★プロフィール。Part1。Part2。

これより上に書き足す。Part2。

◆世間と呼ばれているものは、もしこういってよければ、いわば世間に身売りしているような人々からだけ出来上っているのである。彼等は自分の才能を利用し、富を蓄積し、世間的な仕事を営み、賢明に打算し、その他いろいろなことを成し遂げて、おそらくは歴史に名が残りさえもする、――しかし彼等は彼等自身ではない。彼等がその他の点でいかに利己的であろうとも、精神的な意味では何等の自己――そのためには彼等が一切を賭しうるような自己、神の前における自己、――をも彼等は所有していない。 <キェルケゴール死に至る病』>

 

◆◆◆◆◆

●天地[あめつち]に少し至らぬますらをと思ひし我や雄心もなき <万。作者不詳>

●逢坂の夕つけになく鳥の音を聞きとがめずぞ行き過ぎにける <後撰。>

●園原や伏せ屋に生ふる帚木のありとは見えて逢はぬ君かな <新古今。坂上是則>

 

 

以下2021年1/20まで。Part1。

◆めぐり逢ふ君やいくたび/あじきなき夜[よ]を日にかへす/吾命[わがいのち]暗[やみ]の谷間も君あれば恋のあけぼの <島崎藤村詩集>

◆土が眼を開いたように処々ぽつりぽつりと秋蕎麦の花が白く見え <長塚節『土』>

◆八十パーセントの濃硫酸を作るにはバッテリーの電解液をゆっくり温め、時間をかけて煮なければならない。 <ピエール・ルメートル『その女アレックス』>

◆歳月は空々莫々。大地はこれ放恣の穢土[えど]だ、と、/世界を挙げて泣き言をいっても、私は泣き言は一切いわぬ。 <ウォルト・ホイットマン『草の葉』>

◆茶色い髪に雪の欠片が降りつもり、かわいらしいそばかすが燃えたち、頬は往復ビンタを張られたみたいに真っ赤に染まっていた。 <ギリアン・フリン『ゴーン・ガール』>

◆人はこんなふうに立ち往生し、ぶつかりあう愛にひとしく苦しめられながらも、情熱と退屈のあいだに、悦びと絶望のはざまに、夢見るだけの人生と耐えがたい現実のあわいに、自分の居場所を見つけようとせいいっぱいあがいている。 <トマス・H・クック『緋色の記憶』>

◆名声と世の承認を得たいために書くのではなく、書くこと自体が目的と化していた。彼を生きつづけさせるもの、寒さと空腹と寂しさに意味を与えるもの、表現を与えるものが、この詩だった。 <フレドリック・ブラウン『まっ白な嘘』>

◆私は彼[←老人]と折り合うことができるのだ。現実感のないひとにしか惹かれない、そう池にいってもきょとんとして首を傾げるだけに違いない。池とは別れる、きっぱりと決断して・・・ <柳美里『家族シネマ』>

◆里奈はほんとうに知りたいことは誰に訊いても教えてもらえないとあきらめていた。誰もほんとうのことなど何ひとつ知らないのだ <『家族シネマ』>

◆みんながほかのみんなを食いあっているってことだな。結局のところ人生ってそんなものなんだ <ジェイムズ・ジョイスユリシーズ』>

◆成功とは知性と想像力との死を意味する <『ユリシーズ』>

◆男にとっても女にとっても、侮辱や憎しみは生命ではない。本当の生命はそれと反対のものだってことは、誰だって知っています。

――つまり何だね?とアルフは言う。

――愛です、とブルームは言う。 <『ユリシーズ』>

◆彼[卯平]は丁度他人に対する或憤懣の情から当てつけに自分の愛児を夥[したた]かに打ち据える者のように羅宇を踏み潰した。 <『土』>

◆地鏡にも似た理想の充足をどこまでも追いかけて虚飾に満ちた日々を延々と繰り返す <丸山健二『争いの樹の下で』>

◆仮定としての波乱万丈の一生を体験を超える体験として無垢な心に刻みつける 丸山健二

◆利他的な行為にロマンを感じる者はいても、火の粉を頭からかぶりながら、社会という名の金敷の上で正義という名の焼けた鉄を本気で打てる者はいない 丸山健二

◆気が散る材料には事欠かないこの空間に満ちている何もかもが、芳香剤のように噓くさい 丸山健二

◆充足に似通ったものを錯覚させてくれる最後の切り札←暴力が 丸山健二

◆英雄は、甲冑をまとっているが、聖人は、はだかである。・・・・・・もし甲冑をまとっていて、そのおかげで傷を受けることから守られ、同時に、傷によってもたらされる深みへの道もとざされているとしたら、わたしたちの中へ入ってくることができるものは何もない。 <シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵』解題>

◆日々の義務への厳しいまでの忠実さに支えられていないなら、どんな宗教的高揚感も彼女(ヴェイユ)には疑わしいものに思えた。<『重力と恩寵』解題>

◆知性は何ひとつ発見することはできないのだ。ただ、そこいらを片づけるだけである。知性はただ、奴隷にふさわしい仕事にだけ適している。<『重力と恩寵』>

◆真空を充たしたり、苦悩をやわらげたりするような信仰は、しりぞけるべきこと。・・・・・・ふつう宗教の中に求められるいっさいの<慰め>をしりぞけるべきこと。<『重力と恩寵』>

◆人に哀願するのは、自分だけの価値体系を他人の精神の中に力ずくででもはいりこませようとする絶望的な試みである。神に哀願するのは、それとは反対で、神的な価値を自分の魂の中に入りこませようとする試みである。それは自分が執着している価値を必死になって考えるというのとは全然ちがって、自分の内部に真空を持ち堪えることである。.<『重力と恩寵』>

◆わたしたちは、この世では何ひとつ所有していないのだ――偶然がすべてを奪い去ってしまうこともあるのだから――ただ、<わたし>と言いうる力だけを別として。この力をこそ、神にささげねばならない。すなわち、これを滅ぼさねばならない。わたしたちにゆるされている自由なんて、まったくひとつもない。ただ、この<わたし>をほろぼすことだけは別として。<『重力と恩寵』>

◆パリサイ人とは、自分の力だけに頼って、徳の高いりっぱな人間になろうとした人たちのことである。謙遜とは、<わたし>と呼ばれるものの中には、自分を高めて行けるエネルギーの源泉なんてまるでないのを知ることである。<『重力と恩寵』>

◆わたしの中にある貴重なものはすべて、ひとつの例外もなく、わたし自身とは別なところから来たのである。それも、賜物としてではなく、たえず継続を願い出なければならない貸与物として。わたしの中にあるすべてのものは、例外なく、まったくなんの価値もない。別なところから与えられる賜物でも、わたしがそれを自分のものにするとなんでもたちまち無価値になる。<『重力と恩寵』>

◆極度の疲労をさそいだす労働、残酷さ、迫害、非業の死、強制、恐怖、病苦など――これらはみな、神の愛である。神は、わたしたちを愛するからこそ、わたしたちが神を愛することができるようにと、わたしたちから遠くへ退くのである。<『重力と恩寵』>

◆わたしたちは、何者かであることを捨て去らねばならない。それこそが、わたしたちにとってただひとつの善である。<『重力と恩寵』>

◆過去も、現在もやがては凋落する――私はそれらを充塡し、また空虚にした、/そして、私は私の未来の次の襞を充塡するために進発する。<『草の葉』>

◆自分を根だやしにしなければならない。木を切って、それで十字架をつくり、次には日々にそれを負わなければならない。<『重力と恩寵』>

◆<われ>であってはいけない。まして、<われわれ>であってはなお、いけない。・・・・・・場所のないところに、根をもつこと。<『重力と恩寵』>

◆社会的にも、生物としても、自分を根だやしにすること。地上のあらゆる国から、追放された者となること。<『重力と恩寵』>

◆神がわたしに存在を与えてくれたのは、わたしがそれを神に返すためである。<『重力と恩寵』>

◆<われ>とは、神の光をさえぎる罪と誤りとが投げかける影にすぎないのに、わたしは、それをひとつの存在であるかのように思っている。<『重力と恩寵』>

◆「そして死は、わたしの目から光を奪い去り、この目がけがしていた日の光に、澄んだ清らかさをとりもどさせるでしょう・・・・・・」(←ラシーヌ『フェードル』)。どうか、わたしは消えて行けますように。今わたしに見られているものが、もはやわたしに見られるものではなくなることによって、完全に美しくなれますように。<『重力と恩寵』>

◆人は、自分からすすんで神を愛すると約束するのではない。自分の知らぬうちに、自分の内部でむすばれた約束に同意するのである。<『重力と恩寵』>

◆ひとりの人が存在するようにと望みさえすれば、このほか、これ以上に何を望むことがあろうか。そのとき愛するその人は、想像の未来に覆い包まれていず、裸のままで現実に存在する。・・・・・・こうして、欲望が未来に向けられているか、向けられていないかによって、愛が純なものとなったり、純でないものとなったりする。<『重力と恩寵』>

◆友情を望むのは非常な誤りである。・・・・・・友情は恩寵の次元に属するものなのだ・・・・・・孤独を逃れたいと望むのは、卑劣である。友情は求められるものではなく、夢見られるものではなく、望まれるものではない。<『重力と恩寵』>

◆人を傷つける行為は、自分の中にある堕落を他人に転嫁することである。だからこそ、まるでそうすれば救われるかのように、そういう行為に走りがちなのだ。<『重力と恩寵』>

◆受難とは、およそどんな仮象をもまじえない完全な義が存在するということである。義とは、もともと能動的には行動しないものである。義は、超越的なものであるか、それとも苦しみを受け忍ぶものでなければならない。<『重力と恩寵』>

 

 

●吾が仏顔くらべせよ極楽の面[おもて]おこしは我のみぞせむ <仲文集>

●秋風にきつつ夜さむやかさぬらん遠山摺りの衣かりがね <続千載和歌集>

●秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りななこちたくありとも <万。但馬皇女[たぢまのひめみこ]>

●秋ならで逢ふことかたきをみなへし天の河原に生ひぬものゆゑ <古今。藤原定方>

●秋の夜や天の川瀬は氷るらむ月の光の冴えまさるかな <千載和歌集。藤原道経>

●浅茅原[あさぢはら]茅生[ちふ]に足踏み心ぐみ我[あ]が思ふ児らが家のあたり見つ <万。作者不明>

●あしひきの山椿咲く八つ峰[を]越え鹿[しし]待つ君が斉[いは]ひ妻かも <万。作者未詳>

●葦間より見ゆる長柄[ながら]の橋柱昔のあとのしるべなりけり <拾遺集藤原清正>

網代木にいざよふ浪の音深[ふ]けてひとりや寝ぬる宇治の橋姫 <新古今。慈円>

●明日知らぬみ室の岸の根無草何徒[あだ]し世に生ひ始めけむ ‹千載和歌集。花園左大臣家小大進›

●足[あ]の音せず行かむ駒もが葛飾の真間[まま]の継ぎ橋止まず通はむ <万。読み人知らず>

●天雲[あまくも]に近く光りて鳴る神の見れば恐[かしこ]し見ねば悲しも <万。読み人知らず>

●天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも <古今。阿倍仲麿>

●天[あめ]の下すでに覆ひて降る雪の光を見れば貴くもあるか <万。紀朝臣清人[きのあそみきよひと]>

●ある時は在りの遊[すさ]びに語らはで恋しきものと別れてぞ知る <古今和歌六帖。>

●家苞[いえづと]に貝そ拾[ひり]へる浜波はいやしくしくに高く寄すれど <万>

●いかなれば恋にむさるる𣑥布[たくぬの]のなほさゆみなる人の心そ <夫木和歌抄>

●幾そ度[たび]君がしじまに負けぬらむ物な言ひそと言はぬたのみに <源氏物語。末摘花>

●和泉なるしのだの森の葛の葉の千枝[ちえ]にわかれてものをこそ思へ <古今和歌六帖>

●伊勢島や二見の浦の片し貝あはで月日を待つぞつれなき <内裏名所百首>

●いとどしく虫の音しげき浅茅生[あさじう]に露おきそふる雲の上人 <源氏物語>

●磐[いは]が根のこごしき山を越えかねて哭[ね]には泣くとも色に出[い]でめやも <万。長屋王>

●石走り激[たぎ]ち流るる泊瀬川[はつせがは]絶ゆることなくまたも来て見む <万。紀朝臣鹿人[きのあそみかひと]>

●五百枝[いほえ]さし 繁[しじ]に生ひたるつがの木の いや継ぎ継ぎに <万。山部赤人>

●今今とわが待つ妹[いも]は鈴鹿山ふきこす風のはやもきななむ <古今>

●今もかも咲き匂ふらむ橘の小島の崎の山吹の花 ‹古今。読み人知らず›

●今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな <後拾遺。左京大夫道雅>

●妹とありし時はあれども別れては衣手寒きものにそありける <万。読み人知らず>

●妹と来し敏馬[みぬめ]の崎を帰るさに一人し見れば涙ぐましも <万。大伴旅人>

●空蝉[うつせみ]の世は常なしと知るものを秋風寒み偲[しの]びつるかも <万。大伴家持>

卯の花の垣根ばかりは暮れやらで草の戸ささぬ玉川の里 <夫木和歌抄>

●梅が枝に鳴きて移ろふうぐひすの羽白妙に沫雪[あわゆき]そ降る <万。読み人知らず>

梅の花にほふ春べはくらぶ山やみにこゆれどしるくぞありける <古今。紀貫之>

●大宮の内まで聞こゆ網引[あび]きすと網子[あご]ととのふる海人[あま]の呼び声 <万。長奥麻呂[ながのおきまろ]>

●奥山の八つ峰の椿つばらかに今日は暮らさねますらをの伴 <万。大伴家持>

●かくしても相見るものを少なくも年月経[ふ]れば恋しけれやも<万>

●霞晴れみどりの空ものどけくてあるかなきかに遊ぶ糸遊 <和漢朗詠。作者未詳>

●語らはむ人なき里にほととぎすかひなかるべき声な古[ふる]しそ <蜻蛉日記>

●神[かむ]さぶる磐根[いはね]こごしきみ吉野の水分山[みくまりやま]を見れば悲しも <万。作者不明>

●からたちの茨[うばら]刈り除[そ]け倉建てむ屎[くそ]遠くまれ櫛造る刀自 <万。忌部首[いむべのおびと]>

●かりごもの思ひ乱れて我恋ふと妹知るらめや人し告げずは <古今。読み人知らず>

●木の暗[くれ]の四月[うづき]し立てば夜籠もりに鳴くほととぎす <万>

●君が行き日長[けなが]くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ <万。磐姫皇后>

●草の葉にあらぬたもとも物思へば袖に露置く秋の夕暮れ <山家集西行>

●草原は夕陽[せきよう]深し帽ぬげば髪にも青きいなご飛びきたる <死か芸術か。牧水>

草枕旅行く背なが丸寝せば家[いわ]なる我は紐解かず寝む <万>

●暮れかかるむなしき空の秋を見ておぼえずたまる袖の露かな <新古今。九条良経>

●来ぬ人を松帆[まつほ]の浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ 〈新勅撰和歌集藤原定家

●木高[こだか]くはかつて木植ゑじほととぎす来鳴き響[とよ]めて恋増さらしむ <万>

●さらでだに露けき嵯峨の野辺にきて昔の跡にしほれぬるかな <新古今。藤原俊忠>

●さらぬだに重きが上のさよ衣わがつまならぬつまな重ねそ <新古今。寂然法師>

●塩の山差し出の磯にすむ千鳥君が御世をば八千代とぞ鳴く <古今。読み人知らず>

●しののめの朗ら朗らと明けゆけばおのが後朝[きぬぎぬ]なるぞ悲しき <古今。読み人知らず>

●渋谷[しぶたに]の崎の荒磯[ありそ]に寄する波いやしくしくに古[いにしへ]思ほゆ ‹万。大伴家持

●白河のしらずともいはじ底きよみ流れて代々[よよ]にすまむと思へば <古今>

●白妙の露の玉衣[たまぎぬ]上にきてからなでしこの花やねぬらん <夫木和歌抄>

●垂乳女[たらちめ]や止まりて我を惜しまましかはるにかはる命なりせば <千載和歌集>

●手弱女[たわやめ]の思ひたわみてたもとほり我[あれ]はそ恋ふる舟梶[ふねかぢ]をなみ <万>

●千早振る神代も聞かず竜田川から紅に水くくるとは <古今。在原業平>

●塵泥[ちりひぢ]の数にもあらぬ我故に思ひ侘ぶらむ妹[いも]が悲しさ <万。中臣宅守>

●月夜見[つくよみ]の光は清く照らせれど惑[まと]へる心思ひあへなくに <万。作者未詳>

●月読[つくよみ]の光を清み夕なぎに水夫[かこ]の声呼び浦廻[うらみ]漕ぐかも <万>

●づれづれのながめにまさる涙川袖のみぬれて逢ふよしもなし <古今。藤原敏行>

●手もたゆく扇の風のぬるければ関の清水に水馴[なれ]てぞ行く <好忠集。曾禰好忠>

●年久[としひさ]に纈[ゆはた]の帯をとりしでて神にぞまつる妹[いも]に逢はんと <夫木和歌抄>

●年経[ふ]れば汚[けが]しきみぞに落ちぶれて濡れしほどけぬいとほしの身や <夫木和歌抄>

●問ふ人も嵐吹きそふ秋は来て木の葉にうづむ宿の道芝 <新古今。藤原俊成女>

●流れくるもみち葉見れば唐錦滝の糸もて織れるなりけり <拾遺>

●難波潟漕ぎ出[づ]る舟のはろばろに別れ来ぬれど忘れかねつも <万>

●涙川枕流るる浮き寝には夢も定かに見えずぞありける <古今。読み人知らず>

●ぬばたまの夜渡る月のさやけくはよく見てましを君が姿を <万。読み人知らず>

●初春[はつはる]の初子[はつね]の今日[けふ]の玉箒[たまはばき]手に取るからに揺らぐ玉の緒 <万。大伴家持>

●春草を馬咋山[くひやま]ゆ越え来[く]なる雁[かり]の使ひは宿り過ぐなり <万。柿本人麻呂>

●春来れば滝の白糸いかなれや結べどもなほあわに見ゆらむ <拾遺>

●春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子[おとめ] <万。大伴家持>

●春へ咲く藤の末葉[うらば]の心安[うらやす]にさ寝[ぬ]る夜[よ]そなき子ろをし思[も]へば <万。読み人知らず>

●春も惜し花をしるべに宿からん縁[ゆかり]の色の藤の下陰 ‹拾遺愚草›

●春わかず冴ゆる河辺の葦の芽は石より出づる火にや燃ゆらむ <宇津保物語>

●日かげにもしるかりけめやをとめごがあまの羽袖[はそで]にかけし心は ‹源氏物語。夕霧›

●吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ <古今。文屋康秀>

●富士の嶺[ね]の絶えぬ思ひもある物をくゆるはつらき心なりけり <大和物語>

●ふるはたの岨[そば]の立木にゐる鳩の友よぶ声のすごき夕暮れ <新古今。西行>

●郭公[ほととぎす]その神山の旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ <新古今。式子内親王>

●松島の風にしたがふ波なれば寄るかたにこそ立ち増さりけれ <蜻蛉日記>

●待つ宵に更けゆく鐘の声聞けばかへるあしたの鳥はものかは <平家物語>

●水の面[おも]に照る月波を数ふれば今宵ぞ秋の最中[もなか]なりける ‹拾遺和歌集。源順›

●水泡[みなわ]なすもろき命も𣑥縄[たくなは]の千尋にもがと願ひ暮しつ <万。山上憶良>

●身にしみし荻の音にはかはれどもしぶく風こそげにはものうき <山家集西行>

●宮木引く千引きも弱るらし杣川[そまがわ]遠き山のいはねに <夫木和歌抄>

●見渡せば明石の浦に燭す火の秀にそ出でぬる妹に恋ふらく <万。門部王[かどべのおほきみ]>

●虫の音に露けかるべき袂かはあやしや心もの思ふべし <山家集西行>

●紫の一本[ひともと]ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る ‹古今。詠み人知らず›

●紫草[むらさき]は根をかも終ふる人の児の心悲[うらがな]しけを寝を終へなくに <万。読み人知らず>

●百[もも]に千[ち]に人は言ふとも月草のうつろふ心我持ためやも <万。作者未詳>

●もろこしも夢に見しかば近かりき思はぬなかぞはるけかりける <古今。兼芸法師>

●山桜さきぬる時は常よりも峰の白雲立ち増さりけり <後撰。紀貫之>

●山はしも 繁にあれども 川はしも 多[さは]に行けども <万。大伴家持>

●闇路[やみぢ]には誰かはそはむ死出の山ただ独りこそ越えむとすらめ <拾玉集。慈円>

●夕さればいとど干がたきわが袖に秋の露さへ置き添はりつつ <古今。読み人知らず>

●雪の内に春は来にけりうぐひすの凍れる涙いまやとくらむ <古今。二條后>

●世の中の人の心は花染[はなぞめ]の移ろひやすき色にぞありける <古今。読み人知らず>

●夜をこめて鳥の空音[そらね]ははかるとも世に逢坂の関は許さじ <枕草子>

●わが恋は大和にはあらぬ韓藍[からあい]のやしほの衣深く染めてき ‹続古今和歌集。藤原の良経›

和歌の浦に潮満ち来れば潟[かた]を無み葦辺をさして鶴[たづ]鳴き渡る <万。山部赤人>

●わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも <万。大友家持>

●我妹子[わぎもこ]が見し鞆[とも]の浦のむろの木は常世[とこよ]にあれど見し人そなき <万。大伴旅人>

●わたつみの道触[ちふり]の神にたむけするぬさの追風やまず吹かなむ <土佐>

●をしからで投げもやられぬ我が身こそ千引きの石のたぐひなりけれ <永久百首>

★삼십.treinta.

