★『おくりびと』。映画館のカップル。同棲中。사.cuatro.

82~112

●サラリーマンの口笛。中村三丁目バス停。

112.2008年11/8 中村三丁目のバス停でバスを待っているとき、口笛の音がした。何かの楽音を、おぞましくも口笛で奏でていた。その音は遠くからやってきていた。ほどなく歩いてちかづいてきた男が、サラリーマンにちがいないスーツ姿に鞄の男が、いけしゃあしゃあと口笛を吹きつづけ、わたしの目の前を通りすぎてもなお吹きつづけ、さらに歩いた折、女とすれちがう段になってぴたりと吹きやめた。口笛は赤の他人のわたしへのはなはだしい挑発であった。

 ひとけのなかった女子大通りを自転車の両手ばなしで走ってくる男もまた、わたしに口笛をふいてすれちがっていった。

 上のふたりは、独立自存の精神をもたない。俗世間にどっぷりつかるのみの奴輩である。

●コーヒー無料券。ママのおトイレ。

111.2009年1/24 マック荻窪店でとなりにいた男二十代くらいはおなじくらいの年恰好の女とふたりできていた。

――コーヒー、ブラックで飲んだんだっけ。

 女は男に訊いた。かつて何がしかの関係にあってもいまは格別何かの間柄ではなく、ひさしぶりに会ったといった感じのふたりとみえた。

 女が洗面所へいくと、男はわたしにプレミアムローストコーヒーの無料券をくれた。しかも三枚もである。こんな人もいる。

 そのふたりがいなくなってから、今度は二十代後半らしき母親と、そのこども三才か四才くらいがわたしの横の座席をしめた。

――ママ、おトイレ行ってくる。ここにいられる?

 母は息子にそう言った。

――パパあしたうちでお仕事なんだって。あしたもママと遊ぼ。

 これは自分の存在価値を人に知らしめるための発言である。それとなく匂わせるつもりであっても、その効果はどぎついものであった。

●ヒールの音。女が接近する。

110.2009年1/24 上井草プールでひと泳ぎしたあとの荻窪への道において、こつこつとしたヒールの音がうしろからちかづいてくる。その距離が次第次第にせばまってきていると耳でとらえていた。わたしのほうは左足の痛みのために、二十才前後かの女にちがいない足音から逃れることができなかった。

 とうとう枝道に入りこんで左足を休ませ、女にちがいないその人を先に行かせることとした。折しも足音の接近の度合いがかわった。女はわたしを避け、道の反対側へ移ったのである。これ見よがしの、いや聞こえよがしの嫌忌のやり口であった。

 女がバス停らしきところでその顔をわたしの目にみせることとなった。初めからその地点が目当てであったのなら、初めから道のそっち側を歩いてこればよく、なにもヒールの音でわたしに圧力をかけることは毫末もなかったのである。そっち側にガードレールがないとしても、そうすればよかったのである。あらゆる機会を貪婪にとらえ、男への忌避をしめす。こうしておのれの存在の優越を際立たせる。これが愚かな部類の女である。

●黒いミニスカートの女。ばんっと怒りもあらわに。

109.2009年3/14 ぱんぱんのレジ袋をふたつ三つもった中老の女が荻窪駅の西口改札へといく。髪はざんばらにちかいおかっぱであった。わたしはなんとなく胡乱なものをかぎとり、その女につづいて改札を通る気がしなくなった。改札口のわずかに手前、体の前面が読みとり機すれすれになったくらいのところでやにわに踵をかえす。半身の態勢であとずさる。わたしのすぐあとにつづいていた女は、あおりをうけ横のSuica専用の読みとり機のほうへと動き、同カードを同機上のめざすところへばんと乱暴に押しあてすたすた歩いていった。その乱暴さはわたしによってなめらかな歩みをさまたげられたことへの、すみやかな怒りの発露であった。聞こえよがしの当てつけであった。わたしはこの女20何才かの背中へむけ、舌べろをだした。

 上の女は両手をフード付きのハーフコートにつっこんでハイヒールの黒ブーツ、黒いミニスカートといういでたちで何かへの鬱結した不満を抱えもっているようにゆっくり階段をおりていった。やがて二番線ホームの線路寄りで電車を待っていた。黒いハイヒールのブーツの片方を、もう片方のうしろにまわした立ち姿であり、あいかわらず両手はハーフコートのポケットに突っこんだまま、左前方の三番線ホームを見たりしていた。その目の動くさまといったら、何かに熱中的にむかうといった切なさをまるで感じさせないものであった。ばんっと怒りもあらわにSuicaカードを読みとり機に押しあてた態度があったゆえに、わたしに見られつづけ文字化されることになったとは万にひとつも思いもよらないにちがいない。

