よそゆきの服を着た女が、通路に立ちどまって目八分にスマホをしているとわかった。なぜにそこにいたか。商品棚の隙間からわたしの動きを見ていたのである。この女は何も買わないまま、いつしか店外に消えた。

 セブン杉並荻窪駅北口店に入る。入る気はしなかった。だがほかに適当な店はない。高円寺にある比較的ストレスのすくないセブンで買ってこなかったことが悔やまれた。銀行二行に立ち寄って通帳記入をしたことで気がまわらなかったのである。

 通路にいると、口笛がきこえてきた。わたしをめざすかのようにたッたッたッと歩いてくる男23?めがね高卒労働者ふうが口笛をわたしに吹きかけるかたわら脇をとおっていった。

――口笛吹いてる。

 独語するように口にだした。男にきこえたのだろう。その音の、何かしらの悪魔の楽音が弱まり、乱れた。

 土日祝日の昼にこのひときわせまい店に入ると、ろくな目にあわない。

●お茶パック。ダイソー。

324.2018年9/5 牛込柳町駅ちかくの百均ダイソーに入った。くすりの福太郎の地階にある。多少の時間があったことに加え、前々から煎茶用のお茶パックを買い足しておこうと思っていたからである。

 店内通路を歩いていると、男の気配があった。何を買おうとするでもなく客眺めにうろうろしているような男22?である。わたしを見つつ、すーっと鼻中音をたて、棚の陰に消えた。

 ほしい物のありかを店員バイト女性46?に訊く。ほんとうは相手にしたくないという顔をされつつ、当の物がすぐそこにあると教えてもらった。平日のこんな時間にいるのはどういう男や女かに思いがいき、はやく用をすませたくてならなかった。

 店前の拡幅工事中の通りへでるとき、なぜだかそこに女23?が立ちどまっていた。ポーチか何かのチャックを思いっきり音をたててしめた。その音は口中音・鼻中音とならぶ同質の排撃音にほかならなかった。些々たるおのれを、自己省察なくただ守りたい。そんな連中のひとりがまたいた。

●性懲りもなく。東西線。

323.2018年9/5 例によって18時頃早稲田駅から東西線に乗った。あとから乗ってきた女が車両の端までいき、そこに立った。そのあたりに立っているのはその女23?だけであり、座席はすべて埋まっていた。

 長椅子の脇にいた。かろうじて両ドア空間内におさまるくらいのところだ。いやな感じがした。その女が体をわずかにはすにし、首をまわしたからである。わたしを気にし、わたしを見ていた。あいだに遮蔽物となって立っている人はひとりもいなかった。わたしの風姿は、視線の哲学をもたない女の目線によってなぶられつづけた。当の女にとっての下位におかれつづけた。

 すぐ前にはドア脇陣取り男24?サラリーマンふうがいた。この男はドアに右肩をむけて立ち、スマホを見ているわけでもなく、そのうちに顔をわたしにむけるようになった。ごくちかくのわたしを気にしはじめたというわけである。

 小冊子を目の高さに掲げた。同時に左ななめうしろむこうのあの女の視線にもさいなまれていた。目の前の男はとうとう次駅高田馬場であくドアのほうに体をむけた。こうして車内にどんな人がいるのかを目にした。あの女とおなじである。

 わずかひと駅でホームにおり、うしろの車両に移動した。そことて見知らぬ乗客たちからの仮借のない目があった。それでもああいう女のいないだけましであった。

 三鷹行きであり中野でおりようとするとき、反転しなければならなかった。この車両に移ったときにわたしが背をむけたドア脇陣取り女スマホ23?が体を車内にむけていた。腕組みをし、スマホをもっているのにそうやり、顎をあげ顔を上へむけていた。わたしは思った、高田馬場から落合、中野と、この三駅のあいだ、もはやスマホどころではなくわたしをうしろからみっちり見つづけていたのだろう、と。

 小冊子を左こめかみに掲げた。こんな女の目をさえぎった。黄昏どきで混みあう中野駅ホーム上におりたった。

●オリンピック実況。レドモンド。

322.2016年4月某日。 NHKアナウンサーの島村某氏は1992年のバルセロナオリンピックで陸上男子400メートルの準決勝を実況した。日本の高野進が出場し、三位か四位以内であれば決勝の舞台にいけそうであった。途中トップを走っていた優勝候補レドモンドが失速、うずくまった。となりの解説者が叫んだ。