2018年:2010~2175 2019年:2175~2361 2020年:2361~ 2021年:2520~
  ★삼십일.treinta y uno. ★삼십이.treinta y dos.  ★삼십삼.treinta y tres.

★삼십사. treinta y cuatro.  ★삼십오.treinta y cinco.  ★삼십육.treinta y séis.  ★삼십칠.treinta y siete.

★삼십팔.treinta y ocho.  ★삼십구.treinta y nueve. 

★사십.cuarenta.

26ずつ。

832~847

816~831

 

790~815

 

 

●日傘の女。人が口を鳴らす。高円寺の商店街。

806.2021年6/8 小径をいく。むこうからカップルがきているとわかった。男は26くらい。高卒を絵にかいたような顔をまっすぐにわたしにむけている。心神空っぽである。女は23くらい。着飾っている。日傘をさしている。すれちがう前から日傘を横にし、自身を隠していた。あからさまに防御しているというわけである。またこんな女がいた。

6/11 男が口笛を吹いている。姿は見えない。角のマンションに隠れているからだ。ちかづいてきている。

 マンションはT字路にある。そこにでた。左から口笛男が歩いてきている。そんなふうにしか自己主張ができない。高卒にして無哲学まるだしである。

 鷺宮の踏切を渡った。ごほっ。うしろから口腔音がとんできた。20代の男か。やりかえすと、ふたたびごほっときこえた。

 高円寺の商店街を歩いた。女がわたしの歩いているほうへくる。26くらい。小柄。わたしを目にとめ、わざわざきているようにみえた。ごほごほっ。女は口を鳴らしてすれちがっていく。やりかえした。女はまたやった。またこんな女がいた。

●竹中と森永。須田。イザヤ書

805.2021年6/16 ひと口にいって政商。そんな竹中平蔵小渕内閣のときから、ときの政権にくいこんでいる。構造改革を標榜しながら、畢竟するに自身が政・官・業のトライアングルの中心にいる。人材派遣業大手、改革でうるおったパソナの会長である。報酬は年間数千万円、すでに十年?その地位にあり、数億円は手にしている勘定である。タワーマンションに住んで運転手つきのベンツで放送局に出入りしている。

 この竹中を森永卓郎は心底嫌う。そのタワマンと最寄り駅がおなじマンションに事務所をおいている。おれのほうが駅からちかいんだぜ。

 上は森永がニッポン放送文化放送でしゃべったことをまとめたものである。

 きょうニッポン放送に須田慎一郎が森永とともにでていた。須田は竹中について、面の皮が厚い人だと評した。人への気づかいがない、と。

 ニッポン放送は、くるときのタクシーチケットはでるが、帰りはでない。あるとき須田は竹中といっしょになった。竹中はこういった。

「あれっ、車じゃないの?」

「ぼくぅ、京浜東北線で」

 竹中は、ばかにしたような顔で、運転手つきのベンツに乗りこんだ。須田は思った。送ってくれたっていいんじゃないの。

 森永は収集癖がこうじて百五十万円のミニカーをもっている。純金製、ヘッドライトはダイヤモンドである。一方、自家用車はベンツとは対照的に安価な軽自動車である。事故にあえば大破するし寿命があるのだから、動けばいいという考えである。

 旧約聖書イザヤ書にこうある。

「主は高き所、そびえたつ町に住む者をひきおろし、これを伏(ふ)させ、これを地に伏させて、ちりにかえされる」(26–5)

 竹中は信仰の徒でもなんでもない。

●トモズ東高円寺店の店員男。

804.2021年6/16 青梅街道のバス停に女がいた。62くらい。歩いていくわたしに体をむけて、バス停に左肩をむけている。わたしは右手を小手にかざして歩いた。

 そのちかくにドラッグストアがある。人が何人か次々にくるのでよけて歩くと、そこの店員の男がわたしと近接してすれちがうことになった。この男は22くらい、体を店内入口に顔を歩道の遠くにむけ、かちかちっと何かを鳴らした。わたしを視野にいれてのことだ。人の風貌への虫の好かなさから、とっさに攻撃にでたというようにみえた。大学生のバイトか。Fラン大学?高卒のバイトか。いずれにせよ心のなかに荊棘をかかえていよう。

日大二高の女子生徒。光塩幼稚園。ドミノピザの配達男。

803.2021年5/1 女が道をななめにむかってこようとした。38くらい。わたしはこれを察知し、女の元々いる側へ動いた。すると女はわたしにあわせ、その動きをやめた。顔をあげつづけて、わたしとすれちがった。なんとしてもこっちを見ていたいといったさまであった。高卒女。

 57くらいの男がいた。ごく狭い道で最初わたしを無視しているようでありながら、すれちがうときになって結局むかってきた。高卒まるだし。

 日大二高の女子生徒がきていた。ブレザーの制服でわかった。道はカーブしている。この女子高生はスマホを見はじめた。すれちがう準備である。スマホカモフラージュである。目は伏せていても顔をわたしにむけて、むかってくるようにすれちがった。

 阿佐ヶ谷駅前に松屋がある。その券売機をつかっているとき、左側のコージーコーナーのウインドーに貼りついている男が、顔だけをわたしにむけ、こちらを見つづけているとわかった。45くらい。ケーキ類の購入なんてそっちのけである。こうまでして人を見たいか。高卒にして内面生活をまったくしていない。これを俗世の荒れ野でこれでもかと具象化していた。

 阿佐ヶ谷パールセンター。男30?はわたしが手にしている松屋のものを見ていた。

 阿佐ヶ谷駅セブンイレブン。ATMちかくにカップルがいたから、レジ前をいく。女がいた。32くらい。この女は冷たい飲み物の入っている棚のガラス扉を見て、そこに映るわたしを見ていた。わたしがパンをとるときにはこちらに体をむけ、必要があるのかないのかアイスボックスのなかをがさごそやっていた。わたしがどういう動きをするのか見ないではすまないといったようすありありであった。

 カップルの女のほうは27くらい。この女は自分の男のいったほうへいく。そのときわたしのいる通路へと顔をむけた。人の所在を気にしているというわけである。

 光塩幼稚園の正門は、T字路のT字の交点にある。男がまがりこんできた。25くらい。なんとなく高卒ふうにみえる。わたしに気づくや道のまんなかに寄った。こうしてわたしとむきあうというわけである。またこんな男がいた。目にみえるものだけに反応する。個我のない男である。無道心にして胸内は寥落たるものであろう。

 すれちがう前に住宅の立ちならんだなかの敷地内へ逃げこんだ。ひとしきりして踵をかえすと、男がちょうど去っていくところであった。きょときょとしながら、前方からだれがくるのかと始終気にしながら歩いているとみえた。

 光塩幼稚園の壁沿いでドミノピザの配達バイクがわたしを追い抜いた。このバイクが、とあるアパートの前にとまっていた。配達男が二階からおりてくるとき、この男の視線がわたしをとらえたにちがいない。ぴしーっ。男は何かのファスナーを力をこめてしめた。音による瞭然たる攻撃である。またこんな男がいた。高卒男。

サンドラッグ。不親切な店マツモトキヨシ松屋。②

802.2021年6/7 上石神井体育館。一階受付前に女がいた。23くらい。利用客らしい。そこにいつづけている。わたしがうしろちかくを通ると、ぴしーっと何かのファスナーをしめた。貴重品ボックスの鍵を返すときには、体を受付にたいして横にむけわたしの動きを見つづけていた。またこんな女がいた。

 西武新宿線のホームで上り電車を待った。女21?が左ななめうしろのほうにいると気づいた。こちらに体をむけ、わたしを見つづけている。自販機でわたしの姿をとらえきれないために線路際に寄ってそこから見ている。人を見ることが所与の権利だともいいたげな顔つきである。わたしがそこを離れていくようすをも、まばたきひとつせず見つづけていた。またこんな女がいた。

 各停に乗った。男があわてて入ってきた。42くらい、スーツ姿。筋むこうにすわった。スマホを見つつも体をわたしにむけている。この気もちわるさにわたしは席をたった。早大学院の男子生徒?ふたりがドアをあけて貫通路をとおっていく。わたしはこれに便乗させてもらった。あいている席を見つけ腰をおろすや、さっきのあのスーツスマホ男がわたしのうしろをついてきたとわかった。おえーっ。わたしはこの男を避けてこっちへきたのである。男はさらに貫通路をとおってとなりの車両へいった。なんという男だ。セルフ(自己)なんて欠片もない。

 松屋鷺宮店でごはんを食べる。窓際の席である。左うしろのほうにいる男が、ううっと口を鳴らした。食べおわっているのにでていかないとみえた。

 食べおえ、立ちあがろうとしたそのとき、左うしろのごくちかい席にいる男がコップの水を飲んで立ちあがったのがわかった。わたしにあわせたのである。この男こそさっき口を鳴らした男である。55くらい。こちらのようすをうかがいつづけ、わたしよりも先にトレイの片づけをしようと図った。人の存在を利用して、食べおわってもその席にいつづけたのだともいえよう。またこんな男がいた。

 この男は自転車できていた。ペダルをこぐ際、ごほっと口を鳴らした。わたしがつづいているとわかったのである。高卒男め。

サンドラッグ。不親切な店マツモトキヨシ松屋。①

801.2021年6/7 野方駅前にサンドラッグがある。歯磨き粉を手に順番待ちのところへいく。ごほっ。うしろにきた男が口を鳴らした。30くらい。わたしはそこを離れた。男は女とふたりできていた。だまって待てない。こんな男がまたいた。高卒である。わたしは手にしていたものを元にもどした。駅前の人の多いドラッグストアなど入るものではない。

 野方駅ホーム。都立家政側にいた。19くらいの男がわたしに気づいた。この男は階段のほうへむかうふりでホーム上を歩きわたしのようすを見にきて、もどった。またこんな男がいた。

 マツキヨ上石神井駅前店。野方で買いそびれたものを買おうと思った。さいわい客は自分だけだとみえた。商品を手にレジへいく。

 金額が一円単位なので財布がふくらみそうだった。カードが使えるかを訊く。相手は男性店員、40くらいである。

「何のカードですか」

 わたしはどういえばいいのか考えた。

「クオカードですか」と店員はたたみこんだ。

 カードと聞いてクオカードを連想するかなあ。その言葉つきは横柄にきこえた。わたしを相手にしたくないのだとみえた。

「ワオンとか」とわたし。

「つかえないです」と店員男。つんけんしている。「つかえるのはこれ」と、カード一覧の表示を指で示した。そこにそういうものがあると最初からいってくれれば話は早かったはずである。心神狭隘、人を見かけで判断し侮ったにちがいない。

 レシートに「親切なお店」とある。うそをつくな。その店員は思いかえすと、バイトの高卒ふうである。薬剤師免許などもっていないのだろう。

●上石神井体育館の女。西武新宿線

800.2021年6/3 一階受付前に女がいた。24くらい。運動着である。何のためにそこにいるのかわからなかった。わたしは貴重品ボックスをつかいたくて、氏名等を書く紙片をもらいたかったにすぎない。

 女は係員の女性とともに券売機のほうへいった。そこを背にし、ぴたりとわたしに体をむけた。わたしを見つづけた。個のない女がまたいた。集団のなかでの立ち位置をもとめる。目につく異質と思える人間を標的に、ちいさき自分を守る。人を見ることと人に見られることとがおなじであることに気づかない。

 プール内に太目の女がいた。55くらい。わたしの泳ぎを見てばかりいた。泳げる女であった。

 中井で女がおりていこうとした。長椅子にすわっていた女である。この女は、ドアのちかくにきて、すわっているわたしに体をむけて立った。愚蒙の女である。これを見たわたしは立ちあがった。正面の車椅子スペースにいく。女はわたしの行動にすこしく驚いたようだ。

東西線中野行きの男。ウンベルト・エーコ

799.2021年5/28 きのう東西線に乗った。込んではいない。あいている席は散見されたが、人ととなりあうか前方の席に人がいるかなので、ドア前にドアをむいて立っていることにした。

 中野に着こうという頃、車両端にすわっている男が、おもむろにというように立ちあがった。29くらい勤め人ふう。まだ到着はしていない。わたしは予想できた。この男がわたしを見るためにくるのだと。予想はあたった。わたしが避けたほう、中野でドアがあかないほうへ男はきた。両ドアのあいだの空間すれすれのところへきた。こちらに体をむけている。わたしがとなりの車両へ、この男のすわっていたところの前をとおっていこうと図っても、この男はまったくどこうもしないどころか場をせばめた。わたしは体をすわっている人のほうへ寄せて目的を果たした。

 JR沿いのだらだら坂をファミマ方面へ歩いた。道のむこう側の男27?とおなじ速さで歩くことになった。ごほっ。男は口を鳴らした。

 香藤湯ランドリーへ入ろうというとき、ごほっと強烈な口鳴らしをされた。うしろからである。自転車の男25?が走ってきていた。

 外にでれば人の横逆なふるまいが目につく。鴟梟翺翔にもたぐえる行動をへいちゃらでする。信実から遠い人となりがうかびあがる。

 ウンベルト・エーコは『薔薇の名前』のなかでこう書いた。

「彼らの存在もまた、わたしたちにとっては貴重であり、神の企図の内に含まれていると。なぜなら彼らの罪業は、わたしたちを美徳へと促し、彼らの罵声はわたしたちを讃歌へと誘い、彼らの放逸な悔悛行為はわたしたちを犠牲の精神へと駆り立て、彼らの不敬な行為はわたしたちを光り輝く敬虔な行動へと向かわせるから。」

●中央線快速の女。

798.2021年5/21 中央線快速。新宿ですわれた。長椅子の端である。となりに黒い超ミニスカートの女がすわった。21くらい。すぐにスマホである。ひとりの女がわたしの前をとおって、ななめ前にきた。24くらい、高卒ふう。太目。ワンピースを着ている。吊り革につかまってスマホである。走行中、わたしに体をむけた。これが目的でそこにきたのか。わたしは小冊子を盾にしてやった。

 むかいの席に女がいる。21くらい。この女はもはやスマホどころではない。顔をあげつづけている。首を横にのばすようにして、小冊子の縁ごしにわたしをのぞきこむことまでした。

 中野駅中央通路。男がななめにむかってきた。26くらい、高卒以外ではありえないふう。わたしがよけたほうにきた。この男がどこへいくのかふりかえって見てやった。いったんむかった1・2番線のほうではなかった。あれはわたしにむかってくるために、ごまかしカモフラージュしていたにすぎないとわかった。

 中野通りの横断歩道は赤信号であった。男を追いぬいてバス停まで歩き、時がすぎるのを待った。青にかわりそうなのでもどっていく。このとき、わたしが追いぬいていた男55?がこちらへきているとわかった。わたしがどこへいくのか追いかけてきていたのである。おえーっ。ズボンの脇ポケットに片手をいれて、ちんたら、きょろきょろ歩いている男であった。高卒。

●吉祥寺の小学生女子。アコレの女。

797.2016年7月某日 吉祥寺駅ちかくの歩道にて小学二年生くらいの女子児童が自転車に乗っていた。この女子は前を歩く人たちに、うっと口を鳴らした。邪魔で前へいけないとの抗議である。だが、そこは歩道である。歩行者が優先されて守られてしかるべきである。わずか8才か9才くらいの女子が口を鳴らしたのは、おなじく自転車できていた母親の真似であったにちがいない。

 食品スーパーアコレに入店すると、女がいた。25くらい。通路を歩くわたしへと体をむけていた。わたしとしては、そんなふうに立ちどまっている女のほうへと歩いていけるわけがない。もどって時を稼ぐ。そんな女に興味はないと知らしめたのち、ふたたび通路を奥へとすすもうとした。女が男26?と合流するのがみえた。男つきの女であり、こんな女によってわたしは存分に観察されていたのである。このあとわたしは、このふたりがいないほういないほうへと通路をえらんだ。買いたいと思っていたものを手にした。

まいばすけっとの女。キェルケゴール。光塩幼稚園。

796.2021年5/23 中野三丁目店。レジ待ちの列についた。女のうしろである。25くらい。この女は首をまわし、わたしがついているのを気にとめた。列から離れ、棚に首をのばすようにした。買い残したものがあるふりで通路に消えた。わたしに見られると思い、避けたのである。まもなく女はわたしのうしろについた。通路をひとまわりしてきたにすぎないだろう。今度はわたしが列を離れた。こんな女にうしろから見られつづけたくはなかった。

 この女はキェルケゴールが『死に至る病』に書いた次のような人である。すなわち、「自分の自己についての自覚もなしに自分の才能をただ働きかけるための力としてだけ受取ってそれがより深い意味においてどこから与えられたかも意識すること」のない人である。