●帽子にマスク。じーっと。

108.2009年2/15 帽子を目深にかぶったうえに大きなマスクをしていた男、五十代か六十代の男が狭い細道のまんなか寄りを歩いてじーっとわたしを見ながら、すなわち顔を、正面ではなく斜め前にむけて歩いていた。このようにわたしに把捉されていることもわからず、恬として秋毫も恥じることなく、何秒ものあいだ同じ体勢でありつづけた。放恣にしてとりとめもない好奇心のおもむくまま思い存分に、たっぷりとわたしを観察し、もうすぐすれちがうという段になって今度は顔をまったく別方向へとむけた。わたしとは目をあわせまいという確たる隔壁をこしらえた。まったくもってなんというえげつない、愚昧の極みの奴輩だったのだろう。

●女が歩く。マック中村橋店。

107.2009年2/13 マック中村橋店において、ある女はこつこつ靴音をさせ、もったいぶったように歩いていた。あいている席がいっぱいあるのに席を見比べて歩き、なかなか席につかず、ようやくわたしの視界から消えた。何かしら、どこかしら優越感をもった、鼻持ちならない女にみえた。その女のもっている矜持は、大いなる天界の清涼たる秩序ないしは無秩序からみるなら、とてつもなく愚劣である。

●交通事故の心理。懲役五年の実刑

106.2008年11/13 ある男性は会社帰りに同僚と酒を飲み、自分の車のなかで一時間仮睡してから車を運転し自宅へむかった。深夜のすいている道の前方に一台の車がとまっていた。彼は酔いの残るなかば朦朧とした頭でまともに考えることができず、なぜそこに車がとまっているのか冷静に思念をめぐらすことができない。追い越し車線へと動き、走行車線でとまっている車の脇を通りぬけようとしたまさにその瞬間、人をはねた。そこは横断歩道であり、とまっていた車は歩行者の横断のためにそうしていたのである。

 この事故で彼は懲役五年の実刑をうけた。

 これとほとんどそっくり同じ心理をわたしも経験している。わたしの場合は酒を飲んではいなかった。飲んでいなくてもそんな思いこみはじゅうぶんに起こりうるだろう。

●ある45才の女性。夫の不倫。

105.2008年9/25 ある45才の女性に50才の夫がいる。こどもはふたりいて、25才の娘はすでに嫁ぎ、20才の息子は大学生である。

 ある夜、夫の携帯電話が鳴り、夫がでないことがあった。妻が、でないの?とうながしても夫は頑として応じなかった。こんなことでの夫の腹の立てぶりに、妻は浮気を疑った。

 妻は夫のケータイをひそかにチェックするようになった。一日三十回も相手の女から電話がかかってきていた。どうやら夫はその女と別れようとし、女のほうは拒んでいるようだった。

 やがて相手の女が会社の後輩であって、40才の独身であるとわかった。浮気は十年つづいているようだった。

 夫は夜、飲み会でおそくなるときにはきまって、あと何分ぐらいで帰れるからと電話をよこしていた。ところが、ある夜はそれがなかった。妻は帰ってきた夫のケータイメールをこっそり見た。

<無事帰れましたか>とあった。

<無事帰れた>と夫は返信をし、絵文字も添えてあった。妻に絵文字をつかったことは一度としてないというのに。

 この夜の行動について、二次会でカラオケにいって電話ができなかったと夫は釈明した。

 その後のメールには、<まだ起きてるかい>とか<こないだは出張でメールできなくてごめん>だとかあった。不倫の関係はつづいていた。

 相談者たる女性は専業主婦である。ひとりでいると夫の行動への妄想がひろがり、しまいには涙にかきくれる。それでも一晩に三時間ほどは眠れる。三時間で起きてもそばに夫が寝ていると安心できる。食欲はふつうにある。

 夫に映画や外食をもとめると、応じてくれる。そんな機会が彼女にとってはたのしい。

 妻は当の女性のことを夫に尋ねた。夫は「つきあってもいないし、別れてもいない」といった。そもそもの浮気を否定した。先方の住んでいる所はわかっている。そこで夫を待ち伏せていようかと妻は思う。思うだけで実行には移していない。

 妻は、夫のケータイをチェックしていることを夫にはいまだ話していない。それを打ち明けた時点で夫は憤然とキレるにちがいないからである。そうなったら一気に夫のほうから離婚へとなだれこむと感覚的にわかるからである。