 やったー。

 公平を期していた島村は不愉快を禁じえなかった。そこでつかわないようにしていたガンバレをつかうことにした。

 高野ガンバレ、高野ガンバレ。

 がんばらない選手などいるわけがないのである。

 レドモンドは足をひきずりゴールまでたどりつこうとする。スタンドから男性が走りより、関係者の制止をふりはらって肩を抱いた。それはコーチたる父であった。彼は泣きじゃくるレドモンドとふたりで万雷の拍手のなかゴールを切った。サーキット大会であれば次の大会をめざせばいい。だがオリンピックはちがう。

 オリンピックには栄光もあれば、そして失意も悲劇もあります。

 島村の実況はまだわたしの耳底にある。

 夜、荻窪じゃんぼ総本店の角をすぎたとき、うしろからごほっと口中音がとんできた。ふりむくと女22くらいが目を見ひらいてわたしを見て歩いていた。わたしはもどることにした。

●光が丘プール更衣室。

321.2016年5月某日。 練馬区の光が丘プール更衣室。着替え中の男65くらいは体を部屋のなかへむけており、つかっているロッカーを背にしていた。着替え用の個室がいくつかあるのにつかっていず、ほかの人もつかっていなかった。

 水着へと着替えおわり個室からでると、すぐそこに脱水機使用中の男、さっきの男がいた。顔だけをわたしにむけ、わたしがどんなだかたしかめていた。たしかめられるほうの不快さにはとんと想像力がわかないようにみえた。

 初めて入ったプールで何分台から休憩時間となるのかわからずまわりの人のようすを見ていると、プールの縁に腰をかけているだけの女22がわたしへと顔をむけていた。

●女40くらい。成増。朝霞。

320.2016年4/25 成増駅でベンチにすわっていた。知らないうちにすぐうしろに、男55?がきていると気づいた。ほかにもあいているところはあったから、虫酸が走った。

 朝霞マルエツ上階にある文教堂で板橋本の立ち読みをしているとき、女40くらいが体をこちらにむけ顔はそらしているとわかった。この女は自分の幼童に声をかけた。わたしを牽制するためだ。

 この女の視線から逃れると、この女も動いた。わたしの視界に入りこみ、またも体をわたしにむけた。今度も顔はそらしていた。たちのわるさに、わたしはただちにその場を離れ、二階へ、一階へとおりた。

●夫の浮気。坂井眞。

319.2009年9/3 ある53才の女性は夫、54才と暮らす。こどもはふたり、26才の長女、25才の長男がいる。ともに未婚であるがすでに家をでている。

 夫は十年前から浮気をしている。その手のラブレターがあったことからわかった。妻たる相談者は我慢に我慢を重ね、三年前、夫の真意を問いただした。

 夫はいった。「彼女とは徐々に別れる。ひと息に切ったら、彼女は自殺しかねない」

 しかし夫は言葉を実行に移さなかった。いま39か40才の独身の彼女は、さらにちかくのアパートに引っ越してきている始末である。

 相談者がひそかに見た夫のメールには、こうあった。

「いっしょに仕事をしよう」

 夫は従業員を二人、三人と抱える自営業者である。妻はひとりで生活できるくらいの収入のある仕事をもっているけれども、夫の仕事を手伝ってきた。夫のそんなメールは妻の心中を打ちのめした。

「どっちも手放せない」と、夫はいった。

 家は持ち家である。ローンがまだ残っている。離婚したとき、家をもらってもかえって困るのではと、妻は悩んでいる。

 坂井眞[弁護士]は次のようにこたえた。

「不貞行為をしたのだから夫から慰謝料をとれる。また、先方の女は、妻がいることを重々わかっていながら深い交際をしていたのだから民法上の不法行為をしていたのであり、こちらからも慰謝料がとれる。離婚の際、夫婦でつくった財産は夫婦で分けることになる。家がもらえたら、売る手もあるのであり、なにも心配することはない」

●夫の浮気。大迫恵美子。

318.2009年9/1 ある58才の女性は62才の夫とのあいだに36才、34才、32才、男、女、男の三人の子がいる。このうちの長女がその夫との離婚をめぐってこじれている。