 ひと口にいって手前勝手、自分がよければそれでいいというわけである。

 店の外にでた。もらったレシートを財布にいれているとき、男がむかってきた。63くらい。またこんな男がいた。

 光塩幼稚園脇の道で、むこうからきている女65?がむかってきた。またこんな女がいた。

●高円寺高架下の女。

795.2021年6/1 ちかくの家の前に配達員の男がいた。56くらい。オートバイで何かを運んできている。大判の書類袋のような配達物をその荷台からとるにあたって、体を道路側にむけていた。なんとなく無駄とみえる動きをしつつ、とうとう体を、通りがかったわたしにむけた。またこんな男がいた。配達なんてそっちのけである。高卒男。

 高円寺駅から西へJR高架沿いを歩く。遠くに女がいるのがみえた。30くらい。道をふさぐかのように立って、わたしを見ている。

 まっすぐいくのをやめた。高架下の暗がり、飲食店の左右にならんでいるほうへ折れた。歩いていくと、さっきのあの女が、前方にいるのがみえた。何てこった。こっちにきやがって。建物側を背にスマホに目をおとしている。あくまでもわたしを待ち構えているふうだ。白いTシャツ、ベージュのチノパン。目に映るものに総身をひきずられている。スマホをもっていながら他人を見ている。こういう姿が他人から見られているという事態に気づいていないのだろう。自己[セルフ]のない女がまたいた。

 いくたりかの肉体労働者が腰をおろしている。そこを通ることになった。昼休憩だろう。突きあたりで左にまがろうというとき、ごほっと口中音がとんできた。かれらのひとりがわたしにひきずられ、わたしを見つづけてそうやった。またこんな男がいた。

 細道を歩く。むこうから女がきているとわかった。32くらい。スマホに目をおとしている。わたしとすれちがおうというとき顔をあげ、嫌悪の情を目元口元ににじませていた。超然としていることのない女であった。欧米人とはまるっきりちがう。悪しき日本人である。

 阿佐ヶ谷駅方面へ。男がきていた。30くらい。顔をわたしにはむけないまま、何となくこちらにむかってきている。そんなやり口もあるというわけか。わたしは歴とした的になる前に場所をかえた。

 帽子をかぶった男をよく見かける。この男は洗面所からでてきて、そこにとどまっていた。わたしが帰るのをまともに見るつもりなのだろう。これを察知したわたしは、受付前にとどまっていた。男はようやくそこから動いた。

 中杉通り。歩道を人がくる。男、推定28、女、同48が、歩道の両の端をほぼならびあってくる。知らない人同士にみえた。わたしが歩いていくなら、そのあいだをいかざるをえない。

 右手に建物の出入り口があるのを見つけた。そこに待避した。男が過ぎさってからそこをでると、女がスマホ画面を見つつ、歩道をななめにわたしにむかってきた。またこんな女がいた。

●ある日曜日。

794.2021年5/23 きのう環七の陸橋をのぼっているとき、女が反対側からのぼってきていた。25くらい。この女はわたしをにらむように見て、むかって左をとった。2才くらいの子がそばを歩いていた。警戒心まるだしであった。

 電車は新宿へ着こうとしている。すわっていた男が口で音をたてつつ席を立って、ドア前へいく。両耳にヘッドホンをして、手にはスマホである。ホームにおりた。見てやった。24くらい。高卒ふう。

 女がキャリーケースとともに乗りこんで、ひとつおいたむこうにすわった。65くらい。せわしなく何かごそごそやっている。

 ぴしー。

 ファスナーを音たててしめた。その乱暴ぶりは衆愚のひとりであることを、これでもかとみせていた。高卒。きのう東西線内でごほっとやった女と同類である。何かとりだし、紙の音をさせている。ともかくせわしない。

 ううっ。

 その女が口を鳴らした。

 長椅子のほうにいる女か男か、横ずわりをしている。体をわたしにむけている。ちいさい子を庇護しているつもりなのだろう。

 男がひとり立っている。50くらい。変質者である。通路に仁王立ちし、わたしを見ていた男だ。

 ホーム上にて電車を待った。スマホ男21?がわたしに体をむけている。こんな男から遠ざかれば遠ざかるほどに、男はわたしにむかってちかづいてきた。この男とすれちがう。するとまたもわたしに体をむけてくる始末であった。

 優先席の連結部寄りにすわった。となりの車両の優先席に男がいるとガラスごしにわかった。68くらい。単行本を読みつつも体をはすにし、わたしを横目でうかがっている。そのうち本を読むのをやめ、上半身を座席の支えにもたせかけ顔も体もわたしにむけていた。

キェルケゴール

793.2021年6/3 中野駅南口改札。外に男がいた。26くらい。何をしているのか。でようとするわたしを見て、ごほっとやった。高卒ふうではなく、高卒である。こんな男ばかりがいる。

6/4 高円寺駅高架下を歩く。ごほっ。居酒屋の店内から男が口を鳴らした。28くらいの店員か、客か。頭を刈ったわたしの外相に反応したのである。

 鷺宮妙正寺川が流れている。その川沿いの駐輪場から、ごほごほっと男が口を鳴らした。60くらいか。係員である。人を見て反応したのであり、よほど暇なのだろう。

 中杉通りの歩道を歩いた。むこうから男がきていた。65くらい。この男はどんどんどんどん歩道のまんなかへと寄って歩き、わたしを見ていた。

 高円寺に着く頃、座席にすわっている男が立ちあがった。35くらい。わたしのいるほうへときた。見にきたのである。

 あかないドアのほうへ移った。スーツにカバンというその男はホームにおりた。わたしはつづいておりた。男の後方をいく。男は歩くのをやめた。わたしに気づいたのである。人を先にいかせるつもりらしい。わたしはこんな男をふりかえることなく、階段口へむかった。

 如上の人びとはキェルケゴールのいう直接性を備えて、それだけで生きている。自己などもっていない。

 キェルケゴールはいう。「彼は自己ではなかったし、またそれになりもしなかった。彼は単なる直接的な規定性のままに生きつづけてゆく。」(『死に至る病』)

●中野レンガ坂のカップル。

792.2021年5/30 中野レンガ坂をのぼっていく。狭い道の飲食店街である。20代前半のカップルが店の前で立ちどまった。そのうしろを男24?スマホがこのカップルにあわせて、抜き去ることなくゆっくり歩いていた。わたしはこれら三人をひと息に、小走りに駆けて追いこした。

 うっ。

 口腔音がきこえた。カップルの男からにちがいなかった。意気がっているだけの高卒男がまたいた。

まいばすけっとの女。エリアーデ

791.2021年5/28 鷺宮から歩いた。めざすは早稲田通りである。ごほっ。自転車の女がすれちがいざまを狙ってそうやった。40くらいの女である。

 商店街を歩く。男がむこうからきている。45くらい、サラリーマンふう。わたしに顔をむけつづけている。

 右手でパーとやってやった。

 まいばすけっと高円寺駅北店。女がいた。23くらい。この女は棚の前にいるものの動かない。顔を棚にむけていず、横目でわたしの動静をうかがいつづけた。

 レジ待ちの列の最後尾についた。ややあって、その女はわたしの真横ちかくにきた。買うべきものは最初からきまっていたはずである。わたしを見た時点で、絶対に先にレジにいかないときめたのである。そこからわたしに体をむけ、顔はそむけて、人をうかがいつづけた。こちらのカゴのなかのポカリスエットとココナッツジュースを見ていたのにちがいない。人を見るものの、人に見られていることに気づいていない。またこんな女がいた。

 セブンイレブン高円寺駅東店をとおりすぎた。脇道がある。地下にライブハウスのあるところである。その階段口そばでポカリスエットを飲み干し、もどっていく。車通りのむこうに男がいるとわかった。23くらい。わたしが何をしていたか一部始終を見ていた目つきをしている。おえーっ。

「堕罪以後の人間を支配しているのは絶対的自我中心主義エゴサントリスムと、己れのみの満足に対する激しい追求ばかり」であると、エリアーデは『世界宗教史Ⅲ』に書いている。上述の女も男も、そういう人間の、懿行とは対極の性向をこれでもかとみせてくれた。

●高井戸プールに迷惑女がいた。イソップ物語キェルケゴール

790.2021年5/3 歩いていると、口笛がきこえてきた。うしろのほうからである。歩きつつふりむいた。女がゆっくり歩いてきている。63くらい。わたしを見ている。この女が口笛をふいていたのか。わたしを知っている女があとをつけてきた?道をはさんでむこうの家の女か。

 曲がれるところで、道を曲がった。

 高井戸プールの水のなかに女がいた。55くらいか。水着というのか白い薄手のもので両腕をふくめて上半身を覆っている。それはまるで被覆のようだ。小5か小6くらいの女児ときており、水泳指導をしていた。この日だけのことではない。前にも、その前にもこのふたりがいた。監視員はだれひとり、この女に注意をしていない。怠慢である。

 この女は自由エリア内の、コースのロープ際にいることがあった。コースを泳ぐ人(わたし)からみたら、じゃまくさいところにいるというわけである。そこにいて後ろ歩きをし、こうして人の泳ぎをまともに見ていた。このときわたしは平泳ぎなんてできるはずがなく、クロールにきりかえた。

 この女はいきなり水中に腰を沈めてもぐった。わたしのクロールを下から、見ていた。やりたい放題、自儘である。無神経、鈍感、考思浅々、有道欠落。精神的なことを何もしないままそこまで生きてきていよう。何かに磨礪することのない女が、泳ぐという目的をもたずプールにいるとこうなる。そのひとつの典型である。キェルケゴールのいう「時間性と世俗性の国の内部における或るもの」になりおおせている。電車内で人に体をむけて立つ男や女と同類である。

 『イソップ物語』にこうある。「人間は生まれつき、利得を追求するほどには正義を愛しも尊びもしない。」

 この女の指導下にある小学生女子はコース内で25メートルを泳ぐと、つづけて泳がないのが常であった。すなわち、コース内にとどまっている。泳がないなら自由エリアにいくという注意書きを守っていない。何人かが滞留する元凶となっていた。

 休憩時間になって水からあがった。シャワー室へとプールサイドを歩いていると、太目の女65?がタイミングよくわたしの前方にきて顔をわたしへとむけた。またこんな女がいた。水のなかでは徒渉コースで歩いていただけの女である。

 好きこのんでこのプールにはきていない。コロナ奇禍ゆえほかの区のプールがしまっているから、杉並区のプールを利用しているだけだ。

 まいばすけっと南阿佐ヶ谷すずらん通り店。もうひとつのレジがあいた。列にならんでいた男は、会計中のわたしのうしろをとおってそこへいく。ううっと口を鳴らした。人の耳元である。またこんなことをする男がいた。まったくおなじことを吉祥寺のファミマで男22?がやっている。あのときわたしは完全に切れた。きょうもやりかえした。

 阿佐ヶ谷パールセンター。男58?が自転車を押して歩いている。その前方を歩く女23?にあわせているようにみえた。

 この男と女をひと息に抜いた。ごほっ。男が口を鳴らした。またこんな亡状をやってのける男がいた。

 南阿佐ヶ谷。細い裏道をいく。男62?が子犬の散歩をしている。この男はすれちがおうというとき、口笛をふきだした

――くちぶえっ。

 いってやった。口笛の音はたちまちやんだ。またこんな男がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

★チェスタトン。聖ボナヴェントゥラ。이십구.veintinueve.

764~789

東西線の女。イザヤ書

789.2021年5/22 高田馬場ですいた。あいている席を見つけた。そこへと車両内を歩く。ごほっ。すわっている女が背もたれに頭をあずけわたしに目をむけてそうやった。65くらい。立っていたわたしをななめうしろから見つづけていたのにちがいない。高貴とか典雅とかにまるで関係がない老女でしかなかった。高卒低所得まるだしである。

 むこうから女がきていた。25くらい。せまい道である。この女は道のまんなか寄りへと動いた。人の枯寂をかきみだすようにむかってきた。またこんな、憂苦をもたらす女がいた。自己というものがまったく育っていない。心的蛮夷である。

 ちびりちびりページを繰ってきたウォルト・ホイットマン『草の葉』を読過したので、旧約聖書イザヤ書にとりかかった。そこにこうある。なお「しえたげる」は「しいたげる」の謂である。

「人はおのおのその隣[となり]をしえたげ、若い者は老いたる者にむかって高ぶり、卑しい者は尊い者にむかって高ぶる。」

 これはこの国のどこかで日夜怠らず(笑)くりひろげられていよう。

●女子高生?男が単行本をひらく。

788.2021年5/23 乗りこんだ女がわたしのすぐ前方、車椅子スペースに立った。16くらい。スマホを見つつも体をぴたりとわたしにむけている。となりの車両にすわっている男は単行本を読んでいたはずだが、もう手にはない。体をこちらにむけて、窓ガラスごしにわたしを見ている。68くらい。セルフがない。心的には死水腐木にひとしい。わたしはファイルと小冊子で防御した。

東西線高田馬場駅まいばすけっと中野三丁目店。ホイットマン。②

787.きのう5/20 東西線中野行き。高田馬場でたくさんの人がおりた。女が乗ってきた。20くらい。これを見てわたしはおりた。車両をかえる。となりのほうがすいている。女はわたしがいたのを見て、狙いをつけて最前乗りこんだとみえた。

 スーツ姿、茶色い革靴。そんな男が先に乗った。30くらい。だれもいない優先席のまんなかあたりにすわった。ほかの人がこないようにであろう。わたしは車椅子スペースで壁をむいて立った。ぴしーっ。男はカバンのファスナーを音たててしめたかあけたかした。音をかましたのである。人が気障りに感じることをした。またこんな男がいた。見かけにだまされてはいけない。

 中野に着こうというとき、長椅子にすわっている男が立ちあがった。25くらい。立っているわたしを見るつもりだ。こう感じとったわたしは、となりの車両へ移った。すると、すわっている男がいちいち顔をむけた。45くらい。スーツ姿。

 まいばすけっと中野三丁目店 は桃園通りにある。レジ会計中、もうひとつのレジ前に先にいる男が、わたしのようすをちらちらうかがっていた。26くらい。高卒にみえた。ぴしーっと何かのファスナーをしめた。

 ホイットマンは「日没時の歌」をこう歌いだす。「暮れ果てた日の光彩は漂うて私を充たす。」そしてこうしめくくる。「おお、沈みゆく陽よ!時はすでに来たけれども、たとい他に誰がしなくとも、私はあなたの下で今も猶心からの礼讃を歌う者だ。」

 何が高貴か。大方の人はわからない。眼という窓をとざしている。

早稲田駅ホーム。①

786.2021年5/21 朝。南窓の下で、ごっほごっほと男が口を鳴らした。わざとにきこえた。20代か30代か。これから一日がおわるまで、何回そんなふうに他人の康寧をかきみだすのだろう。

 きのう5/20 高円寺駅南側を歩く。高円寺通りの横断歩道が赤信号である。ゆっくりめに歩いた。ごほっ。左ちかくの男が口を鳴らした。53くらい。黒枠めがね。女と歩いている。スラックスをはいている。仕事中か。高卒?

 東西線。長椅子のドア寄りにいる人が、ドアとドアのあいだの空間をこえてすじむかいのこちらをちらちらちらちら見ていた。

 早稲田駅ホームに女がいた。21くらい。ホームにすべりこんでいく電車の窓ごしに、その女が顔をそむけたのがみえた。窓ガラスごしに、すわっているわたしを見て、そんなふうに反応したのである。わたしはその女の顔をまともに見てはいなかった。

 おりようというとき、この女?が乗りこんできた。そのあとわたしはおりた。このとき長椅子のドア寄りにすわっているのが男であり57くらいだとわかった。

 帰りは坂をくだった。すぐそこが早稲田駅だというとき、ごほっと男が口を鳴らした。23くらい。横断歩道をわたってきて私を見てすれちがうところだった。ふいにそんなことを人にむかってやってのけた。身心に深く恥じること、慚忸、こういうことがまったくないのにちがいない。

●女がむかってきた。男がむかってきた。

785.2021年5/20 その高架沿いの道では、女が道を横切ってわたしを見ながらこちらにむかってきた。わたしは前にいくのをやめた。道をわたり、女がもといたほうの歩道へいった。こんな女とすれちがうのはまっぴらだった。

 その道ではいつだったか、男がごほっとやった。このあとむかってきた。むかってくる気もないようによそおって、わたしの目には顕然とむかってきた。26くらい。アルバイトふう。 

まいばすけっと。ウーバーイーツ配達員の口笛。聖ボナヴェントゥラ。②

784.2021年5/19 阿佐ヶ谷すずらん通りにまいばすけっとがある。そこで買い物をして同通りを歩いていた。バナナの房を買わなかったことに気づいた。女とすれちがったあとのことだ。28くらい。この女は、わたしがあとにつづいていることに気づいた。左側にならんでいる商店に顔をむけ、そのガラスに映りこむわたしを見ようとした。

 商店街の反対側へと動いた。この女が、ばいばすけっとに入っていく。いやな感じがした。中肉と小太りのあいだくらいの、腰のくびれのない体型である。

 女は通路から入ってすぐのところにいた。肉のパックなどのおいてある棚の前である。そこから動かない。動くわけがない。わたしがどう動くかを気にしているからである。

 この女のうしろ側にあるバナナの房をひとつとった。レジへいく。

 会計中も女はそこからまったく動かなかった。目の端でこちらをうかがうことに余念なしといったさまである。

 会計をおえた。いってやった。

――ずーっとこっち見てる。

 きこえたかどうか。わからない。わたしが出入口から外にいくときになってようやく女は通路を歩きだした。肉のパックなどひとつも手にしてはいなかっただろう。わたしがいなくなるのを待っていたのである。

 大久保通りへとつながる道を歩いた。口笛がきこえてきた。うしろからだ。攻撃か。侮蔑か。ふりむくと、自転車がきていた。22くらいの男。わたしの横をとおっていく。ウーバーイーツの配達員である。それがもう一台つづいた。定職がなくてそんなバイトをしているのか。おのれのちいささ、くだらなさをごまかすために赤の他人に口笛をかましたのだろう。

 すずらん通りの女といいウーバーイーツ口笛配達員といい、キェルケゴールのいう俗物性(『死に至る病』)を太らせている。精神性はない。

 キェルケゴールは同書のなかでいう。

「自分がいまや無精神性の奴隷でありあらゆるもののうちの最も憐れむべきものになっていることに自分で気づいていない。」

 エリアーデ世界宗教史Ⅲ』のなかにこうある。フランシスコ会士聖ボナヴェントゥラの言葉である。

「我々は、我々自身の精神性の内へと入りこまねばならない。そこには神の永遠で霊的な似像が、我々の内に現存している。ここで、我々は神の真理の内に入るのである。」

●高井戸プールへ。①

783.2021年5/19 旧五日市街道を歩く。前方のずっと先を女が歩いている。42くらい。この女は顔を横にすることが何度もあった。うしろから人がくることを気にしているとみえた。わたしに気づいた。人の存在に全身全霊でとらわれだしたといってよい。このあと頻度をあげ数秒に一回顔を横にし、わたしがきていることをたしかめていた。