 加藤諦三は次のようにいった。

「あくまで良い奥さんを演じながら、夫の浮気を解決したい。修羅場はいやですというのは無理です」

●妻が離婚を口にする。大迫恵美子

104.2009年3/17 ある43才の男性は会社員である。同じ43才の妻がいて、こどもは18才の長女、中二の次女、小二の長男の三人がいる。

 妻は長男を産んでからパート勤めをしてきている。その様子がどうもおかしいので彼は妻のケータイメールを見てみた。すると職場の男と食事をする約束のメールがあった。夫たる彼は、妻に断りのメールを打たせた。

 妻は月に四五回は飲みにでて、午前様になっている。彼は夜中の一時半にでて午後二時、二時半に帰る仕事をしている。妻が午前様のとき、彼がすでに仕事にでている日もあった。

 妻は夫への不満を口にした。話しをしたいときに、あなたはけむたがった、と。

 たしかにそうだったと、夫は思う。14年前にいまの仕事にかわり、それからは忙しくて家事を手伝うことはなかった。

 ここ五年以上、夫婦生活がない。彼が妻をもとめると、「お金をあげるから外でやってきてくれ」と妻はにべもない。

 ふたりで話しあったとき、妻は離婚を口にした。あなたに愛情をもてないと妻はいった。夫の母が駆けつけ、妻をなだめる事態となった。

 もし離婚となったらこどもたちの親権は妻へいくだろう。だから、別れるのはつらい。だが、いっしょにいるのもつらいと相談者たる彼は思う。

 大迫恵美子(弁護士)はいった。

「法的な面だけを切りとるなら、単なる性格の不一致ということになる。どっちかを責めて慰謝料うんぬんまでいく話ではない。

 大迫氏はつづけて、

「長女次女は年令からいってその意見は尊重される。親が無理無体なことをしても、たとえば父のもとから母のもとへと電車をつかったって何だっていけてしまうからである。小二の長男については、きょうだいは分けないというのが家裁の原則であり、母のほうが親権者となるだろう」

「こどもを置いて飲みにでることはどうなんですか」と相談者。

「それくらいでは問題にならない」

 児玉清は、女性は一度背をむけると元にはもどらないといいますよ、といった。

 大迫はいった。

「妻は子育てに忙しくて夫への関心を失っていった。あなたは妻にあわせてはいけなかった。ときには妻をほめるべきだった。恋愛のときは、相手に思われて心地よかったはずです。女は夫にほめられたら、この人は自分のことをわかってくれていると思う生き物なんです。歯の浮くようなことでもいいから言ってみるんです」

●『おくりびと』。映画館のカップル。同棲中。

103.2009年3/14 当今話題の米アカデミー賞外国語映画賞受賞作『おくりびと』を見たカップルがいた。文化放送のさるレポーター氏は上映後にそのカップルのあとをつけ、マックの彼彼女の背後の席にすわった。このふたりは女がふたつか三つ年上のカップルらしかった。

「あんたさあ、せっかくの映画の最中になんで寝るのよ」と女。

 彼女は上映中、感きわまっての涙を、周囲がそれとわかるほどにぽろぽろ流していた。

「一日何時間寝てんのよ。寝てばっかじゃん。十五時間は寝てるよっ」

「んなことねえよ」と男は憮然とした口ぶりで、けれどもぐうの音もでない口ぶりでそういった。「十時間ぐらいしか寝てねえよ」

「田舎のお父さんお母さん、どう思ってるかわかってんの?仕事しなさいよ」

「してるよ。バイト」

 同棲中、年上の彼女は彼をどうにか訓導しようと試みるも、彼の不甲斐なさゆえいっこうに効果ははかばかしくないといったていであった。

●ほんとうの感情を隠す。マドモアゼル・愛。

102.2011年4/18 ある37才の男性は実家に両親と暮らしている。父は71才、母は68才である。

 32才のときに一度結婚したことがあった。相手の女性は会社の同僚であり、こどもができたので入籍、結婚したわけだ。だが翌年には離婚した。彼がふりかえって思うに、短期間に相手のことをよく理解できていないままに結婚してしまっていた。

 嘘をついてしまう。自分で自分を抑えられずに嘘をつく。

 人にたいして下手、下手にでる。へりくだる。迎合する。

 長男である。期待されていた。

 加藤諦三は「無理をしてこなかった?」と訊いた。

「してきました」

 父はいわゆる出稼ぎにでていた。盆と正月にしか家にいなかった。父が家にいないあいだ、母と同じ田舎だという男性がいた。小学校の五年生のときから二十才ぐらいまで、その男性が家に居つづけた。

「いやだった」と相談者はいった。

「ほんとうの感情を隠して生きてきたんです」と加藤はいった。「素直な気もちを吐きだせば家のなかがこわれると不安になり、かといっていわないでいると不愉快だった」

 マドモアゼル・愛氏はいった。

「お父さんはお母さんに、なんで男なんか連れこんでいるんだといえなかった。それはお父さんの弱さだった。一方お母さんはずるかった。あなたはあなたで追及しない弱さをもっていた」