 長女は夫の浮気が原因で別居し、アパートを借りた。そこから実家にごはんを食べにきたりしている。

 こどもは三人いる。上の子は幼稚園児である。

 36才の夫は離婚の件について口をきかない。交渉窓口になっているのは夫の父親である。この人は強気であって、嫁の実家に離婚条件をめぐっての手紙を送ってきた。ワープロで書いたものだ。養育費は一切ださないなどと条件をつきつけてきた。

 夫は女といっしょに住んでいる。そこに女物の下着が干してあったからである。だが、それは会社の同僚だとかなんとか、白ばっくれている。こども三人のことを考えるなら別れずにやりなおそうとの口約束をした矢先のことである。

 こども三人は母の実家で祖父母と暮らす。

「僕たちのパパは、僕たちのパパは…」と孫たちがいうのをきくと、祖母たる相談者の目から思わず涙がこぼれてくる。

 養育費は先方からもらえないとあきらめるしかないのか。

 大迫恵美子〔弁護士〕は次のようにいった。

「毎月の養育費の記録が銀行通帳に残っていれば、むずかしい年令になったときに支えになる。かげながら見守ってくれる人がいると思えるのは大きなことだ」

 家裁の調停の場に夫がでてこなければ調停は不成立におわる。裁判へとすすむしかない。 

●シングルマザー。残間里江子。

317.2009年8/31 残間里江子はそもそも静岡放送の女子アナであった。局アナをやめたものの、その頃はいまのようにフリーアナウンサーとしての仕事はなかった。やがて出版業界に再就職を果たす。音楽雑誌の編集長を経て、みずから会社をつくっていく。ついた肩書きはメディアプロデューサーである。

 彼女はたしか正式な結婚をしないままこどもを産み、シングルマザーとなった。瀬戸内晴美〔寂聴〕は『愛の倫理』のなかで次のように書いた。「本当に自由な女とは、好きな男の子供を、法律とは無関係に産んで、男の経済力を当てにしないでその子を育てていける女だ」。

 その子はいま、二十才の男子大学生であり、留学を考えている。

 大学の教室の前のほうにすわっているのは中国や韓国からの留学生ばかりである。大学生活はおもしろいけれども、何か物足りない。このままではだめだ。そう思った彼は留学に前途を見出した。

 母の残間はいう。わたしは彼の育児係だ、と。一人立ちできるまでは餌を与える。そこまでだという意識が彼女の胸懐にある。

 かつて残間は友人であった故安井かずみに、男は水回りだと教えられ、それを息子に教育してきた。家内の水回りを、わけてもきれいにしろ。髪の毛一本残しておくな、と。それからというもの、彼は女友だちや恋人の部屋にいくと、女の子の動静よりか落ちている髪の毛一本が気になってならなくなったという。

 残間は午前一時に寝て四時に起きる。どこからも電話のこない早朝の静寂のなか、本を読んだり依頼されている原稿を書いたりする。

 月曜の朝がいちばん好きなのと彼女はいう。今週どんな人と会えるのか楽しみだからだそうだ。

注:上記はラジオを聴いての文章です。残間さんにどうこうはまったくありません。

●舌べろを打つ男。

316.2009年8/25 朝の西荻窪駅へと通勤の人たちがひっきりなしに流れこんでいた。わたしもそのひとりと化していた。だが行く道はどこか折れまがっていた。人を押しのけてとか、人を横柄にかきわけてとかいうのはなかった。それで前からきた三十前後くらいの男との衝突を避けようとし、その男もまた避けようとするも、双方の流れはわずかにとぎれた。すれちがいざま、男はちぇっと聞こえよがしに舌打ちをした。あからさまに人に何かを働きかけなければおかない。その程度の男にすぎなかった。

●電車のなかの特等席。

315.2009年8/25 朝の総武線の車両に二十代とおぼしき女がいた。この女は扉の端の特等席に肩をもたせかけて陣取っていた。乗りこんできたわたしに顔をむけ、じろりと見た。

 ちかづいてくるな。なんだ、てめえ。

 そんな声々が女の瞳の、底の浅いむこう側から聞こえてきていた。朝にしろ、いつにしろ、電車が公共のものであるという意識は、その女の心胸のなかにとんとないようであった。