 四つ角のところまで堪えた。そこで、前をいく女とは別の道をとった。

 高井戸地域センターと道をはさんで環八沿いにマンションがある。男がそこへはいっていく。28くらい。スーツ姿に白マスク。わたしに顔をむけつつ入っていった。

 高井戸プール。受付前に見かけたことのある男がいた。60くらいか。自分のことをせずそこにとどまって人を見ていることはいうまでもない。

 プール内に、子供か孫の指導をしている女がいた。コースロープ沿いにいて、人の泳ぎの邪魔になっていることにまったく気がまわらないらしかった。

 別の女はコースの外にいる。泳ぎついたわたしへと顔をむけた。55くらい。わたしのあとから、コースに入って泳ぎだすつもりらしかった。このとおりになった。

 コース端についた。戻りのコースへいこうとするとき、ごほっと口腔音がした。フリーエリアを歩いている男がわたしを見つづけて反応したということだった。50代か。

 帰りの道で、むこうから何人もがきていた。車の通行がないのをたしかめ、道の反対側へと動きだすと、前方のなかのひとりの男が人にあわせるように人のいくほうにきた。

 もとにもどった。

  青梅街道の歩道を歩く。男女の勤め人ふうがならんできている。そのうしろから男27?が、このふたりを追いぬいてわたしにむかってきた。こういうシチュエーションはよくある。男はこうして、たらたら歩く男女へのいらつきを解消し同時にわたしをしかと見にかかった。

●酒店チェーンカクヤス?まいばすけっと中野三丁目店。キェルケゴール。③

782.2021年5/14 四つ辻をタクシーがまがりこんできた。ぶつけられないようによけてから、そこをとおっていく。ごほっ。思いっきり左から口を鳴らされた。

 ただちに顔をそっちへむけた。やりかえした。自転車の男が目を伏せつつきている。わたしがタクシーをよけて立ちどまっていたことでわたしを存分に眺めていたのだろう。24くらい。酒店チェーンかどこかの配達用自転車とみえた。そんな木っ端仕事をしなければならない憂さばらしに、目についたわたしを的にしたというわけだ。

 男はごほごほっとまたもやった。よくあるパターンである。金太郎飴。キェルケゴールのいう自己をもっていない。鍛錬が致命的に欠損している。

 東高円寺駅へと通じる車通りがある。枝道からそこへでようというとき、左からカップルがきていた。ともに20代前半くらい。わたしがすすんでいけば近接してすれちがうので、立ちどまって待った。

 うううーっ。

 男のほうが口を鳴らした。女と歩いているというのにそうやった。わたしを右の横目で見ていたのである。

 まいばすけっと中野三丁目店。マヨネーズがほしかった。さがしたけれど、どこにあるのかわからない。通路のまんなかあたりで棚を見ていた。奥のほうに女がきた。25くらい。女はそこで歩みをとめた。顔だけをわたしにむけ、わたしの体貌をしげしげ見ている。

 おえーっ。こんなところにいられない。背をむけ、そこを離れた。

●Nマーク。ヨネックスウォーキングシューズ。②

781.2021年5/14 高円寺へ歩く。センターラインのある道である。一方が商店街に通じているものの時間制限ゆえに、午後八時前は本来突っきっていくことができない。そのためか車はあまり通らない。それで男が道をななめに、わたしにむかってきた。65くらい。人を見るためである。日頃することがないのにちがいない。

 阿佐ヶ谷駅。洗面所へ入っていこうとするとき、女が右うしろからきているのがわかった。30くらい。この女は快速へのエスカレーターへむかっているというのに、たまたまそこを歩くわたしに顔をむけた。わたしを見ていた。

 各停のほうへいく。ごほっ。快速ホームから階段をおりてきた男がそうやった。23くらい。どこかのアルバイト要員にみえた。溶けようのない鬱塊をかかえているのだろう。

 時間が迫っていた。中野始発に乗りかえるのをやめ、乗りつづけた。ドアとドアのあいだの空間、そのすじむこうに女がすわっている。わたしは警戒していた。顔をむけてくる、と。ななめ前の席に小学生の女子がすわった。横ずわりふうなのでNマークの青いバッグを背負っているのがみえた。塾通いである。

 捨てるべき広報誌に目をおとす。このとき、あのすじむこうの女が、こちらに顔をむけつづけているとわかった。年令推定できない。スマホから顔をあげている。わたしがリュックのなかをまさぐっていた隙をついたのである。いまこのときの場面をよびもどすと、広報誌を盾に女の視線をさえぎってやればよかったと思える。邪悪には邪悪をもって制すればよい。

 早稲田駅でこの女とその小学生女子がおりた。このあとからわたしもおりた。女はホーム上を左へいった。見かけだけの女にみえた。30くらい。わたしは右をとった。

 大久保通りの横断歩道を歩く。枝道へ入ろうというとき、豚が鼻を鳴らすような音がきこえた。見ると、男が横断歩道をわたってきている。53くらい。肉体労働者ふう。わたしを見ている。見つづけて反応したというわけである。こんな男にうしろから付かれたのではたまらない。

 駆けだした。ヨネックスのウォーキングシューズはクッションがきいて、歩きにくいけれど軽快に走ることができる。

 帰りは雨がふっていた。坂の歩道はせまい。雨傘をさしている同士がすれちがうことになる。女22くらいは傘をわたしのほうに横倒しにし、みずからの姿を隠すようにしてすれちがった。おんなオンナした女だ。カサデカクス、カサデカクス。わたしは傘越しにそういってやった。

 高田馬場でいったんホームにおりた。車両をかえる。席があったのですわった。優先席の連結部寄りである。はすむかいに男がいた。スーツ姿。サラリーマンふう。50くらい。スマホに目をおとしている。めずらしく足を組んでいない。わたしは冊子を手にし、男を見ないようにした。男の目の動きをも視界から消していた。終点中野にちかづく頃、なんとなく男がスマホから顔をあげている気配を察した。わたしを見ているのだろう。これにたいし、わたしがこの男を見ることはなかった。下ばかり見て目が疲倦した。

 中央通路への階段をおりていく。ごほっ。女が口を鳴らした。上からわたしを見ながらおりてきている。21くらいか。こんな女こそ、差別類別のおかしな風潮の悪疫に侵されていよう。

 やりかえした。効果のほどはわからなかった。

●小雨もようのなか杉十小プールへいく。コロナに負けるな。或る外出。①

780.2021年5/14 ロッカーをあけた。靴は持参のレジ袋におさめてある。それをいれようとしたとき目に入ったのは、靴底もようの泥跡である。だれかが雨にぬれた靴をそのまま入れた。あとにつかう人のことを考えもしないやからだ。コロナ延蔓予防のためどこのプールでも靴袋は撤去されている。人の善意に期待するのは愚かしい。

 プールのロッカーには、靴をいれられる造りつけのスペースのあるものもある。

 シャワーをおえて場内へ入っていこうというとき、ごほごほっとだれかが口を鳴らした。うしろの洗面所からである。そこからでてこようとする男が、わたしを見てそうやった。ふいの威嚇もはなはだしい。犯罪未満なら何をしてもいいというわけか。

 帰りの更衣室にシャワーをすませた男がいた。57くらい。この男はわたしの左手のほうの、壁沿いのロッカーをつかっている。あえてそこをえらんだとみえた。なぜなら、そこから更衣室内を何割か見渡せるからである。入ってくる人をも見ることができる。わたしの思ったとおり、この男はロッカーに左肩をむけて立ち、着替えのわたしを見にかかった。目は爛々と邪心に燃えさかっているようだ。

 これから着るべき服と荷物、靴をもってそこを離れた。ロッカーとロッカーのあいだの、この男のいるところから見えないほうへ移った。すると男はまだ着替えを始めたばかりだというのに、わたしの横をとおって、わたしがどうしたのかたしかめるためにそうして、鏡のある洗面スペースへいった。やる必要もないことに時間をかけた。ばか丸だし。高卒。

 緊急事態宣言下に入って中野区も練馬区もそのほかの区もプールは一斉休館である。だからこの頃、杉並区のここは込んでいた。きょうはすいていた。この日はもともと行政使用にわりあてられ一般の利用はできない予定であった。コロナで変更になったとネット上にあって、これを知らない人が多かったのかもしれない。雨降りで外出をひかえた人もいたかもしれない。すいていると、ああいう男がのさばるというわけだ。

●ウーバーイーツの滑稽千万な配達員。キェルケゴール

779.2021年5/11 賃貸マンションがある。四階建てか。その敷地の道路際に男がいるのがみえた。23くらい。スマホに目をおとしている。けれども体は、歩いているわたしにむかっている。人がくるのに気づいてそんなふうにしながら待ちかまえているとみえた。ちかくに自転車があり、ウーバーイーツの配達員のようだ。

 この男から離れたほうを歩いていく。男の体はおなじ場所ですこしずつまわる。わたしへと絶えまなく体をむけつづけていた。自転車のスタンドがあがる音がしたから、わたしが去っていく後ろ影をも見ていたのにちがいない。人にあわせているだけである。こういう男には深い意味での自己がない。高卒。またこんな男がいた。

 キェルケゴールはこう書いた。「一体いかなる人間も根源的に自己自身たるべく定められており、彼自身となることが彼の使命である。」(『死に至る病』)

 上述の男は使命をおろそかにする態度をとりつづけた。これから先どんなに生きたところで、使命を果たさないだろう。

●こんなできごとどうでしょう。まいばすけっと南阿佐ヶ谷すずらん通り店。

778.2021年5/7 青梅街道へと通じる細い道を歩いた。歩道から女が、まだ遠いわたしに顔をむけてきた。顔をそむけてやった。女は反応し、体をむけて立ちどまった。道を見るふりでわたしを見ていた。

 プールに外国人がいた。欧米系である。前々から見ていたが、きょう初めて外国人だとわかった。更衣室でも水のなかでも個のあるふるまいをしていた。日本人のそれとはまったくちがう。

 プールサイドで女がむかってきた。65くらい。自由エリアのコース際にいた女である。そこはうまくするとマイペースで泳げる。そこを占領し自分勝手な、へたくそな背泳ぎをしていた人である。コロナウイルスの世柄で休館しているどこかの常連だろう。

 まいばすけっと南阿佐ヶ谷すずらん通り店。男があらわれた。70くらい。わたしのいる通路の端、その曲がり角にたって棚を見るふりでわたしをうかがっていた。

 これを見て動くと、動いたほうに男がきた。レジ会計中には、わたしのすぐうしろをとおって店の端から端へ動いた。人を間近く見ようとして見ていた。高卒世俗男がまたいた。

 環七の横断歩道を渡っていく。男がむかってきた。68くらい。ねずみ男みたいな顔をしている。高卒か中卒。わたしが手で払うや、ごほっとやった。度しがたい男である。

 車のあまりとおらない道で男がむかってきた。70くらい。わたしはもどった。数秒後、男はこっちを見ていた。

 その部屋の前をとおると、住人の女がごろごろとうがいの音をたてる。前にもあったし、今夜も、もくろんでいたようにごろごろとうがいの音をたてた。わざとその音をわたしの耳にきかせた。

 わけあってうがいをしてきたから、その音がきこえるというのだろう。北側の一軒家の女は、網戸か何かをばちばちやりまくっていた。28くらい。

 その女は人にあわせて行動の時間をかえる。ごほごほっとやる。コロナ事変以前、真夏にマスクをして顔を隠していたときがある。

 とどのつまり、こういう女は、この夜環七の横断歩道でわたしにむかってきた男と同列である。おなじ範疇である。

杉並学院の生徒。まいばすけっとチェスタトンキェルケゴール

777.2021年5/6 ケータイで電話をしつつ杉並学院のところまできた。生徒らが下校している。コロナで授業は午前中だけだったのか。高1くらいの男子生徒が三人でてきた。学友である。わたしが電話をしながら道の途上に立ちどまっているのに気づいた。       

 体を別のほうにむけた。もどすと、三人はJR高架下にはいかず立ちどまっている。三人とも顔をわたしにふりむけ、こちらを見ていた。眺めていたというわけである。おのれの目標にむかって専精邁進しているとはみえなかった。聖があり俗があるなら、俗のほうに全身どっぷりつかっているだけにみえた。つるんでいたこの三人の親とてそういうことなのだろう。

 阿佐ヶ谷パールセンター。女が自転車をだそうとしている。顔をわたしにむけ、ごほっと口を鳴らした。

 東西線。すわっていると、男が顔をこちらにむけつづけていることに気づいた。50くらい。ひとりですわっていられないのである。顔を見てやった。高卒以下まるだし。獄房にいたことのある男か。

 チェスタトン『ブラウン神父の童心』にこうある。「犯罪がよからぬものであるという真の理由は、人間がしだいに奔放になるからでなく、ただただ卑しくなるばかりだからさ。」

 席をたった。ごほっ。その男が、わたしのうしろ姿に口を鳴らした。救治しがたい男だ。

 キェルケゴールは『死に至る病』において次のように書いた。「世間的な見解はいつも人と人との間の区別にだけ執着しているので、自然また必要なる唯一のものに対する理解(これが精神と呼ばるべきものであろう)が欠けることになる。」

 如上のひとたちのだれしもが、精神などもっていない。

 交差点で信号待ちをしていた。右手のほうに男がいた。27くらい。手にはスマホである。画面に目をおとしているけれども、その目はしかとわたしをとらえていた。こちらのようすをうかがいつづけているというわけである。またこんな男がいた。

 まいばすけっと中野駅西店。列に並ぶ。ううっ。うしろの男が口を鳴らした。46くらい。この男はわたしの横ちかくまできてお米の棚を見ている。どけといったにひとしかった。

 レジはふたつある。出入口のほうに客の男がいた。42くらい。会計中、体をはすにし、列の先頭にいるわたしをうかがいつづけた。

 この店ではろくな目にあわない。もう来たくもない。

●高井戸プール。まいばすけっとの女たち。キェルケゴール

776.2021年5/10 石段をのぼりきった。高井戸市民センターの敷地のなかへ入った。喫煙所がみえる。人の背丈よりも高いアクリル板を風よけにしている。そこに人がいると、厄介である。男がでてきた。50くらい。スマホを手に、画面に目をおとしている。だが建物へと歩いていくわたしへと体をむけ、数歩すすんできた。人の行方を追うように体をぴたりとこちらにむけてとまっている。またこんな男がいた。前回もこの男がそこにいなかったか。人を眺めているというわけだ。

 更衣室。泳ぎおえた男がきた。45くらい。これから水着になろうとするわたしに体をむけて着替えをはじめそうにみえた。わたしはひとつだけあるカーテンのスペースに入りこむ。またこんな男がいた。

 帰りのシャワー室。男42?はシャワーをおえてそこにとどまっていた。ほかにだれがシャワーをつかっているのか、たしかめるためだ。めがねをかけた顔を、シャワーをおえたわたしにむけた。徒渉コースを歩くことの多かった男である。わたしを見て、ごほっとやった。またこんな男がいた。

 五日市街道をめざした。ふと、忘れ物をしたのではないかと気になった。歩きながらリュックの水泳道具をまさぐっていた。顔をあげると、道の反対側の先に男がいるのがみえた。62くらい。わたしが何をしているのかをじーっと見つづけていたのである。またこんな男がいた。

 変則交差点で信号待ちをした。右うしろに自転車のとまった気配があった。乗っている女がわたしに顔をむけている。45くらい。わたしは車がきていないのを見て信号の色にかまわず渡った。こんな女から離れるためだ。

 杉並税務署を正面に見て右をとる。歩いていく。ママチャリにまたがった男がスマホで電話中である。36くらい。わたしはこの男とまともにむきあわないように、道の反対側を歩いた。男は通話をおえると、道を横切ってわたしにまっすぐにむかってきた。またこんな男がいた。

 まいばすけっと南阿佐ヶ谷すずらん通り店。食パンの消費期限が気になった。ひとつとろうとしていると、通路の角に女がきた。35くらい。この女は棚にたいして45度に立った。そこを見るふりで、いつづけた。わたしを眺めていた。

 別の通路にいると、女63?がわたしに体をむけて立ちつづけた。視界のはずれではなく、どまんなかに人を据えつけていた。こちらの女のほうがあまりに露骨であった。

 女店員43?は、わたしがふたつ目の小袋を要求すると、いかにもうるさげにささっと小袋に納豆巻をいれこんだ。またこんな女がいた。

 如上の人びとは皆、キェルケゴールがいったように「群集のなかでの一つの単位、一つの符牒、一つのイミテーション」に堕していよう(『死に至る病』1849年)。自己自身であろうとしていない。上滑りな臆測を脊髄に埋めこんでいるふうだ。

●高井戸プールへいく②。あっぱれ杉並区。大拍手だぁい!