 ホメロスの『オデュッセイア』に次の状況がある。男性がトロイ戦争にでかけているあいだに、婚約者たる女性がほかの男を家に住まわせているというものだ。あなたの家は人類の原初の悲劇を再現していたと愛氏は指摘した。

 愛氏はさらにいった。

「ほんとうに欲しいものを手に入れられないでいると、人はごまかして生きるようになる。嘘をついたり、理屈をこねたりする。恋愛においてが最たるものである。手に入れようとして失敗したっていいのだ。あなたにとって好きな女とは初めには母であった。その母が、わけのわからない男にとられていたということだ。あなたは闘って男の部分を取りもどしていかなければならない。涵養していかなければならない。37才はまだ若い」

 加藤は「あなたは37才までよく辛さに耐えて生きてきましたね」とほめた。「ふつうなら社会的、心理的に崩壊しています」

 嘘をついてその場をつくろっても無意識の領域では代価を支払っていますと加藤は締めくくった。

津波。高校女性教師。

101.2011年4/17 ある29才の高校教師の女性は先の大地震のあったとき、プールのほうにいる生徒を呼びにいった。そこで巨大津波に流され、生きて帰ることはなかった。

 夫は43才、高校教師である。同じ高校に勤めていたときに知りあい、昨年結婚したばかりであった。

有袋類カンガルー。不毛の旅。

100.2011年4/17 オーストラリアにおいて有袋類のカンガルーの母、その子、袋のなかの子、受精卵の四つの命が干上がった水場を離れていく。不毛の大地で水や食料をもとめてあらたな旅をはじめる。

 有袋類は母の袋のなかで次の世代が守られてきたからこそ、環境の、乾燥への変化に耐えられてきたのだという。

 不毛の俗界での旅。わたしはそんな旅をしていよう。きょうの福しんでの男は、まさにわたしの求めるところとは対極をなしていた。俗界に棲息する代表選手のような人であった。

●昼間っからビール。福しん井荻店。

99.2011年4/17 プールで泳いだあと井荻駅そばの福しんに入った。あいにくと隣りあわないですわれるところはなさそうであり、すでに食べおわったとおぼしき男のとなりにきめた。その男、二十代の域内ぐらいの男は、食べおわっているとみえたのに組んだ腕をカウンターにのせたままいっこうに動かなかった。そのむこうのもっと若そうな男がラーメンを食べつづけ、このふたりは連れであって先に食べおえた男が待っているのかとわたしは思った。だが、ふたりの男のあいだにはまったく会話はなかった。隣りの男はつまようじで歯をせせりだした。

 この男はコップのなかのものを飲んだ。ビールらしかった。ついで<みそセット>と注文した。酒を飲んで長居をしていたのである。そのむこうの男はいつしか食べおえ、ひとりで帰っていった。

 男はとうに食べおわっていた皿をわたしのほうへ寄せた。ほどなくわたしの注文した<しょうが焼き・おともラーメンつき>が運ばれてきて、わたしは右手のすぐ先に、人の食べおえた汚れた皿を目にすることになった。なぜ男が皿をわたしのほうへ寄せたのかといえば、わたしが体勢からして男を避けていたことへの反撃であったのだろう。男がつまようじをつかっていたから、わたしの横でそうしていたから避けていたわけである。ようやく男は皿を、店員さんが片づけられるように上方の台にのせた。

 ひとつおいた左どなりの男性がラーメンを食べおえ清算をすますや、わたしは右の男から椅子ひとつ分距離をとった。食べているわたしを、男は<みそセット>を食べながらもじろじろ見ていた。ひとつ先が端の席なのにそこに移ることもなかった。昼間っからビール、腕組み、つまようじせせり、またティッシュペーパーでの鼻かみもあり、人を眺めることといい、これだけの散漫ぶりでは居常、何にも没頭できていないということであろう。

●メモ帳とペン。女。

98.2011年4/17[記述日] 吉祥寺から西荻窪駅南の先へと五日市街道を歩いているとき、うしろで足音がするのに気づいた。接近されつづけるのもなんなのでその人に追い抜いてもらおうと、ふいに逆行し目論見を果たした。その人は30代前半くらいの女であった。そのときのわたしには性的な関心は毫末もなかった。ただ先に行ってほしかった。ひとりでいたかったのである。

 女はすぐそこの塀のむこうへと入りこんで姿が見えなくなった。やられたとわたしは直覚した。女は塀の陰から顔をだし、メモ帳のようなものとペンを手にわたしを眺めにかかった。この女には歩くという目的は何らないようであった。わたしはそんな女のあざとさを嫌忌し、さらに逆戻りし細道へと入っていく。