●昇りエスカレーター。

314.2009年8/15土曜 荻窪駅の昇りエスカレーターでわたしのすぐ前の若い男は携帯電話をかけているさなかにあった。その前の若い女はふりむいて男の額髪をなでつけていた。その行為は、ほかならぬ赤の他人のわたしへの、隔意ふんぷんたる当てつけにちがいなかった。

●渡辺淳一。豊崎由美の見解。

313.2009年8/15 豊崎由美なる女性が書評家としてラジオニッポンにでていた。書評家であると周囲から思われ、みずからもそう名乗っている。職業的淵源は4才の頃にある。九つちがいの姉から児童文学の本を借りて読み始めた。

 大学をでてからは、女の裸の写真が全編の半分におよぶ雑誌のなかで文章のページを書いていた。読者からの投稿では、投稿者と回答者の二役を兼ねていた。同誌において文名があがり、書評の仕事があちこちからくるようになる。

 月に二十五冊は読む。売れっ子書評家のひとりである。元々買っていた2DKのマンションは本で埋まり、おなじマンション内で3DKが賃貸にでたとき、すかさず契約をした。こちらの部屋の壁という壁も本に侵されつつある。

 渡辺淳一の話題作『愛の流刑地』をクソ小説と罵倒した。

●ストローでジュースを飲む音。

312.2018年9/2 総武中央線三鷹行きに乗ってすわっているとき、ひとつおいたとなりに人がきたとわかった。走行中のこととて、そこがあいていると気づいた人が、場所をえりごのみしたのだと踏んだ。手にしていた小冊子の下端から、どうやら男がきたとわかった。足を組んでいる。すわるやそうしたらしかった。

 小冊子の縁から男をうかがう。60くらいの、つまらない卑小な男にみえた。むろん見かけは見映えよく整えていた。

 小冊子を盾にした。そんな男を視界にいれないでいた。音がきこえてきた。ジュースか何かをストローで飲んでいる。

 じゅるじゅる、じゅぼじゅるる。

 小冊子で顔のみえないわたしの耳にむけて、わざとそんな音をたてていると思えた。

 おりる中野にちかづいていたとき、掲げつづけていた鉄道小冊子の陰からその男を一瞬見ると、男はわたしへと顔をむけていた。

 ぎぇッー。

 心的世界黒闇の男がまたいた。そんな男の前をまわりこむことはせず、連結部をとおってひとつ前の車両へいき、そこから中野駅ホーム上におりた。

●まいばすけっとの男女。

311.2018年9/3 きのう昼前、荻窪まいばすけっとにおいてレジ清算中、ごほっと口中音がした。ふりむくと男56?霜降りのひげ面がわたしに体をむけ、まじろぎもせずわたしを見ていた。そこは順番を待つところではない。かたわらの順番待ちのところにはレジカゴを手にした女53?がおり、男はこの女の連れとみえた。

 この女もまた体と顔の両方をわたしにむけていた。顔には何かほくそえんでいるようなうらみさえあった。わたしは清算にいくらか手間取っていた。店員男28?がチャージの分も含めてレシート2枚のところ、1枚しかよこさなかったからである。 

 これに男は反応したというわけである。早くやれということであった。ごほっごほっ。男はまたもやった。最初のもののごまかしと、さらなる威嚇攻撃の二重の意味がこめられているとみえた。

●いびつ頭。中央線の男。

310.2018年8/28 16:20 国分寺から乗ってきた男がドア前に女と立ち、べちゃべちゃしゃべっていた。その声はわたしの背中にむかっていた。わたしを見ながらしゃべくっているというわけだ。

 次の次の駅で男23?が乗りこんできた。わたしのちかくに立った。ドアのむこう側があいているというのにわたしを意識して立った。

 ふりむき、先の男を見た。思ったとおり体をわたしの背中にむけて立っている。顔だけは連れの女にむいていた。下衆な男である。本を読むことなど生平まったくしていないようにみえた。体は太めであり、顔は採石場から切りだされたばかりのような岩石に似ていた。この男がドア側をむいていびつ頭をみせたのは、男23?がドアを背にしてスマホという体勢になったからである。

 個と孤で生きている人はいない。