775.2021年5/5 入場券をゲートに差しこんで、靴脱ぎ場に入った。折も折、ばんっと音がした。男なのか女なのか、靴を乱暴に床におろしたのである。ひとつだけあるパイプ椅子に腰かけて、靴下をはこうとしている。靴下なんて更衣室ではいてこればいいものをそれをしていない。わたしを見ながらやっている。心内の粗剛さを感じとられていることに気づかないのだろう。

 プール内は込んでいた。父子、母子の家族で、また中高生の友だち同士できているような人たちがいた。

 注意書きがある。コースのなかに入っていながら端で休憩しないようにというものだ。だが、大型連休のこんな日にあってはかならずしも守られない。小学生の男子が泳ぎだすのかださないのかよくわからないので、ようすをみていたら、ごほっと口腔音がとんできた。うしろからである。はやくいけというわけだ。十代後半か二十代前半か。わたしにしろどんどん泳ぎたい。だがそうもいかないときがある。込んでいるときはなおさらだ。ごほっ男は機微というものがわかっていない。想像力なし。

 小学生と母親か祖母らしき組みあわせのふたりがコース端に滞留していた。泳ぎ着いたわたしはコースロープをくぐってそのコース内へと入りこんだ。これは順路にそったものである。そのとき泳ぎだした小学生男児の尻を、当の女が手でぐいと押して加速をつけた。ふたりできている、だからあたしにちかづくなと暗にいっているようにみえた。こっちは泳ぎたいだけであり、そんな気があるはずもなかった。かんちがいもはなはだしい。

 元水泳部らしかった。泳ぎはうまかった。わたしがコースロープをくぐるのを見て、自由エリアからコース内に入ってくることがあった。人のあとから、これをもくろんで泳ぎだそうというわけである。ビート板をうかべている。こすっからい。常連である。

 わたしの利用してきた公営プールは大方休館になっている。災患コロナゆえである。今次の緊急事態宣言のもと、杉並区は例外である。区の当局、体育系上層部が英断をくだしたといってよい。運動しなければ健康は保持されえない。寿命はちぢまる。

 とあるボーリング場に七十代八十代の高齢者がたくさん通ってきていた。たのしみながら筋力アップをして健康を維持している。そこの女性経営者が、休みを要請されて嘆いていた。

 建物からでると、鬼門が待っている。敷地内の片隅に喫煙所があり、そこに人がいるなら、そんな人が流俗の視線をむけてくるからである。男がいるのがみえた。わたしがくるとわかって、そこからでてきたのである。スマホを見つつも体を、わたしの歩いているほうにむけている。自白を拒む容疑者のようにかたくなに、目はスマホ画面に落ちている。

 石段のほうへ歩きつつ、ふりかえった。その男5が、顔をあげてこちらを見ていた。54くらい。やっぱりだ。

 五日市街道をわたった。成田西あたりを歩く。なんでもない住宅から作業着の男がふたりあらわれた。何かの修繕にきているようだ。わたしは道の反対側へ移った。

 ううっ。

 男のひとりが口を鳴らした。40くらい。通りがかったこちらに反応をみせたのである。うらうらとした日和の祝日なのに働かなくてはならない。その下層ぶりをばかにされる前に攻撃したというわけか。高卒男。

 善福寺川の流域は緑地公園になっている。やわらかな五月の陽射しに誘われるように人がでている。だれだって外に出たい。

 橋のたもとに家族連れがいた。夫、妻、それに幼児である。妻28?は、わたしが歩いてくるのに気づくや、体をこちらへとむけつづけた。顔はそむけるように、幼児へとむかっていた。

 すずらん通り商店街を歩いた。夫婦らしきふたりがちんたら歩いている。女のほう29?は、靴音からわたしがきているのに気づいた。右の先のほうから人が何人かきており、わたしは抜くに抜けずにいた。女は顔を横にし商店を見ているふりで、うしろをうかがいつづけた。

 阿佐ヶ谷パールセンターへ入った。

 ごほっ。

 うしろから口腔音がとんできた。まただ。男、26くらいか。

 高円寺エトアール通り。女24?はわたしがきているのに気づいた。通りをこちらにむかってまっすぐすすんできた。もはやわたしがどうにもできないタイミングでそうやりだした。またこんな女がいた。

●高井戸プールへいく①。キェルケゴールチェスタトンエリアーデ

774.2021年5/5 きのう高井戸プールへいった。予定よりも早くついたので、理髪店をさがすことにした。環八の歩道を京王線ガード下へと歩く。駅への階段の昇り口に女がいた。52くらい。丸顔、小柄。体をわたしにむけ、こちらを見つづけている。わたしに見られることになった相依性の事態には気づいていないようだ。またこんな女がいた。

 右手を小手にかざす。こんな女からの、えげつない視線を消した。女を見ることのないようにして南へと歩いた。

 女はわたしが目の前を通るまでそこにいた。通りすぎようというときになってようやく体のむきをかえ、駅への階段口のほうへいくようにみえた。

 理髪店は見つからない。ローソンがあった。そこで洗面所を借りた。お代としてUCCの紙コップコーヒー2Pを買っていくことにした。レジ前に女がいる。26くらい。よちよち歩きの幼児を連れている。店内のどこかに夫がいるのかもしれない。いやな感じがした。女はわたしに体をむけた。レジになどむいていない。もうこうなったら、こういう女のすることは徹底している。人を視野にいれつづけるということだ。見るべき対象として措定したのである。

 わたしが買い物をおえてでていこうとするとき、女は幼児の手をひいて出入口のところにいた。すかさずというようにわたしに体をむけた。高卒女である。

 高井戸プールは広い敷地内の一部にある。ちかくを神田川が流れており、南から行く場合、石段を登ってその敷地へあがる。石段の途中で水着の入った袋をリュックからだそうとしていると、男があがってきた。五十代後半か、六十代前半か。“上流”の風貌である。桃色のシャツを着ている。わたしより先に建物へといく。書類カバンふうのものを手に提げている。水泳ではなく何かの講座にきたようにみえた。

 所定の検温をおえた。券売機で入場券を買おうとしたとき、二機あるうちの一機を四十くらいの男がつかっていた。男児を連れている。わたしは迷ったけれども、あいている横のもう一機をつかいだした。

 ぴしーっ。

 この男が財布のファスナーをしめた。またこんな男がいた。

 券を手に次回用の、氏名住所などを書く紙のあるところへと足をむけた。なんとそこにさっきの桃色シャツの男がいるではないか。券売機をつかっているわたしを、ななめうしろから見つづけていたというわけだ。おえーっ。またこんな男がいた。まったく個がない。わたしがくるのをみて、そこから受付へとむかった。

 キェルケゴールの『死に至る病』、きょうそれを読んでいたら、こんな文章があった。

「・・・・・・外見上は全く普通の人間として何の差し障りもなく日々を送ることができる、この世の仕事に従事し、結婚し、子供を生み、名誉あり声望ある位置に立つことができる、――そして彼にはより深い意味において自己が欠けているということにはおそらく誰も気づかないであろう。自己というようなものについて世間の人々が大騒ぎすることは決してないのである。」

 これは人間が絶望した場合の洞察である。良驥の長鳴である。その桃色シャツ男にあてはまっていると思える。この男ばかりではない。出版年は1849年、いまから百七十年あまり前である。人はかわらない。

 G・K・チェスタトン『ブラウン神父の童心』にこうある。

「卑下は巨人や超人を生むものなのです。谷にいる人はそこから偉大なものを見る。ところが山のてっぺんからは小さなものしか見えぬのです。」

 またおなじ著者の『ブラウン神父の知恵』にこうある。

「オットー公には、プロシヤ国民とその伝統につきものの悪癖があった。つまり、成功とか出世とかいうものを単なる僥倖とは考えずに、本質的な美徳と考えるということだな。自分、あるいは自分と同種類の人間は、永久にある種の人たちを征服しているものであり、その人たちは永久に征服されつづけているものなのだ――とそう思いこんでいるのだ。それだから、オットー公は驚きの感情というものに慣れていなかったし、次の瞬間に自分にたいしておこなわれたことにもまるで無防備だった。」

 桃色シャツ男は、わたしに書き記されることにまったく考えおよんでいなかったにちがいない。

 エリアーデ世界宗教史Ⅲ』にこんなふうにある。

「彼の形而上学は、創造された存在においては本質エッセンスと存在エグジスタンスが異なるという原理の上に築かれていた。存在[有る]とは一種の述語であり、本質のもつ偶有性のひとつなのである。」

 彼とはファーラービー(872~950年)をさす。イスラーム・スペインの哲学者にして神秘家である。

 桃色シャツ男は人の“存在”ばかりを見ていよう。

●セブンの女。

773.2019年7/28 駅へと歩いていた。むこうからきている男が、わたしにむかってきだした。48くらい。サラリーマンふう。またこんな男がいた。

 松屋でカレーを食べたあと、ちかくのセブンイレブンに入った。中野駅北口店である。女がいた。24くらい。太め。わたしのいるほうへわざわざきた。わたしを気にしている。こうなったらもうお手上げである。この女のいないほうへいく。

 だれもいない通路でフリーズドライの味噌汁をいくつか手にとった。その女は奥の通路を右から左へと、ちょうどT字路において顔をふりむけて通りすぎるように、わたしを見ながら通っていった。その目は人が何を手にしたかを見ている始末であった。

 こういう女は、わたしよりも先には絶対にレジにいかない。そう思いつつ三つあるレジのうち、いっとう出入口にちかいところの前にいった。ほかふたつのレジに客はいなかった。

 その女がすっすっと歩度をはやめて、こちらを見つつレジ前へときた。そのようすは同類の女たちのみせるものと軌を一にしていた。

 こんな女に背をむけた。すなわちレジには右肩をむけた。清算をおえ、レシートを財布にいれつつでていこうとするとき、小銭がたまっているとわかった。チャージで小銭をへらそう。それで店内で左をとった。もしまっすぐ出入口へといったなら、折しも清算をおえたばかりのその女にうしろからぴたりとくっつかれていただろう。まっぴらであった。

 せまいコンビニでは上述のような女にでくわす。前に22くらいの女がATMをつかっている最中なのか、これからつかおうとしているのか、パンコーナーにいるわたしへと顔をむけたことがある。人をたしかめないではいられなかったのか。わたしに見られていると思ったのか。物欲だけはつよい女にみえた。自身の気にいった男への性欲もしかりであるにちがいなかった。

杉並学院男子生徒のありさま。蒲重蒲鉾店。

772.2021年4/27 阿佐ヶ谷へ。むこうの角から男がまがりこんできた。26くらい。わたしは小径の反対側へいこうと動いた。すると男もこっちのほうへきた。よくある手だ。むかってくる。わたしは元いたほうへもどった。

 三叉路に交通誘導員がいた。そこで男が誘導員と何かしゃべっている。前にもそこにいた男、48くらいである。ひまそうだ。この男はわたしがくることに気づくと、体を道へとむけた。こうしてわたしを待ちかまえた。わたしは反転した。

 清川病院へといける四つ辻がある。そこを越えると、女が自転車をとめて何かしているのがみえた。33くらい。雨よけのカバーのあるママチャリである。わたしが道の反対側を通りがかると、ピシーっとファスナーをしめた。口真似をしてやると、ピシーっとまたやった。高卒女である。

 杉並学院の正面入口から男子高校生がでてきた。 二年生か三年生にみえた。この男は、道の反対側を歩いているわたしへとむかってきた。またこんな男がいた。つねに、目にみえる人を気にしている。学業方面は?

 阿佐ヶ谷パールセンターに蒲重蒲鉾店がある。老舗である。ここの脇に通じる裏道を歩いた。商店街のほうから女がきている。女はわたしに気づいた。せまい裏道のまんなかへと動いた。むかってくるというわけだ。妊娠中であることを、これ見よがしにみせつけるような傲岸な歩きっぷりである。高卒女がまたいた。

 阿佐ヶ谷の裏道で電話をかけた。かけおえてケータイをリュックにいれているとき、女がむかってきた。65くらい。またこんな女がいた。

 阿佐ヶ谷駅高架下。地図看板のところで信号待ちをしていた。男が三菱UFJ銀行のほうからまっすぐむかってくる。72くらい。またこんな男がいた。

 ファミマ高円寺駅南店。女がどんどん近づいてきた。28くらい。ただし顔はそむけている。男といっしょにきている女である。またこんな女がいた。高卒女。

コペンハーゲンと東京。キェルケゴール

771.2021年5/18 高円寺。三菱UFJ銀行のほうへとT字路を左にとった。

 ううっ。

 うしろから口腔音がとんできた。男がやった。23くらい、女と歩いている。わたしを見ていたのである。やりかえすと、またもやった。意気がり高卒男。

 商店街を歩く。前方に女がいた。うしろのわたしを気にしながら歩いている。24くらい。わたしが曲がる予定のほうへ曲がったので、こんな女のうしろを歩いて抜き去ることを厭い、直進した。遠回りになるがやむをえない。

 道路工事現場があった。通りがかって通りすぎていく。口笛の音がきこえた。工事夫の男がわたしの外相を見て反応したというわけだ。20代か30代か。社会的のみならず心理的にも下層民というわけだ。またこんな男がいた。

 阿佐ヶ谷駅前を歩く。

 ごほっ。

 口腔音がとんできた。まただ。すれちがおうとする女がやった。45くらい。人を見ていながら、しらばっくれていた。

 人が走ってくる靴音がした。ジョギングである。ぴたりととまった。ななめうしろを見ると、男がスマホを見ながら歩いている。19くらい。そこまできていながら、わたしの前方へはいかない。絶対にいかない。人を見つづけるためだ。またこんな男がいた。

 桃園川緑道へでた。高架下のほうからきた男とならぶかっこうになった。20代スマホ勤め帰りふうの男である。口を鳴らされると思い、先へと走った。あいだをとった。杉並学院のほうへまがろうとするとき、ううっと口腔音がとんできた。やっぱりだ。恥ずかしげもなく人を目で追いかけていたのである。またこんな男がいた。

 高円寺。大久保通りの起点に通じる道がある。そこで女が犬の散歩をしていた。28くらい。道のまんなか寄りにでていた。だからわたしはまっすぐいくのをやめた。いったん左の道へ入り、そのあと右をとった。大回りであってもそういう女を避けるつもりであった。ふりかえると、その女がわたしのあとを追ってきているとわかった。顔をあげてわたしを見ている。犬なんてどうでもいいという風情である。またこんな女がいた。

 環七の交差点へとむかう。もっとも横断歩道を渡る気はなく陸橋をつかうつもりだった。横断歩道の片脇に女がいるのがみえた。25くらい。体を、歩いてくるわたしにむけ、スマホに目をおとしている。もしわたしが石を投げつけるならかっこうの的と化している。女はそうまでして人を警戒していよう。観察も兼ねてだろう。またこんな女がいた。高卒まるだし女。

 恭倹己を持する。こうではない人ばかりだ。流俗の嗜欲と添い寝しているか、そうしたがる人ばかりだ。

 キェルケゴールは『死に至る病』のなかでこう書いた。俗物性は無精神性である、と。そして次のようにつづけている。

「想像力[ファンタジー]がないから――俗物的な人間はいつもそうである(酒屋の主人でも国務大臣でも)――彼は、世の中がどういうものであるか、何が可能であるか、普通どんなことが起るものであるか、というようないろいろな経験の或る種の通俗的な寄せ集めのうちに生きている。かくて彼は自己自身と神とを喪失したのである。」

 同書の出版は1849年である。キェルケゴールは1813年デンマークの首都コペンハーゲンに生まれた。彼の感じとっていたことが、およそ百七十年の時および欧亜の径庭をとびこえて、ここ東京の俗なる人たちにあてはまっている。

●阿佐ヶ谷ローソン100キェルケゴールホイットマン

770.2021年4/22 阿佐ヶ谷ローソン100から駅方面へと歩いていた。むこうから男がきている。26くらい。派遣社員ふう。この男からの目線を避けるように道の反対側へ移った。

 ごほっ。

 男が口を鳴らした。やりかえすと、男はまたも口を鳴らした。

 こういう男はキェルケゴールが『死に至る病』で書いた“直接性”でしか生きていない。この種目で金メダルをあげたい。

 4/25 王将中野店において、となりのカウンター席に男がきた。54くらい。ふだん着である。この地で暮らしているのか。オーダーストップ間際を狙ってきたとみえた。注文のあとスマホをみている。その顔を正面から15度横にし、わたしをうかがっていた。わたしは料理のくるのを待ちながら左手をかざしていた。

 ぎょうざがきた。わたしの分と、その男の分とが同時である。男はラー油と何かをそそくさとかけた。手慣れている。まったくもって常連である。アクリル板で仕切られたわたしのところにはそういうものがない。右どなりの席はあいていたけれどもそこにもない。わたしは何もつけずにぎょうざを食べだした。これはこれでよかった。王将のあつあつのぎょうざ本来の味を舌にのせることができた。ものは考えようである。

 ひとつおいた右むこうに男がいた。26くらい。食べおわっても帰らない。ようやく帰る気配をみせたかと思うと、カウンター席の椅子をまわし、体をわたしにむけたままスマホを見はじめた。ひとしきりそうやったのち、やっとのことレジのほうへいった。高卒男。

 左どなりの男のむこうから話し声がしていた。ふたり連れの男がべちゃべちゃ会話している。ともに二十代前半くらいか。食べおわったあとのことだ。疫癘コロナの席捲している時世であるとわかっていないようだ。

 そのふたりが席を立った。左どなりの男もいなくなった。レジには何人もがならんでいる感じがした。わたしは正面をむいたまま食べつづけた。

 レジのほうへいく。左どなりにいた男が最後尾にいる。わたしに顔をむけ、こちらを見ている。食べているところや、ウインドブレーカーを着るところを見ていたのだろう。“直接性”の男がまたいた。わたしはこの男の会計中、背をむけ、壁を見ていた。

 この夜はこんな男だけにとどまらなかった。

 中野駅西側に坂道がある。線路沿いのそこを歩いていく。洋風居酒屋?がある。夜八時をすぎてもにぎわいをみせている。その店から、坂道をはさんだところに男が立っていた。25くらい。体を同店にむけ、線路の擁壁を背にスマホに目をおとしている。店内の男女の客のみならず、通りがかるだれかれをも眺めることができる。

 いやな感じを覚えた。右手をかざして男からの視線をさえぎって歩いた。すると、この男が右手のすぐ先にわたしと同じ歩度であらわれた。うぇっー。顔をこちらにむけ、わたしをにらめる目をしている。殺気だっている。

 思ったとおり、人を眺めるだけの男でしかなかった。新聞配達員か。

 道をかえることにした。中野駅北口方面へもどった。男がわたしをつけているのかもしれなかった。中野サンプラザ前の横断歩道を渡って、線路ちかくの喫煙所のほうを見た。そこを背に、あの男らしき人が立ってスマホをしているのがみえた。やっぱりか。

 この男を撒くように、中野通りをまたぐブリッジをのぼっていく。

 ホイットマンは謳う。「私は全世界への歓びにみちた讃歌をつくるために、歓喜を貪るのに無我夢中な者だ。」

 あの男はホイットマンから遠い。

 中央線北側の道を歩いた。前方を女がいく。50くらい。ふりむいてわたしを見ている。立ちどまった。わたしを先にいかせるつもりだ。高卒女。

 ローソン100へと歩いた。道の反対側からふたり連れの男がきていた。ふたりとも品位がなさそうにみえた。高卒肉体労働者ふう。

 ごほごほっ、ごほごほっ。

 そのうちのひとりが思いっきり口を鳴らした。道をはさんですれちがうときのことだ。精神下劣、あるのはキェルケゴールのいう“直接性”のみである。濁世の象徴のような男だ。

 ローソン100高円寺北店。女がいた。24くらい。わたしより先にレジにいくはずはない。わたしのレジ会計中、ぴたりとわたしのうしろについた。体をわたしにむけている。まだおわりもしないうちに、女は自分の買おうとする商品を台上におきはじめた。またこんな女がいた。

●男①②。女①②。男③。エリアーデ

769.2021年4/6 環七の陸橋をつかう。このとき男がわたしの動きを見つづけていた。JR高架下で横断歩道の信号待ちをしている男、48くらいである。見えるものにとらわれていたのである。わたしは右手をかざし、そんな男からの視線を断ちきっていた。陸橋をおりきって右手をさげた。その男はこのときもまだこちらに顔をむけている始末であった。

 左をとった。先のほうに乗用車がとまっている。小型車である。脇に男がいる。30くらい。何かの作業員ふう。車と建物とのあいだをふさぐように、むこうをむいて立っている。このままではわたしが通ることろがない。

 男はわたしがくるのに気づいた。車の横っ腹を背にして立った。人が通るのを待ち構える体勢である。わたしをまともに見ようとしている。プール更衣室にいる男とおなじようなことをしている。ロッカーを背にし人を見ながら着替えをするやからである。

 またこんな男がいた。わたしは来た道をもどるべきであった。

 阿佐ヶ谷パールセンター。この商店街から右に折れたとき、ごほっと口腔音がした。見ると、女が腰をおとしている。こちらを見あげているではないか。58くらい。わたしにたいして、うさんくさそうな目をしている。子犬が足元にいる。その散歩中というわけである。

 口腔音をたてられるまでそんなところに人と犬がいることに、気づいていなかった。女は自分の行為のおかしさにまったく気づかないのにちがいない。

 高円寺駅北口。歩道を歩いていた。このとき、反対側から男がわたしにむかってまっすぐ道を横切ってくるのに気づいた。50くらい。スーツを着ている。男はきょろきょろしながらわたしを標的に定めたのにちがいなかった。またこんな男がいた。

 男の頑なな道筋から外れるように反対側の歩道へと移った。

 エリアーデは『世界宗教史Ⅱ』のなかでこういう。

「邪悪な者は、固有の存在論的地位をもたない。それは意図せざる作者に依存しており、その作者はあらかじめ彼の存在する範囲を限定しようとする。」

●高井戸プールへいく。

768.2021年4/5 建物の外でリュックから用紙と用具をとりだしていた。右ななめむこうに女があらわれた。50くらい。体をぴたりとわたしにむけている。寸分の狂いもないというようにである。顔はそっぽうをむいている。ちがうほう、建物とは逆方向をむいている。わたしは建物の陰にまわった。