 西荻南のほうへまわりたかったので、しばらくしてまた元きた道へともどった。もう先の女の姿はなかった。あの塀は歯科医院の入口へと通じるものであり同医院は木曜のその日休院であると看板にあった。あの女がカモフラージュでメモ帳とペンを手にしていたことがわたしの心中で確たるものとなった。人の性的な意図を邪推し、人を下位に押しこめようとし、人を欺きにかかっていた。そんな対象にされるのはたまったものではない。

●更衣室。土曜午後三時。上井草プール。

97.2011年4/16 上井草スポーツセンターのプール更衣室において、わたしのすぐあとにきた人とロッカーがちかくになった。その男は40代くらいであり、わたしのほうに体をむけて着替えをしつづけていた。ほとんどの人はわたしのほうを見て着替えをする。それらの人は運動部の部室で着替えをするような経験がないにちがいない。

 プール内はこの時期にしては、やたらめったら混んでいた。前にも見かけた老女といえるくらいの女もいた。うまさからは懸け離れたクロールをし、コース端では自分本位の手前勝手な休憩をとり、前後の人の間合いを乱す。こういう女の存在ゆえにコース端で詰まってしまった人を先へとうながす始末であった。凛としたところ、颯爽としたところのまるでない、垣間見られもしない、厚かましいだけの人であった。常連らしいのに、なにも土曜の午後三時すぎにくることはないのにと思えた。

●清水屋のパン。暴戻の自転車。

96.2011年4/16 パン屋の清水屋とは道をへだてて反対側を歩いていたとき、きょうこそはパンを、手作りで美味だというパンを買ってみようとまさしくふいに思いたち、歩みをとめ、半身になってふりむく。道を渡ろうとするや自転車が走りこんできて、わたしはあわてて立ちすくんだ。自転車の20代の男は間髪をいれないタイミングで、よくもまあでるわと感心させられるくらいのタイミングで、ちぇっと舌打ちしわたしのすぐ目の前を通りすぎていった。道路というものが自転車が走るためだけのものではないことはいわずもがなである。すいすいまっすぐ走れなかったことをその男は厭うたのである。

●ふたり連れ女子高生。四人の男子高校生。

95.2009年10/23 荻窪駅南口のマックにおいて席にすわっている二人連れ女子高生のうちのひとりが、こういった。

「席をさがしている人を見ると、どかないでいようって意地悪したくなっちゃう」

 折しも四人の男子高校生が四人まとまってすわれる席をさがしており、それを当の女子高生は見ていた。女子高生ふたりのあいだの会話の種はとっくに尽き、深まる沈黙を御しかねていた。

●妻の言い逃れ。肉体関係はない。大迫恵美子

94.2009年10/23 ある40才の男性は41才の妻をもつ。妻はあるサークルに所属し、そこで浮気をした。相談者たる男性はどう心の整理をつけたらよいのか思いあぐねている。

 結婚して17年である。16才の高1の長女、11才の小5の次女がいる。彼は会社員であり、去年から単身赴任をしている。妻の浮気はその虚をついてのことである。

 相手は31才、サークル仲間である。サークルとは体を動かすスポーツサークルであり、妻は3年前から入っている。そこには男も女もいる。外での交際がひろがることから夫としてはあまり行かせたくなかった。それは嫉妬にちかい感情であった。

 彼は整理整頓にこまかい。口やかましく、しかのみならずことのほか短気である。それゆえ夫婦のあいだで絶えず口喧嘩があった。けれども夫婦関係が途絶えることはなかった。

 サークルは夜にある。妻は7時半にでかける。いつの頃からか帰りが遅くなった。たびたび遅いので夫は不信感を抱くに至った。単身赴任先から帰った夜10時11時になっても妻がいないこともあった。

 夫は妻のケータイメールをこっそりのぞいた。飲み会のさなかでの会話があった。

 ――そっちへ行きたい、と妻。

 ――こればいいじゃん、と相手。

 ケータイメールで不義の、燃えあがっていく思いを女友だちに相談していた。

 ――ばれないように気をつけたほうがいいよ、と女友だちは親切にも助言していた。

 夫、妻、彼女の両親の四者で話しあった。夫は妻に離婚するといった。彼女は黙りこくるばかりであった。その両親は、離婚まではと押しとどめた。

 夫は相手の男性にも会っている。すいませんでした、軽率でしたとの謝罪をうけた。

 肉体関係はないと妻も相手もいう。しかし夫としてはどうにも割りきることができない。

 大迫恵美子[弁護士]はいった。

「これは深刻である。奥さんは41才、世間でいうアラフォーは、女がきれいでいられる、かわいくいられる最後の機会である。年下の31才の男性との交際は、浮かれてたのしかったにちがいない。他方、心のどこかでは、こんなことは自分は本気ではないと思っていただろう。奥さんにとって浮気は逃げ場であり、はかない望みだった」