 一階の出入口へと入っていく。その女が男といた。夫婦連れらしい。わたしは係員に家で書いてきた用紙をわたす。機器で検温してもらった。反転すると、女がわたしの顔を見にかかった。またこの手の女がいた。わたしは条件反射のように顔をそむけた。

 用紙に日付と時間をいれて受付へいこうとすると、あの女が受付にいた。何か尋ねていたから、この体育施設をまだ利用したことのない人らしかった。

 帰りの更衣室に男がいた。 72くらい。この男は、わたしのつかっているロッカーと背中あわせのところをつかっている。わたしがきたとわかると、自分のロッカーに左肩をむけて服を着ていた。人のようすを見つづけるためである。わたしは荷物等を手に、すぐそこの、ひとつきりあるカーテンの個室スペースに入っていく。このとき、その男はごほっとやった。またこんな男がいた。太りめである。むだに年をくっているだけだ。

 建物からでた。広場ふうのところを突っきっていく。喫煙所に男がいるのがみえた。65くらい。この男はそこからでてきた。歩いてきたわたしとむきあう。こちらを見ている。絶妙なタイミングでそうやっていた。アクリル板ごしにわたしを見つづけたうえにそうやったのである。

 ふりむいて喫煙所の構造をたしかめた。男が人を避けるようにもう一方の側からでることもできたとわかった。くだらない男がまたいた。

中野駅中央通路。

767.2021年4/4 中央特快をおりた。南口改札へとむかっていた。

 うっ。

 男が口腔で音をたてた。鋼板を電動ノコギリで切り裂いたらこんな音がでるだろうというようなするどい音だ。ななめ右のほうからきこえていた。顔をむけた。バリアフリーの通路を男がきている。23くらい。帽子に白マスク。帽子の形状は、自衛隊員が災害救助のときにかぶっているようなものだ。顔をわたしにはむけていない。無関係をよそおっているとみえた。

 なおもその男を見つづけた。男はわたしに顔をむけ、わたしと目をあわせた。音をたてた、ちょっかいをだしたのは自分だといっているにひとしかった。白マスクをしていても、よくあるピーナツ顔にみえた。慧敏などというものをまったく感じとれない。64くらいの女が細道のまんなかをわたしにむかって歩いてきたことがあるが、その女の俗物顔となんとなくにている。

 わたしはバリアフリーからは離れたほうを改札へと歩いていたのであり、その男がきていることなどまったく気にもしていなかった。だが男は、きょろついていた。どんな人が中央通路をきているのか見ていたというわけだ。その口腔音の強烈さからすると、わたしを何度か見かけているのかもしれない。

 この男の関心は、目にみえるもの、それに金円であるのにちがいない。夢見ているのは浮華な生活ぐらいか。パチンコ店のバイト要員か。コンビニバイト店員か。不満だらけなのである。人の雍々たる気息を擾乱しようが何とも思っていない。奸悪な手段をつかってでも憂さばらしをしたい。そういう手合いである。

 衆愚は跋扈する。そのひとりがいた。

 下層高卒男がまたいた。

西武新宿線。疫癘コロナ。

766.2021年4/1 むこうから女がきている。22くらい。スマホを手にし、画面を見ていながらごほっとやった。

 西武新宿線車内。片側だけの優先席に男がふたりすわっている。ともに20代後半ぐらい。べちゃべちゃしゃべっている。派遣の仕事のことのようだ。ひとりがごほっとやった。ふたりでそうやった。ドア前に外をむいて立っているわたしを見てのことである。

 高田馬場に着こうというとき、そのごほっ男が、うしろに立った気配があった。あくドアはこちらではない。男の後方のほうである。

 ごほっ。

 男はわたしの背中に思いっきり口中音を投げた。マスクはしていない。疫癘コロナへの感覚がすこぶるにぶい。威嚇にもほどがある。

 あくドアのほうへ動いた。このふたりのあと、時間をとってホームにおりた。男のひとりは、臀部の垂れさがったスタイルのジーンズふうのものをはいているとわかった。頭髪は、一部分しばって目立たせてある。五才の女児のようにである。精神年令はそれくらいなのだろう。

 高田馬場松屋に入った。ごほっ。男が奥のほうで口を鳴らした。23くらい。わたしが食券を買ったのを見すましてのことにみえた。この男が奥からでてきた。マスクはしていない。食べおわって帰るのである。とっくに食べおわって、女が入ってくるのを待っていたのだろう。

 東西線。じきに終点中野というとき、すわっていた男が立ちあがった。24くらい。ドア前でドアをむいて立っているわたしのうしろにきた。わたしを見にきたのである。わたしはただちにそこを離れた。男は何か口で音をたてた。いやがらせである。わたしはとなりの車両へ移っていく。

●本領発揮。杉十小プール。阿佐ヶ谷パールセンター。アキダイ。

765.2021年3/31 鍵をあけるや、バンバーン、バンバーンと音がした。となりの家からである。二階のベランダか居間に男がいるというわけだ。32くらい。自己の内面にひきずられるのではなく、耳にするものに五感のすべてがすいよせられているかのようだ。高卒男の本領発揮である。この男の伴侶たる妻は、郵便受けの蓋をバーンッとしめる。わたしがでてきたとわかると狭小なコンクリートの敷地から顔をあげてそうやる。  

 杉十小プール地下一階に男がいた。立ちどまっている。56くらい。太目。スピードのでない平泳ぎばかりをしていた男だと、その風貌からわかった。更衣室からでてきたばかりのわたしを見ている。先へいかない。いけるのにいかない。先にいくまいと決めているのにちがいない。わたしが先にいった。男は人のようすを、うしろからとくと見ているのにちがいない。またこんな男がいた。

 阿佐ヶ谷パールセンターのキッチンオリジンが閉店になっていた。それでアキダイに入ってみた。初めてのことだ。食材をもとめる人で混雑していた。ごはんになりそうなものはあるのか。奥へとすすんでいく。数メートル先に男がいる。68くらい。通路に立っている。体をわたしにむけている。わたしが目をむけるや、巧妙に目玉をそらした。こちらを見つづけていたわけである。わたしは即座に踵をかえした。こんな店をでた。

 同センターを歩く。ごほっ。わたしが抜き去った女が口を鳴らした。53くらい。貧相な見かけの女である。わたしが顔を横にむけてやりかえすと、ごほっと女はまたもやった。最前よりよわい。わたしはふたたびやりかえした。人の康寧をかきみだす女がまたいた。

 すずらん通りのまいばすけっとで買い物をした。同センターをもどっていく。むこうから男がきている。25くらい。顔をわたしの歩いている側の商店のならびにむけている。そうやってわたしがくるのをうかがっているのかもしれなかった。すれちがうその瞬間、ごほっと男は口を鳴らした。人を思いっきり意識していたのである。またこんな男がいた。絜矩の道から外れた男だ。高卒。

 清川病院前を歩く。ごほっごほっ。男が口を鳴らした。うしろからである。ふりむくと自転車がゆっくりきている。乗っているのは53くらいの男である。高卒まちがいない。

●中央特快。

764.2021年3/28 お茶の水から中央特快に乗った。ひとつおいたとなりに男がきた。32くらい。そこは優先席の連結部寄りである。プータローにみえた。スマホを手に顔をわたしに30度むけ、こちらをつねに視界にいれている。

 ごほっ。

 男が口を鳴らした。顔をわたしのほうに傾けて、わたしを見ていることもあった。

 ごほっ。

 またやった。口臭が匂ってくるほどであった。

 新宿から込みだした。男がわたしのななめ左むこう、そこのドア脇にきた。27くらい。スマホを手にしている。わたしがすわっていることに気づくと、わたしへとぴたりと体をむけた。顔をあげてはこちらを見ている。高卒である。わたしは小冊子でこんな男の視線をさえぎった。ただし、ひとつおいたむこうに例の男がいたから、うまくいかなかった。二方面あったからである。

★野方駅ホーム。ナーガールジュナ。이십팔.veintiocho.

738~763

●中央総武各停。
763.2021年3/28 セブンイレブン中野桃園店をすぎた。そのとき男がベビーカーを押して桃園通りからきた。わたしのすぐうしろである。
 ごほっ。
 男が口を鳴らした。26くらいか。またこんな男がいた。
 中野駅ホーム。折り返し始発となる電車から何人もがおりてきた。そのうちのひとりの男は、わたしに顔をむけて歩いてきた。22くらい。わたしは歩くところをかえた。
 男が新宿から乗りこんだ。28くらい。わたしのはすむこう、ドア脇に立つ。ドアに左肩をつけている。わたしのほうを見る体勢である。ほどもなく白マスクの顔をこちらへむけた。その目をわたしの容姿に這わせた。頭のてっぺんから靴先までである。ひとながめした。値踏みである。わたしの前方にある窓ガラスを見ては、そこにうつりこむわたしを見ていた。反対側のドアがあいて人が乗ってくるときにはそこに顔をむけた。
 この男は信濃町でおりた。どんな男か見てやった。ノースフェイスの、黒のフードつきウインドブレーカーを着ているのがみえた。日曜出勤のケータイショップ店員か何かか。
 駅のホームを歩いた。ごほごほっ。うしろのほうで男が口を鳴らした。わたしを見つづけているというわけである。
 左の階段口へまがりこもうというとき、ごほごほっと、おなじ男が口を鳴らした。追いかけてきているというわけである。55くらいか。正業にあぶれて幾星霜というにふさわしい男にみえた。
 発車前の車内を歩いた。おりてくる人たちがいっぱいいたからホーム上を歩けなかったからである。男性63くらいのうしろをいく。この人は連結部のドアをあけてしめるとき、わたしがきていることに気づき、ドアに手を添えてくれていた。こういう人だっている。
 予定の駅でおりようとするとき、ごほっとうしろから口を鳴らされた。鳴らしたのは23くらいの男か。ドア前に立っているわたしを見ていたのである。

セブンイレブンの女。中央線各停の女。
762.2019年5/29 きのうセブンイレブン高円寺駅東店で、昼ごはんになるものをカゴにいれていた。右のほうから女が近づいてきた。48くらい。こぎれいなかっこうをしている。ずんずん近づいてくる。むしろ寄ってくるといったほうがあたっていよう。体をわたしへとむけ、顔だけを商品棚にむけている。商品に関心があるふりをしている。
 そこにあるどれかを買うつもりでいた。けれども、女の不道徳な攻勢にあって、そこを離れた。女はわたしがどこにいるのか見えるほうへと動いた。わたしが動くと、女も動いた。
 女はおにぎりを見ている。それが目的で店に入ってきたのだろう。まずどういう人がいるのか見定めないでは静心なくいられない。こういうたちの女、日頃何もしていない女である。
 このあと、高円寺駅へいく。中央線の三鷹行きのほうが先にきた。東西線直通よりも込んでいるのが常である。あまり乗る気はしない。
 ドアをむいて立った。長椅子は乗客で埋まっている。そのむこうに女が立っている。20才くらい。体をわたしにむけ、スマホをしている。ドアに右肩をむけ、長椅子越しにちらちらこっちを見ているのにちがいない。やりきれない女がまたいた。
 たまらずひと駅でおりた。次にくる東西線のほうが気楽だからである。ホーム上を歩きつつその女のほうをみると、女はドア脇にいた。あいているドア枠へとなかばからだをむけ、寸前までわたしの行動を見ていたとわかる目をしている。腕組み。スマホは見ていない。電車内スマホなんてはじめからカモフラージュだ。人を標的にすることで存在を固める。普遍だとか神だとか、まるっきりもたない。
 阿佐ヶ谷駅ホーム。荻窪寄りの片ほとりにいた。遠くで女が新宿方面行きを待っている。40くらい、スマホである。顔をこっちへとふりむけた。
 ようやく、遅れて電車がきた。人がいなさそうなドア口をさがした。線路のむこう、女がベンチにすわっているのがみえた。42くらい。快速電車を待っている。髪をかきあげつつわたしに顔をむけた。髪のかきあげ。これもまた人の注意をそらすカモフラージュの行為であるといえよう。ホーム上にぽつんといるわたしをずーっと見つづけていたのだろう。人を見る女がまたいた。

●いつものこと①~⑦。
761.2019年5/26 ①きのう、中野へと歩いていた。長い一本道のむこうからカップルが手をつなぎあってくるのがみえた。二十代前半くらいである。言葉をかわしあってはいない。住宅街の道幅をせまくしているように歩いている。男がわたしを目にとめ、その顔をこちらにむけつづけた。女もまたしかりである。ことに女のほうは我がもの顔をしていた。
 右手をかざし厭悪の情をみせてやった。女はこれに反応し、目つきをかえた。この程度の女である。菩提心だとか仏性だとかにまるきり無縁のひとにみえた。
②夏目坂への道において女がマンションからでてきた。42くらい。道のマンション側のほうをわたしとおなじ歩度で歩きだした。わたしは疲れていた。早足になれない。女がこちらに顔をむけることを予想し、踵をかえした。女はこれに反応した。わたしに顔をむけ、目を見ひらいてこちらを見ていた。世俗内につかりきった女にみえた。
セブンイレブン。洗面所からでると、男がごほっと口中音をたてた。22くらい。ATMをつかっている。わたしに見られると思ったのだろう。
早稲田駅改札へと階段をおりていく。ごほっ。後方の上から口中音がとんできた。それで改札へいくのをやめ、別のほうへいく。男を見てやった。22くらい。けちな男だ。
 改札をぬけた。ホーム上を歩く。ベンチにすわろうとする男が、まさにさっきの男であると服の色具合からわかった。男は腰をおろそうとしつつ、歩いてくるわたしへと顔をむけた。
 ごほっ。
 またやった。高卒で働いている男がまたいた。犬なみの脳みそしかそなわっていない。
東西線落合駅に着いた。すわっている女が立ちあがりつつ、ドア前に立っているわたしへと顔をむけ、わたしを見た。長椅子にすわってスマホをしていた女24?である。人を見ないではいられないのはおのれのなかに浸るべきものがないからである。
⑥ミネドラッグ中野店。買おうとするものがあった。そこに女がいた。22くらい。何をしているのやら立ちどまっている。その脇をとおって奥へといき、洗剤二袋を手にレジ前へもどった。ふりむくとその女がまだそこにいる。ただいるのではない。何か飲みつつも、体を顔をわたしにむけつづけている。商品と商品の隙間からこちらをうかがい見ていたといってよい。
 こっち見てる。
 いってやった。店員男性22くらい大学生ふうにそういってやった。彼はその女のほうを見た。女は感じとったのか、わたしが店をでていくときにはもうそこにいなかった。人を見るという所為がそもそも非道徳的なものだと思うことがない。そういう女がまたいた。
中野駅南口から西に歩いてファミマへ入った。女45くらいはわたしのあとをつけるようにきた。わたしがパンを見ていると、女はパンコーナーの左端にある棚の陰に入りこんだ。商品を見るふりをしながらわたしの動静を気にしはじめたのである。絶対にわたしよりも先に商品を手にしない。のみならず、先にレジにいかない。この手の女以外ではありえないと思えた。
 何も買わず、店をでた。歩いていけばセブンイレブンがある。たまにはファミマでヤマザキパンをと思ったのがまちがいであった。

●女がやりたい放題のことをする。キッチンオリジン上石神井店。ホイットマン
760.2021年3/18 女がガラス越しに商品をのぞきこんでいる。24くらい。わたしがこの店に入っていくと、この女がつづいた。高卒にみえた。わたしが入ったのを見て、あとをつけてきたようにもみえた。
 パックの総菜を次々にカゴにいれていく。このときその女が体をわたしにむけつづけこちらを見ているのがわかった。こういう女に背をむけて自分のことをした。
 レジにいく。女はわたしの左うしろにいた。そこにいつづけ、わたしに体をむけつづけた。わたしが何を買うのかを見つづけた。髪型も上着も、リュックもズボンも靴も見ていたのにちがいない。
 女はなぜにそんなところにいるのか。人はちかくにいるだけで一定のストレス源になる。注文したものを待っているのではなかった。なんとなれば奥にいた店員女性もわたしの買うものの小袋詰めに加わったからである。
 徹頭徹尾うしろから見つづける。こういう魂胆がありありとしていた。とりも直さず、女はまだ何も注文せず購買行動に一歩も踏みだしていなかった。人に見られるより人を見るほうをえらんでいる。もしわたしが順番待ちをするならそんなところにはいない。
 たちのわるい女だ。この店のレイアウトが、コンビニによくいる類型女よりも性悪さをきわだたせている。どんな病弊におかされているか考えたこともないのであろう。放逸無慙といってもいい。
 ふたりの女性店員がパック総菜の汁もれにそなえて小袋に詰めている。そのひとりにうしろの女のことをぶつくさいってやった。いっているうち、わたしはキレそうになった。この間、何度かふりむいて女を見てやった。白マスクの上の目元に化粧をしている。出勤前のキャバ嬢か。恥の感覚がまったく欠如している。わたしの上気に気づいたのか女はスマホを見はじめた。だがそこからは離れない。
 こんな女に何かいってでていった。興奮まかせに何をいったのか覚えていない。
 ホイットマンは『草の葉』のなかでこう書いた。

 あわただしくくずおれる波、さっと砕ける波がしら、渚にうつ波の音、
 彩雲の層、はるか彼方に、ただひとつ見える紫がかった長い砂州、静かに横たわる砂州のすがすがしい展開、
 地平線の端[はず]れ、飛び翔[かけ]る海鳥、海水の溜りと渚の泥の匂い、
 それらはすべて、日ごと家を出歩く少年の一部分となった。

 あの女は、俗世の金円まみれで生きているだけだろう。

エスカレーターの男。そうまでして人を見たいか。女が顔をそむける。男が体をむける。
759.2019年8/1 駅の長いエスカレーターに乗っておりていた。ごほっと口中音がした。うしろ上のほうからである。わたしはてのひらで、ぱぁーっとやってやった。ごほっ。ふたたび口中音がした。ぱぁーっとやった。
 次のエスカレーターにはまがりこまなかった。前方へいく。ごほっ。また音がした。口を鳴らす当の男が次のエスカレーターへとまがりこむときにわたしを見てそうやったのである。そのしつこさといったらなかった。情操を欠く男である。46くらいの屑サラリーマンか。
8/11か8/12 鍵型に折れまがっている路地がある。その手前から軽ワゴン車がバックしてくる。せまい道である。わたしはよけた。住宅の敷地に入りこむほどであった。運転手の男は48くらい、後方ではなく真横のわたしに顔をむけつづけてバックをつづけた。そうまでして人を見たいか。
8/14 高円寺駅北口始発のバスに乗る。赤羽駅東口行きである。最前列は一席しかない。そこに先頭にならんでいた女性がすわった。38くらい。だからわたしはいっとう奥の右にすわった。
 出口はなかほど左にある。そのすぐうしろにすわった男は74くらい、チロリアンハットのような帽子をかぶっている。この男は上体をねじり、顔をわたしへとむけた。わたしをたしかめた。
 ただちに席を左端へとかえた。すいているというのに68くらいの男がわたしのいくつかむこう、さっきまですわっていた右端にきた。うそうそと落ちつきがない。何度も何度も首をめぐらし、わたしを見にかかった。わたしはファイルで防御するのに忙しかった。
8/14 路地の三叉路から女54?と孫の赤ん坊、女26?があるいてきた。祖母が孫を抱きかかえているようだ。わたしとすれちがう前からこの祖母たる女は顔を180度そむけきっていた。だからわたしは小手をかざし視界をせばめて対抗した。
8/14 駅のホームにて男23?はカバンをホーム上においていた。この男を避けて歩いていくと、この男はカバンそっちのけでわたしに体をむけた。わたしの動きを追う。またこんな男がいた。勤め人か。意外と男子高校生なのかもしれなかった。