 邯鄲の夢。

 大迫氏はつづけた。

「あなたが許す許さないで奥さんに迫ると、奥さんはあなたに不満であるのにあやまる立場に追いこまれる。不満がいえなくなる。これでは溝は深まる一方である」

 大迫氏はさらにいった。

「奥さんは彼といて自分をとりもどせた。あなたといては自分はもうだめだとの暗い鬱屈をかかえていた。明りが灯ればそっちへいく。なんて女は図々しいんだと男性は思うだろう。が、それが女の、女たるゆえの性である。おまえだけが大好きだと奥さんにいおう。正しいか正しくないかの規矩準縄では男女のあいだは律しきれるものではない。愛しているほうが負けることもある理不尽なゲームなのです。あなたが提示すべき、宣示すべきは、ぼくはこんなに努力してるんだといことであり、これが正しい答えです」

 今井通子はいった。

「言葉でいえなければ奥さんにやさしくしてあげよう。愛の目で見つめていることをわかってもらえる仕草をどこかで覚えたほうがいいかもよ」

 相談者たる男性はわらい声をもらしていた。

●マックの舌打ち。文庫本。

93.2008年11/13 マック中村橋店でテーブルに紙のコーヒーカップをおくと、となりで文庫本を読んでいた男は、ちぇっと舌打ちした。そこにすわるなというも同然の舌打ちでった。文庫本をまともに読んではいなかったのである。

性同一性障害なのかそれとも・・・。大原敬子。

92.2009年2/16 ある48才の男性は同じ48才の妻、24才の娘の三人家族である。このひとり娘が、自分は性同一性障害だと最近になっていいだした。

 娘は理工系の大学生である。

 これからどうするのか家族三人で膝を突きあわせて会議をした。娘はいった。いままでいい子だったじゃないか、と。

 そのとおり、娘は親のいうことをよくきき、学校でも勉強・運動の両面にわたりよくできた。

 小学生のときはバスケットをしていた。中学校ではバスケットではないものをしていた。

 加藤諦三は次のようにいった。

「一生懸命だったかではなくてたのしかったのかどうか。この点が肝心なんです。中学で部活がかわったということは、小学生のときのバスケットがかならずしもたのしくはなかったのではないか」

 娘は理工系の大学をやめたいという。大学を受けなおしてもいいと父がいうと、娘はそれまでみせたこともないような安堵の表情になった。

 加藤はいう、

「実は男の子が欲しかったのでは?というのは文系は女性的であるのにたいし、理工系は男性のほうが多いんです。スポーツも男性的です」

 加藤はつづけた。

「彼女は父と母の心にある期待を敏感に反映し行動していた。ずっとよい子であるということは、親の期待にかなう子でありつづけたということです。よい子であればあるほど年令を追って無理がでてくるんです」

 加藤はさらにいう、

「彼女は非常にやさしい子であり、人の心を汲みとっていく子なんです。自分の欲望のために人を犠牲にすることはなく、人のためにすすんで自分が犠牲になります」

 大原敬子は「こどものために家族会議はありえない。娘さんは世間よりも父がこわいんです。父のあわれむ目がこわいんです」といった。「大事なのは生きることではなく、生きぬくことなんです。最終的には、どうあろうとも生きていればいいんです」

 大原はさらにいいたした。

「娘さんの考えを、心をからっぽにしてきいてあげる。うけとめる。おまえの行く道をかならず見守るといってあげる。子育てが失敗だったといってしまったら娘さんはこの先生きていく甲斐がない」

 加藤は、本心をいう環境をつくってあげることを提案した。医学の観点からほんとうに性同一性障害なのか。それとも、親の期待のために無理をして自分でない自分を生きてきた結果なのか、と。

 人の期待にかなえようと自分を犠牲にするよい子は自分も周囲もだめにしますと、加藤は締めくくった。

●黒いサングラスの女。ミニバンの運転席。

91.2016年2月某日 上石神井セブンイレブンをでると、すぐそこの小道のところにある保育所の脇に黒いミニバンがとまっており、運転席にいる女、黒いサングラスをかけて顔を隠している女30くらいがわたしへとじーっと視線をあてていた。わたしが道の反対側へ移っていくと、このクルマは動きだした。わたしの動きを見てのことにちがいなかった。