●都立井草高校の生徒?オリオン書房
758.2021年3/18 上石神井駅の改札をでて右をとった。階段をおりていく。うしろ上からすーっ、すーっと鼻を鳴らす音がきこえてきた。男がわたしにむかっておりてきているとわかった。早くいけというわけだ。わたしを抜いていく気はない。
 おなじような音をだしてやった。もっとも前方下へである。
 ごほごほっ。
 その男が口を鳴らした。わたしが地上におりきったタイミングを見計らったように思えた。わたしはふりむいて、やりかえした。男はううっと痰を切るようなまねをした。風邪をよそおった。こちらを見ることなく、しらっぱくれている。
 男はオリオン書房のむこうの道を右へいきつつ、顔をわたしにむけた。確信犯である。18くらい。高校生にみえた。その方向にあるのは都立井草高校である。同駅を最寄り駅とするもうひとつの学校、早大学院からすると、学力が数段おちる。おのれの能才へか、家庭環境へか、不満がたまっているのだろう。
 この男は例外ではない。うようよいるうちのひとりである。

哲学堂公園
757.2021年2/26 南長崎スポーツセンターへの道において、ごほっと女が口を鳴らした。47くらい。カーブの道をあいだにすれちがったときだ。やりかえすと、またもごほっとやった。またこんな女がいた。
 哲学堂公園沿いの道にバス停がある。道のむこう側のそこに男がいた。22くらい。顔をわたしにむけている。じーっと見つづけている。見る見られるは相依関係にあり、そんなようすがわたしに見られているとわかっているはずもなかった。わたしは右手をかざしつづけ、ずんずん、ゆるやかな坂をのぼっていく。

●男が四つ辻で立ちどまった。
756.2021年2/24 辻公園がある。その北側の道を、公園から離れて歩いていく。四つ辻へと男が歩いてくるのがみえた。32くらいか。左から右へ、わたしの正面へきそうである。このままいくならちょうど四つ辻のまんなかでかちあう。
 男がまっすぐ突っ切るのか、どちらかへまがるのか。わたしは測ろうとして測りかねた。男は歩度をゆるめた。とまった。体をわたしにぴたりとむけ、こちらを見ている。眺めている。ははあ、これが目的だったのだ。わたしが歩いてくるのに気づいて、わたしを見ようともくろんだというわけである。
 この男は何者なのか。わたしは右へとって歩いていきつつ、ふりかえった。男は公園内へ入っていく。どうやら幼児といっしょにきているらしい。人を警戒し、あんな挙にでたのである。わたしは道を歩いているだけであり、住居侵入者というようなものではない。
 倨傲を絵にかいたような男がまたいた。容姿はまとも、だが心内は骨粗鬆症のごとくすかすかである。高卒男。

●鷺ノ宮踏切を渡る。キッチンオリジン鷺宮店。セブンイレブン新宿喜久井町店。
755.2019年7/11 西武線鷺ノ宮駅の踏切において遮断機があがった。踏切内に入っていく。前方には先に渡りだしていた何人もの人がいた。
 ごほっ。
 うしろから思いっきりの口中音がとんできた。ふりかえると、不美人顔の女がきていた。46くらい。目を見ひらいている。苦しそうでも何でもない。よくいる類型女にほかならない。
――わざとやった。
 わたしはいってやった。女の表情はかわらない。目はかっと見ひらいたままだ。踏切を渡るだけのことになぜにいらつくのか。さっぱりわからない。
 後方へとしりぞき、この女を先にやった。腰のくびれのない女。紺色のふだん着のワンピースである。
 日頃何もしていなさそうにみえた。高卒にちがいない。そんな女を見ることになって、目は腐りそうであった。
 キッチンオリジン鷺宮店がある。駅名とちがってノは入らない。店内に女がいた。32くらい。職場の休憩中に昼ごはんを買いにきたというふぜいである。この女は総菜の前にいるばかりで容器にとろうとしなかった。わたしがいるのを意識していたからである。先にとる気はない。そう決めているのだとみえた。
 トングで容器にいれているときのこと、この女はすぐうしろにきていた。人をうしろからとっくり見ているというわけである。またこんな女がいた。学問なし宗教なし芸術なしの世俗人である。
 鷺宮プールに女がいた。63くらい。下腹ぽっこり。白系柄物の水着からすると常連である。コース内の端にいるばかりでいっこうに泳ぎださない。わたしの泳ぎっぷりをじーっと見ている。わたしが折りかえすにあたってコース端を歩いていくと、邪魔なところに居つづけていた。そればかりか顔をわたしにむけた。
 うえーっ。きもちわりー。
 ひとつところにとどまって足踏みをしているのが頭の揺動にあらわれていた。こういう行動のひとつひとつが常連のくさみを裏書きして余りあった。
 バタフライができる。だがわたしより先には絶対に泳ぎださない。こういう女の前方を泳いでいく気がせず、休憩時間前に水からあがってしまった。
 セブンイレブン新宿喜久井町店に勤め帰りふうの女がいた。30くらい。この女は牛乳やヨーグルトのある棚の前にいて動かない。わたしがヤクルトをとると、何をとったのか見ている始末であった。
 わたしより先にレジにいくことはないと踏んだ。わたしがレジの列にいると、この女はわたしが視界に入るところにきた。商品を見るばかりでひとつもとらなかった。それはそうだ。わたしを標的に定めたのだから。アイスボックスをはさんでこちらにまともに体をむけた。そのカバーガラスをひきあける。どういうアイスをとるのかわたしに見られないと思ってそういうことをやっているようにみえた。
 ふたつめのレジがあいた。こんな女の視界から逃れられた。

●有象無象の連中。すき家高円寺南口店。
754.2019年7/2 高円寺駅へと歩く。ごほごほっ。よくある口中音がきこえた。目をむけると女がいた。35くらい。ちいさな四つ辻の角にある、これまたちいさなよくある三階建ての一戸からでてきている。目をむけたわたしを見ている。わたしが気づいてもいないときに逸早くこちらに気づき威嚇の口中音をたてたというわけだ。自転車でどこかへいくというとき、おのれの動作に没入できず、だれかきていないかとまずもってあたりを見渡したのである。セルロイド枠のめがねをかけていた。身なりは上等、心眼はゼロという獣性むきだしの狂犬である。心耳をすますというようなことはまったくない。お金、お金で生きている。家のローン返済に苦境にあるのかもしれない。何かの不満を赤の他人にぶつける。ただそれだけの浅慮の女。何がどうあっても菩提心をおこすということはなさそうだ。
 数日前に見かけたことのある女にみえた。自転車でわたしとすれちがい、何分かのち今度は自転車でわたしを追いこしていった女である。
 むかし理容店の店主が革砥でカミソリをといでいた。狂犬のごとき女や男が革砥である。それで刃をとげよう。
 この日、阿佐ヶ谷の鳥安に久しぶりに寄った。チキンカツのおいしい肉屋だ。経営者の妻なのか母なのか海老腰の人が応対にでる。八十はとうにこえた感じの人である。耳が遠い。わたしの注文をまちがえたりで手間どっていた。
 ふりむいた。うしろに女がいる。38くらい。わたしに体をぴたりとむけて待っている。体はそのままに顔だけをみごとにそらした。よくいるていの女がまたいた。
 高円寺のすき家へいく。男65?が受付で注文をしている。わたしに気づくと、右肩を受付台へとむけた。左目でわたしのようすをさぐりさぐりしている。わたしはこんな男ではなく壁をむいて、おわるのを待っていた。
 注文をおえた。その男がうしろのほうにいるのはわかっていた。わたしに体をむけてきた。
 店外にでた。
 男がでていってから店内にもどった。今度はレジ前ちかくに女が立っている。35くらい。わたしが注文品を待つのにレジ前に立つと、この女はわたしへと体をむけた。壁寄りに立っている。思う存分わたしの後ろ姿を目におさめることのできる体勢にある。
 ふたたび店の外にでた。5才か6才くらいの女児が自転車にまたがり、前輪を店にむけている。さっきの店内の女が母親らしかった。
 三人の20才くらいの女らが店前にきた。店内に入ろうかどうしようか思案しているようにみえた。あの女が何だかあわてるように店の外に、わたしのいるほうへ駆けてきた。女児に危害を加えると思ったか。さっきはわたしを後ろから見つづけることで存在を保っていたけれども、わたしが外にでたためにレジ前に居づらくなったのだろう。
 またも店内のレジ前へいった。女はわたしのあとを追ってきた。またもわたしの後ろ横に立った。この女も何か持ち帰りを注文済みのようだった。しつこさは俗人女の特徴である。
 こういう女に背をむけた。自分の注文品をうけとった。くそったれ女。椅子にすわっている客らにそうつぶやいて外にでた。すき家にくると、たいていこんなふうだ。

●ミネドラッグ中野南口店。
753.2019年6/30 中野サンプラザの向かいに歩道がある。そこを歩いていると、男がうっと口中音をわたしにふきかけてすれちがっていった。23くらい。人の存在様態への想像力のない愚物であった。大卒にはみえなかった。
 ミネドラッグに男がいた。24くらい。この男はわたしを正面から見る、眺める、観察することができるように棚を見ているふりをしていた。黒枠めがねをかけたいかにも高卒ふうであった。俗臭ふんぷんたる男であった。
 ローソンへいこうと角をまがった。むこうからカップルがならんできていた。各人20代前半である。
 うっ。
 男が口中音を投げつけた。女といても何も会話をもてていない男である。義俠心など毛ほどももちあわせていないだろう。仲間内だけの別天地を見境もなく渇望しているのにちがいない。
 ふたりの後ろ影を見てやった。うっ。おなじことをしてやった。女がふりむいた。動物同然にふりむいた。まぎれもなく高卒カップルであった。

ふたりの女がおなじことをした。
752.2021年2/11 建国記念日。オリジン上石神井店に入った。女がいた。45くらい。調理待ちをしているらしかった。ごほっ。女は口を鳴らした。わたしに顔をむけ、こちらを見ていたわけである。わたしは女の顔まで見ることはなかった。またこんな女がいた。
 2/12 高円寺駅南側を歩いていた。むこうから女がきている。20才くらい。わたしを見ているのは明らかだ。わたしはロータリー沿いからJRの高架側へ寄った。ごほっ。女は口を鳴らした。あいだをとってすれちがうときだ。わたしはやりかえした。倍返しをしてやった。

まいばすけっと中野三丁目店の女。中野桃園通り。
751.2021年2/13 用があって東高円寺への商店街を歩いていた。
 うっ。
 女が口を鳴らした。自転車の女が右脇を通って前方へいく。56くらい、高卒ふう。またこんな女がいた。人の耳に音をねじこむことがどういうことか、まったくわかっていない。うしろからわたしを見つづけてきたのである。凡なる肉眼だけをそなえていよう。
 この商店街を大久保通りへともどっていくとき、むこうからきている男がいた。68くらい。めがねをかけている。高卒ふう。道を斜向し、わたしにむかってきた。個力の弱い男がまたいた。判でおしたような類型の汚穢にどっぷりつかっている。自家の貧寒さに気づいていない。
 桃園通りにまいばすけっとがある。もらったレシートを見ると、中野三丁目店である。牛乳をとろうとしているとき、女がわたしに体をむけて歩いてきていた。21くらい。近づいてきてわたしが牛乳をとりかえるところをも見ていた。
 この女はわたしに体をむけてわたしのいくほうについてきた。あとをつけ、わたしの動きを追っていたのである。先にレジにはいくまいとの確固たる意思が透けてみえた。
 予想どおり、わたしがレジ会計に入ったとき、この女はレジ待ちの先頭のところに立った。またこんな女がいた。
 店員バイトの女性は18か19くらいにみえた。持参したレジ袋を積極的にうけとった。手際よく牛乳やサンドイッチを入れた。わたしは電子マネーをつかうので、こうしてくれたほうが早くすむ。この店ではどの店員さんでも男女の別なく、おなじようにやってくれる。この店にかぎらない。まいばすけっとはおしなべてそうだ。接客教育が行きとどいているのだろう。しかるに、セブンイレブンはどうか。ファミマはどうか。お寒い。バイト店員はほとんど皆、わたしがもってきたレジ袋に商品を詰めるあいだ、ひまそうにしている。このあと財布からカードをとりだすのをじーっと見ている。ひでえな。
 追記。2/17セブンイレブン阿佐ヶ谷駅南口店。商品をレジ袋に入れていた時、男性店員20?は、おいれしますよといってレジ袋をうけとった。残りの商品を詰めてくれた。この間に電子マネーをとりだし支払いをすませた。こういうほうが早くおわる。だがこんな店員氏はまれである。

●無能を掲揚するんです。
750.2021年2/10 中杉通りにおいて、むこうからきている男が、ごほっとやった。26くらい。非正規社員で、ろくでもないことをしているようにみえた。
 高円寺。セブンイレブンへむかっているときだ。
 ごほっ。
 だれか男が口を鳴らした。ふりむくと、道のむこうの建物の前に男がいた。48くらい。この男は体を歩道側へむけている。顔をわたしへとむけ、半分にやにやしている。キャバクラの呼びこみ男である。そこにあるのは熟女なんたらか。高卒。もしくは高校中退か中卒。
 裏道を歩く。商店がいくつもあるから裏道とはいえ、まだクルマ社会ではない頃には主要道のひとつであったのだろう。
 ごほっ。
 また口中音がした。うしろからである。自転車の男が脇手を前へいく。23?いちいちやる必要もないことをやったのである。徳義心のつちかわれない仕事のサラリーマンなのだろう。またこんな男がいた。
 道に面している家から女があらわれた。53くらい。犬の散歩である。わたしを見てから、道をわたって反対側へいった。
 ごほっ。
 女はまずそうやった。ななめうしろをきているわたしに一発かましたのである。
 やりかえした。女は二発目、三発目をやった。そのたび、わたしはやりかえした。だいぶ歩いたときに女がまたもごほっとやったから、わたしが環七の交差点方面へと歩いていくのを犬なんてそっちのけで見つづけていたのにちがいない。

●東急ストアの男。ソーシャルディスタンス。
749.2021年2/9 高円寺駅高架下に東急ストアがある。レジで会計中、うしろに男がきた。33くらい。サラリーマンふう。ソーシャルディスタンスどころではなく、三十センチくらいまで接近した。わたしに体をむけている。顔はわたしの靴にむかっている。またこんな男があらわれた。独行の精神をもちあわせていない。奇傑とは雲壌の差があろう。救治しがたき男だ。わたしはこんな男に背中をむけ、レジに左肩をむけていた。

セブンイレブン阿佐ヶ谷駅南店。キニマンス塚本ニキ。

748.2021年1/25 TBSラジオ夜十時からキニマンス塚本ニキの帯番組がある。宮台真司がでていた。この国の人たちの劣化を語った。没人格化という言葉もつかった。同感である。
 きょうこんなことがあった。阿佐ヶ谷の“からあげの天才”でからあげを頼んでいたとき、左すぐ横に女がきた。55くらい。うしろではなく横である。スマホ片手に体をわたしにむけて順番待ちというわけである。わたしはこんな女に背をむけて立った。お金を払い商品をうけとるまで、女が体勢をかえることはなかった。人を見ることでそこにいられるというわけである。情緒欠乏症である。またこんな女があらわれた。
 こんなこともあった。セブンイレブン阿佐ヶ谷駅南店で順番待ちのところにつこうとすると、レジ清算をおえた男がもどってきた。23くらい。作業着姿。元いたレジ前にむかいながら、わたしにむかってごほっとやった。わたしはあくまでも順番待ちのところにいただけである。高卒だけに赤の他人を威嚇排撃しないではいられないというパターンである。倫理欠乏症である。またこんな男がいた。
 宮台がいうようにクズ人間ばかりがあふれている。クズ社会はクズを量産すると宮台はいう。

●ばか女ひとり。男が口を鳴らした。
747.2021年1/28 横断歩道の前で信号がかわるのを待っていた。近づいてくる女がわたしを見ているとわかった。24くらい。
 こっち見てる、こっち見てる。
 いってやると、女は歩みつつさらにわたしへと顔をむけた。
 わたしが横断歩道をわたると、女はもどってわたしのあとをつけにかかった。
 翌日。中野駅方面へ。
 ごほっ。
 うしろから口中音がとんできた。最前作業着姿の男35?が紙を手に歩いてきているのを見ており、折しもこの男から数メートル先で左にまがったのである。この男が口を鳴らした。金銭追及自己満足類型の男がまたいた。

中野駅ホーム。優先席。
746.2021年1/27 男が自販機を背にし体をわたしにむけつづけている。63くらい。わたしが目をむけると寸前に、目だけをそらしていた。こんな男は没人格、没個性の表象である。よくいる。
 同日。優先席の連結部寄りにすわっていた。
 ううっ。
 だれかが口を鳴らした。ドア脇に男が陣どっている。30?コート姿。わたしに体をむけ、こちらを見ているとわかった。口を鳴らしたのはその男であるのにちがいない。
 お茶の水から何人もが乗ってきた。女がわたしのななめ前に立つ。26くらい。その目をおろし、わたしを見ている。見つづけている。
 走行中、席を立った。となりの車両にいく。その女がわたしを追いかけるようにやってきた。人を標的にしている。避けられた腹いせか。人を相手にすることで存在感を増そうとしている。
 元いたところへもどった。すわった。