 前に自室からでて右へとると離れた前方に商用の軽のバンがとまっており、わたしは運転席に人がいるかどうかをたしかめないまま歩き、このクルマの横をとおりぬけた。と、クルマは発進した。運転手はわたしを見つづけ、わたしがうしろへいくのを見計らってエンジンをかけたというわけであった。

●女が缶を放り投げる。

90.2008年10/22 飲みおえたジュースの缶をわたしのすぐうしろのゴミ箱に投げこんで金属音をたてたあの女20代前半のわかいほうは、きのうの夜は、わざとらしく痰を切るような音をたてた。それはわたしに早く行けとけしかけているようにきこえた。

●下半身にバスタオル。更衣室。

89.2016年2/5 大宮前プール更衣室。男65くらいは下半身にバスタオルを巻いただけの裸体で鏡に髪をうつしヘアードライヤーをつかっていた。このあとモップをつかい床面の水気をとり、それを片づけるときにわたしのようすを見ていた。わたしならしないことをしていた。この男は当室のもっとも奥のロッカーをつかい、わたしはこの男に好き放題に見られるロッカーをつかっていることになってしまっていた。ロッカーの扉に隠れたものの、わたしの全身が鏡にまるうつりであり、男は臆面もなく、恥をすこしも感じることなく鏡のなかの着替え中のわたしを見つづけていたと時間がたって初めてわたしはわかった。こんな男がいたのであり、この男は最初から、人に見られず人を存分に見ることのできる最奥のロッカーをつかっていたものと思える。

●男女の関係はない。高橋龍太郎

88.2008年10/21 ある36才の男性は、おなじ36才の妻、ふたりのこどもと暮らしている。会社員であり、妻もそうである。

 妻のケータイ使用量が半年前からぐっとふえた。彼はその明細をとりよせ、相手先をあらためた。妻は特定の番号に頻々とかけていた。こどもはこどもで、お母さんはケータイのメールをしてばかりいて遊んでくれないと父に訴えていた。

 妻はこう釈明した。食事会で知りあった男性と仲よくなっただけであり、男女の関係は誓ってない、と。ケータイはもうつかわないと妻はいったけれども、固定電話で連絡をとるようになった。

 妻はこういった。もうケータイをつかわないことを男性に伝えただけだ、と。またしても言い訳にきこえた。

 疑えばきりがないと夫は思う。妻とは17才の高校生のとき出会い、八年間交際して結婚した。

 妻の顔を見ると、にくたらしく思える。これではいけないと思う。自分の心ひとつ次第だ。けれど感情のコントロールができない。

 高橋龍太郎精神科医〕は次のようにいった。「相手の浮気に悩んで精神科の外来にくるのは男性ばかりである。奥さんは離婚してもいいと思っているのにたいして、夫には離婚の意志は毛頭ない。男女関係において弱い性は男性のほうである。こちらが絶句してしまうくらい貞淑な夫、自由奔放な妻という取りあわせである。それでもそんな妻とやっていける覚悟がつづくかどうか。これが問われる。相手を追いつめたら、売り言葉に買い言葉で言い争いになる。これは昔から妻にたいしていわれていた。だから我慢しなさい、と」

 高橋氏はつづけて、

「女性の三十代なかばすぎは、女性にとって花盛りであり熟れ頃である。自分の魅力をためしたいときである。声をかけられれば食事にいくだろうし、肉体関係だっていとわないだろう。そんなとき夫が妻にたいして狭量なところを、ケツの穴のちいさいところをみせると、こんなにちいさい男だったのかと妻はあきれる。ますます浮気相手に気もちが傾いていく」

 高橋氏はさらに次のようにいった。

「おおらかにわらって見過ごしてはどうか。昔は女性にたいして社会的モラルが厳しかったので、それを突破しようと女性は道なき道を浮気に突っ走った。それにひきかえいまの女性はそこまでの覚悟はない。いつでも引き返すことができる。世の夫のほうこそ不遇をかこっている。男性が四十代後半になって肉体的に下り坂になってきたとき、地位があってお金があるなら若い女性と浮気をするかもしれない。このとき、かつて三十代なかばで浮気をした妻が、あのときのあたしとおなじねとでも夫にいえるようなら実に渋い夫婦である」

●黒いハイヒールの女、20才くらい。男物のスニーカー。

87.2008年9月某日 ポパイ中野店において個室へ入っていこうとするとき、すこし離れたところの個室の前にいる女20才くらいが顔を横にしわたしを見ていた。よそゆきの服を着てスカートの裾から両膝がでており、黒いハイヒールでもったいぶって歩き、わたしを見つづけていた。その視線には高慢さがにじんでいた。そばに男がいるにちがいない高慢さである。のち、その女の個室の前に男物のスニーカーが一足あり、黒いハイヒールがならんでいるのがみえた。

●特等席の女22才くらい。中央線各停。

86.2008年9/20 中野で乗った中央線各駅停車の出入口にひとりの女22くらいがいた。そこはひとりになれるドア脇の、いわば特等席である。わたしが入っていくと女は顔を首ごと九十度以上そむけた。それまで疑いの余地なくわたしを眺めていたというわけであり、他人への嫌悪をかくもあらわにした。自分を守ることのその陋劣さに、またかと思わせられ、すぐに車両をかえた。

松屋の男、それに女。中村橋。

85.2008年9/15 日曜12時すぎ、ちょうどお昼どき、中村橋の松屋においてある高校生らしき男が、わたしのほうへと席を移った。隣りあわせになった。男のむこうで格別おかしなことがおきていたわけでもないのにこの男はそうした。

 男は何かの定食らしきものを食べつつ、胡椒をかけたりソースをかけたり紅しょうがをつまみとったりした。その際、腕や手がわたしの使っていたコップや味噌汁の椀に触れんばかりにちかづいた。おおいかぶさったこと、人の食べ物の上におおいかぶさった非礼さは、疑いようもなかった。にもかかわらず、この男はまったくもって悪びれることもなく、せわしなく何らかのことをしつづけた。食べおわると、こんどは携帯電話で誰か、友人らしき人と話しはじめた。その内容は、いままさに必要とは思えないものであり、喫緊の要件の欠片さえも感じられないものであった。この男が席をひとつかえたのは、人を標的にしてのことであり人を挑発しまくっていたのだとわたしは覚った。

 そのむこうにいるカレーセットを食べおえた女30才くらいは、食べおえたというのに席を立つことはなかった。この女はこの女でわたしの様子をさぐっているようであった。

●主婦らしき三十前後くらい。坂本屋。

84.2008年9/15 すこし前、夏の暑い朝九時半頃、坂本屋前の交差点で青信号を待っていたとき、ふと眼界を横へとひろげた。横断歩道の端のわたしのいたところから離れて、まさに自転車も体も目もわたしへとむけた、わたしをながめていた三十前後くらいの主婦らしき女がいるとわかった。わたしは他人の賤劣なる好奇心の、性的欲情の、社会格差の優劣意識の、かっこうの餌になっていたわけである。

西武線乗客の女。上井草。

83.2008年9/24 西武新宿線上井草駅の踏切で電車の通過を待っていた。当の電車はすぐ目の前のプラットホームの端でとまった。わたしは首をまわし、電車からおりる乗客のほうを見あげた。おりた乗客の女20代前半くらいが進行方向とはまったく逆のわたしほうをふりかえりながら、同時にその目のなかに何かを宿らせ、すたすた遠ざかっていった。この女は、電車がスピードをおとしつつホームに入りこんでいく際、踏切待ちのわたしをしこたま、ねっとり見つづけていたわけである。

●子育て。大日向雅美。東ちづる

82.2009年1/10 NHK教育テレビで子育てについての特別番組が放送されていた。そのなかで大日向雅美はこういった。標準化のプレッシャーがある。母親はこうあるべきだというものだ、と。

 東ちづるはこどもがいず、もう母親になることはない。そんな彼女は何かの用事でとある幼稚園にいった。元気で明るくたくましい子と大書されているのを見ておぞましさを覚えた。おとなしい子であったっていいじゃない、と思った。

「かわらない自分であってもいい。生きているだけでいい。ありのままでいい」

 彼女はそういった。

 母親から、いい子の教育をうけていた。いい成績をおさめ、母親を喜ばせた。だが国立大学の受験に失敗した。そのとき母親はこういった。18年間の期待を裏切ったわね、と。

 この瞬間、ちづるの心中においてかちりとスイッチが入った。死ぬことだけを考えるようになった。

 彼女にとってカウンセリング体験は貴重だった。ただきいてくれる。否定しない。導こうとしない。それはそれまでの体験とはまったく対蹠的な、それこそ目から鱗の新鮮なものだった。

 よい子でなくてはいけない。こういう教育方針は、いまの70代の女性たち、まさに東ちづるの母親世代が共通してとったものである。彼女たちは歴史上初めて専業主婦となって、子育てに専念できた。しかし、一生懸命になればなるほどこどもを追いつめていることに多くの人は気づかなかった。

 大日向は次のようにいった。

「生きづらさをわかちあうこと。こどもがいなくても何らかのかたちで人の子の子育てにかかわれる」

 大日向はまた、子育てに意味をもとめないということを忠言した。

 東ちづるは、みんな不完全でいい、といった。その夫は生い立ちにおいて彼女とは大きくちがい、七才で両親と別れているという。