●類型者、また類型者、また・・・。鷺宮プール更衣室。ヴェイユ
745.2019年6/13 鷺宮プールへとむかって環七の歩道を歩く。女63?が体をこちらにむけて立っているのがみえた。バス停である。体を車通りにむけることなく、だれが、どんな人がくるのか気にしている。胸内を隠そうともしていない。無学にして無宗教の女だ。バス停の前にこういう女はよくいる。
 まっすぐすすむのをやめた。そんな女にむかっていくのをやめ、枝道へ入りこむ。区立小学校の敷地沿いに角をまがるほかなかった。ということは遠回りである。T字路で右にまがるつもりでいるとき、その右手から女三人、いずれも四十がらみがあらわれた。そのうちのひとりがよくあるように歩きつつ顔だけをむけてきた。わたしは見られることを厭い、左手をかざして視線を閉ざす。最前この三人がくるのが遠くに見えたから環七の歩道を歩きつづけていた。遠回りの末にずけずけ見られることになった。
 太陽が照りつけていた。日傘を手にする女52?がむこうから歩いてきているのがみえた。すれちがうとき日傘で顔をかくすのが目にみえていた。思ったとおりであった。
 かくしてるぅー。
 わたしがいうと女は日傘の縁から顔をみせた。茶色いサングラスをはめ、いやに着飾っている。またこんな女がいた。
 住宅街の交差点に交番がある。無人のことが多い。というより警察官がいるのを見たことがない。そこにこの日は当の制服の男がいた。48くらい。交番の前に立ち、車はあまり通らないから人を見ている。わたしがきているのに気づくや、類型者の反応をみせはじめた。巧妙に体のむきをかえる。とおりがかるほかのだれかに目線をもっていきつつも、とうとう体をわたしにむけきった。顔だけはちがう方向をむいている。この顔が、ちかづいて左をとるわたしにじかづけにむかってくるのは炳として明らかなことに思えた。職掌に忠実に邁進するというわけではなく、暇でしかたがないとみえた。わたしは右手を小手にかざしてそこから離れていった。
 鷺宮プールは中野区にある。更衣室では、体をわたしにむけて着替えをする人が、相もかわらずいた。だが、この更衣室がいいのはたいていの杉並区プールとはちがってカーテン付きの個室空間があるところだ。
 泳ぎおわって帰ろうというとき、男63?が更衣室の引き戸の手前で立ちどまった。帰りに渡すべき券か何かをポケットからさがしだそうとしているふうだ。わたしは先へいかず、この男を待った。
 ごほごほっ。
 うしろから口中音がとんできた。とっくに着替えおえている男68?がロッカー前のベンチにすわってまさに立ちあがるところである。よくあるように、こちらを見つづけ、いらつく感情をふつふつとさせていながら、こちらに目はむけていない。わずかな年金を頼りにかつかつの、ひとりの暮らしをしているようにみえた。むろん学問なし宗教なしである。
 帰りの交番前にはあの警察官はもういなかった。そこを右手にとってくねくねした妙正寺川にかかる小橋をめざそうとした。口笛がきこえてきた。ふりむくと35くらいの肉体労働者ふうがママチャリに乗って、幼児をうしろにのせて走ってきているのがみえた。ふりむいたわたしに目をあわせない。そのときあの警察官があらわれた。
 くちぶえくちぶえ
 わたしはいってやった。男は交差点をわたしがきたほうへとまがっていこうとする。
 くちぶえくちぶえ
 警察官の存在なんてなんのその、いいつのった。男はまがっていくほうではなく、わたしへと顔をむけた。思わぬ反撃にいささかたじろいでいるようにみえた。人のうしろ姿に反応するだけの、物事に愚昧の男にしかみえなかった。またこんな男がいた。
 ヴェイユはいう。「だれかが、わたしに害を加えてくるとしても、その害悪のためにわたしが堕落しないようにとねがい求めよう。それは、わたしを痛めつける人への愛のためであり、その人が実際にはどんな害も与えなかったということになるためである。」(『重力と恩寵』解題)
 ヴェイユのすごさは比類がない。読みかえすたびに心内に清きものがもたらされる。骨の髄にしみこんで、根底からゆさぶられる。塵俗の垢がこそぎおとされる。まさに蘇生の息吹を感じさせてくれる。

●中央線の女。
744.2019年6/13 女が中央線快速に新宿から乗りこんできた。22くらいである。夜のこととて込んでおり、通路のほうへいった。わたしは両ドアのあいだに立っていた。ひしめくほどではなかったけれども前後左右に人がいた。
 その女は緑色の服を着ていた。キャリーケースか何かを床においている。長椅子の前に立っている。端から二番目であり、わたしからはすぐそこの左手である。この女とわたしとのあいだにはだれもいない。
 女は長椅子にすわっている人のほうへと体をむけていない。はすにしている。なぜか。わたしを見るため、観察し監視するためである。わたしはそう踏んだ。小冊子をひろげつつ女の挙動を気にしていた。
 女はスマホから顔をあげ、まともにこちらにむけにかかった。わたしはすぐさま小冊子を横頰にもっていく。たまったものではない。キャリーケースか何かをもっていなければスマホを手に体をわたしにまっすぐにむけたかもしれない。前に東西線でそういう女23?がいた。
 人を警戒することによって自分の存在価値をたしかめる。知っている人がだれもいない電車のなかで心的にひとりでいられず、だれか標的を見つけ、さげすむことによって、あるいは何かを思うことによって心慰めとする。みずからの方向性の定まっていない部類の女がまたいた。

●女が横断歩道を歩く。
743.2019年6/11 きのう昼、大久保駅ちかくの横断歩道を渡るにあたって信号待ちをしていた。といっても建物の出入口に入りこんで建物側をむいたり歩道の先のほうをむいたりしていた。この姿を女が熟視していたのにちがいなかった。大久保通りのむこう側でおなじく青信号にかわるのを待っていた女である。目を離さずわたしをとらえ、好悪の感情をわきたたせていたのにちがいない。なんとなれば霏々としてふる雨のなか、その女21くらいは雨傘を真横ほどにかたむけ、いうなれば防御の道具にし、顔をみられないようにしていたからである。そんなふうに横断歩道上を歩いてきた。さんざっぱらわたしを見ておいた末に、今度は嫌厭をあらわにした。頭の組織が男より即物的具体的につくられていると、だれかが女を評して書いていたようにその例証にまたもでくわした。女の準則ともいうべきものをまごうかたなく体現するしか能のない女であった。

●女が松屋で注文する。(疫癘コロナ以前)
742.2019年6/9 中野駅北口に松屋がある。そこに入った。気楽に食べられる座席には人がいたのでカウンターの隅に腰をおろした。いやな気がしないではなかった。食べおえた男が通路をとおってでていくにあたり、ごほっとやったことがあったからである。持ち帰りの客がすぐそばで待ってわたしを見るということもあったからである。
 女22?が持ち帰りを注文した。この女は体をわたしにむけて出入口のところに立ちつづけた。券売機と受け取り台とのあいだである。顔もわたしにむけている。
 わたしとは稟性のちがう女であると明断をくだすことができた。わたしなら食べている人に顔をむけることはない。持ち帰りを注文するときにはその場にいても体を受け取り口にむけている。ガラス越しに歩道のほうを見ている。
 女はわたしの右前方から、食べているさなかのわたしをのぞきこんだ。マスクをかけた女である。人から顔全体を見られないように防御していよう。とうとうそうやった。食べもの屋で人をそんなふうに見ないではいられないということである。内的世界が貧困なのである。またこんな女がいた。高卒女。
 左手にスプーンをもって右手で女からの視線を防いでカレーを食べていればよかったといま思う。そんな女を相手にする気は毫もなかったのだから。

野方駅ホーム。ナーガールジュナ。ホイットマン
741.2021年4/8 1番線がくるのを待っていた。高架下の先に男があらわれた。24くらい。美容師ふうである。環七のガードレールに腰をもたせかけた。おもむろにというように首をまわす。わたしを見上げている。人を見ることで、眺めることで寂寞たる荒野にひとしい内面を埋めている。
 こんな目線にからめとられないように体のむきをかえた。2番線、新宿方面行きの線路のほうをむいた。
 上石神井駅改札。Suicaタッチをしかけたとき洗面所へいっておこうと思った。もどっていくその瞬間、ごほっと口腔音がとんできた。急行のホームのほうからきている男がそうやったのである。わたしの動きを見つづけ、反応した。23くらい。高卒バイトふうにみえた。もっとも、じかには見ていない。またこんな男がいた。
 上石神井体育館。出入口で手の消毒と検温のあと、受付のほうへと足をむけていった。男が前かがみになって何か書きものをしている。15くらいか。中学生?首をねじって顔だけをわたしにむけつづけていた。わたしが近づいた頃に、スローモーションのように顔を用紙へともどした。またこんな男がいた。年若にしてこれである。親がすることの真似をしているのか。同年代の子のか。このあと、わたしがいるほうへと体をむけつづけた。人を見つづけた。家ネコが訪客にたいしてむけるような目をしていた。
 見ること見られることの相依性にまったく気づいていない。心的魯鈍である。
 西武線各停。走行中、男が席を立った。68くらい。わたしにむかってくる。わたしを見たくてならなかったのである。体をこちらにむけつづけて、顔をこちらの頭上の広告にむけている。この体勢で駅に着くのを待っている。わたしは席を立った。
 鷺宮駅ホーム上で急行を待った。左手の先に男がきた。54くらい。非正規労働者ふう。この男は下り線のホームへと45度体をむけて柵にもたれるようにしている。こうしてわたしをとらえつづけた。
 そこを離れた。階段口へとむかった。
 仏教学者の中村元は『龍樹』のなかで次のように書いた。なお、慈悲のサンスクリット語が添えられているが省略する。
「〈空〉はすべてを抱擁する。・・・・・・空を体得する人は、生命と力にみたされ一切の生きとし生けるものに対する慈悲をいだくことになる。慈悲とは、〈空〉――あらゆるものを抱擁すること――の、実践面における同義語である。」
 上記の男らは皆、おのれに実体があると思いこんでいよう。むなしきおのれを押しだしていたというわけである。
 ウォルト・ホイットマンは「奇蹟」において「すべてのものは相関連し、しかも、おのおの独自のものをもって、その定めの位置にいる。」というけれども、かれらはひとりとして独自のものなどとんともたない。

●薬局の女。
740.2019年6/5 待合室に女がいた。55くらい。うっと口中音をたてた。名前がよばれてわたしの前をとおっていくとき、うっうっとまたも口を鳴らした。学知のない女であると広言しているにひとしかった。
 調剤薬局のいすにこの女がすわっているのがみえた。出入口にちかづいていくと、顔をわたしにむけた。わたしの気持ちは萎えるばかりであった。この女がいなくなってからいくことにした。女は立ちあがり、外のようすを見た。落ち着かない女だ。ちかづかないにかぎる。ううっだのごほっだのやってくるだろう。
 女が外にでた。外にいた男54くらいと連れ立って歩いていく。夫とともに行動していたというわけだ。ひとりでこれないというわけだ。

高田馬場。池袋。
739.2019年6/5 高田馬場駅ホームにて男がケータイで電話中、体をわたしにむけていた。26くらいである。わたしが場所をかえると、わたしのいるほうへと体のむきをかえた。こんな男はよくいる。
 そこを離れていく。ベンチは線路にT字になるようにつくりつけられている。そこにすわっている女が、寸前までわたしを見つづけていたとわかる目の動きをした。45くらい。わたしと目をあわせることはなかった。
 池袋でおりようというとき、男がわたしの左にきた。21くらい、大学生ふう。はあーっと息をふきかけて、わたしのうしろにまわった。こんな男を見てやった。こんな男のうしろにまわった。イヤホンの切れ端を耳にはめたこの男は、ごほっと口中音をたてておりていった。外貌だけは都会風にととのえていた。高田馬場駅からずっとわたしを見ていたのだろう。

セブンイレブン中野桃園店の女。老女がバスを待つ。
738.2019年6/3 きのう同店レジカウンターでじいさんが、ひとりになっちゃったとつぶやいた。店員女性48くらいが反応した。
「いつから?」
 女は訊いた。こたえがないと「お子さんは?」と、たたみかけた。哀れんだ表情がこぼれんばかりである。人に聞かれることを何とも思っていないとみえた。その俗物根性といったらなかった。
 男の腰はまがっていた。80くらいか。このあと自転車でわたしの横をとおっていった。
 同日。赤羽駅前を歩いた。
 ごほごほっ。
 うしろから口中音がした。ふりむくとスマホを手にした女が、見ひらいた目をわたしにむけている。48くらい、肥胖気味。わざと口中音をたてた。
 バス停でバスを待った。あとからきた女がベンチにすわった。73くらい。わたしのうしろについていた女子高生をぬかしてである。ベンチはわたしよりわずかに右前にある。この女がわたしより先に乗ることになりかねない。わたしは先にそこにすわっていた女63?の前ほどにすすみでた。ふたりの女は知人でもなさそうで、それなのにべちゃべちゃしゃべりあった。
 列は長くなっていた。高円寺行きのバスがきた。先頭の男38?は、すわっている女63?を先にいかせた。ベンチにすわっていた女がいちばん最初にきていたというわけか。
 わたしは73?の老女を先にいかせる気はなかった。だが、こちらは女子高生よりも先に、いけしゃあしゃあと乗りこんだ。いくら年老いているとはいえ、こんな乗り方ってありか。

★立ち食いそば店。ナーガールジュナ。이십칠.veintisiete. 

712~737

●ありふれた日常。
737.2019年6/6 道路上に車がとまっている。マンションの出入口ちかくである。そこの住民が車を洗っているのか。
 ごほっ。
 男が口中音をたてた。
 そこを避け、道の反対側へいくと、ごほごほっと男は口中音をたたみかけた。顔も体も車越しにわたしにむかっていた。
 駅へのエスカレーターに乗っているとき、ごほごほっと口中音がした。見ると、階段をおりてきた男24?がまさにわたしとすれちがう瞬間にそうやったとわかった。男は下へとおりていきつつ、ごほごほっとふたたびやった。カバンもバッグももっていない。何のためにこの場所にいるのか。
 ありふれた日常の光景である。こういう男だらけだ。
 路地から車のとおる道へでた。左から男がきていた。50くらい。土木作業員の姿である。わたしのむかうところと、この男との方向がおなじである。
 すーっ。
 男は鼻で音をたてた。わたしはやりかえした。はやく帰宅したくて道をわたると、男の前方にでることになった。
 ごほっ。
 男は口中音を投げつけた。
 これもまたありふれた光景である。

●ファミマふたたびファミマ。キャバ嬢?カップル。
736.2020年12/18 きのうファミマに入った。吉祥寺ホープ軒のカップヌードルがあった。それがほしかったけれども、荷物になるため中野で買おうと思った。中野のファミマでは店員男にううっとやられたことがある。いわくつきのファミマだが、しょうがない。
 飲み物などを手にレジ前の列につく。背丈のある女のうしろである。22くらい。髪はキジトラの猫のように染めてある。背中のまんなかあたりまで伸び、わたしの眼前に垂れている。黒のダウンコート、黒のパンツ、ハイヒール。スマホと公共料金支払書をかさねてもち、それで爪に装飾がほどこされているのがみえた。この女はすぐうしろのわたしを気にしなかった。だから、その面差しがどんななのかわからなかった。すこぶる感じがよかった。韓国の人だったのかもしれない。
 この女性が交差点の角に立っていた。交通量のあるところである。タクシー待ちである。キャバ嬢?
 JR中野駅にちかいファミマで、カップヌードルのある通路にいた。めがねをかけた男が入店してきた。わたしのいるほうへむかってきた。人の外見を見る。見定めようとする。これがこの男の習癖であった。
 レジ前に女がいた。23くらい。レジにたいして体をななめにし、こうしてわたしをうかがっている。なかなかおわらない。わたしは背をむけていた。ふりむくと、男26?が女のところにきて女の腰まわりをさわった。これ見よがしの所為である。女はまだおわらない。このときわたしの次の順番待ちにきたのがそのめがね男である。わたしはカップヌードルを買うのを断念した。すいませーんと小声でいってめがね男の横手をとおっていった。
 中野桃園通り。ごほっ。うしろからとんできた。ふりかえると男が、わたしへとめがねの奥の目をむけて歩いてきている。29くらい、サラリーマンふう。その顔は最前ファミマで見たものである。わたしは男を刺激していた。
 こんな男のうしろにまわった。男が歩きたばこをしているのがみえた。
 ふたたび歩きだそうとしたとき、前からきている男26?と真向きになった。この男はよけることなくスマホ歩きをしており、うううっと口を鳴らした。
 めがね男はさらに前方の男に追いつかんばかりに接近している。だが、抜き去ることはない。ごほっともやらない。三叉路をまがっていく。
 ひどかった。

高円寺駅前交番。昼間っからビールを飲む。
735.2020年12/16 高円寺駅北口高架沿いに交番がある。その前でまわりの人らの行方を見定めていると、ごほっと口腔音をたてられた。うしろからである。自転車の男が横手をとおり、東急ストアのほうへいく。65くらい。この男が口を鳴らしたのである。こういうことをする人の脳内に文学・思想、芸術への志向は寸毫もないにちがいない。経済のみでそこまで生きて、なおもそれのみで傲慢にも生きていこうとする輩である。
 同日。秋葉原のガード下をいく。ここ数年いかなかったところだ。男が缶ビール片手に立ちどまっている。63くらい。その横を通らざるをえないから通っていくと、ごほごほっとやった。愚かさ劣弱さはここにきわまっていた。元サラリーマンのようなコート姿、見かけだけの男であった。

●男が窓から顔をだし・・・。桃園川緑道。
734.2020年12/3 東高円寺駅方面へと歩いていた。雨戸か何かをあけるかしめるかする音がした。
 ごほごほっ。
 そこから男が口を鳴らした。72くらい。通りがかったわたしを眺めていたというわけだ。知性ゼロの高卒ふうである。
 そこは旧桃園川沿いの角地にある。一軒家。杉並区のハザードマップによれば大雨で浸水しそうな危険地帯である。庭はない。日々うるおいのない暮らしであるのにちがいない。わたしをしょっちゅう眺めていたのではないか。
 衆愚のひとり。世俗の垢まみれの心内。こんな人がまたいた。

●ゆで卵。ファミマ小滝橋店の女。
733.2020年8/20 上落合一丁目あたりを歩く。ヤマト運輸のリヤカーがあり、配達員の男23?がわたしを見ていた。すれちがう直前、ごほっと口腔を鳴らした。またこんな男がいた。高卒バイト要員か。
 北新宿。ファミマ小滝橋通り店に入った。プールで泳ぐ前に水をペットボトルで六百ミリリットルも飲んでいたことで洗面所を借りたかったからである。このあたりですませておかないと、ペッパーランチやよい軒でおちおち食べていられなくなることが予想できた。用心に越したことはない。
 洗面所をつかったので、お代として保存の可能なゆで卵を買っていくことにする。女がいた。24くらい、着飾りふう。わたしを気にしはじめた。
 初めて入った店である。ゆで卵をさがす。女は通路にいるわたしを視野にいれておけるように位置どりをしていた。わたしを見ることに全身全霊を賭けているといってよい感じである。またこんな女がいた。当方はゆで卵がほしいだけだ。
 店員男性23?がしゃがんで商品整理をしていた。彼に訊いた。その案内で別の通路へいく。女があらわれ、わたしにむかってきた。思ったとおりの女である。常にこちらの動静をその目におさめていた。
 レジ清算中、この女がわたしのうしろにくることはなかった。きっと遠くの棚の陰から、わたしがでていくのを見ていたのだろう。
 歩道から店内を見てやった。その女はようやく動きをとっていた。俗臭まみれの鋳型にはまりこんだ女であった。
 次回、いくら暑くても水分摂取はほどほどにしよう。

●南部コミュニティプラザの女。
732.2021年3/25 受付前に女がいた。20才くらい。受付内にいる係員に右肩をむけ、顔をわたしへと九十度まわしている。券売機をつかうわたしを見つづけていたのである。またこんな女がいた。心のなかに慚愧というものがない。
 この女が何故にわたしを見ているのか、初めわからなかった。女が何故にそこにいるのかもわからなかった。結局何かの手続きに時間がかかっているということらしかった。350円の1時間券を買いおえても受付にいくことができなかった。
 ちかくにパイプ椅子があり、そこに男がすわっていた。脚をあげ靴下をはく動きをしている。72くらい。わたしが顔をむけると目玉だけをそらした。受付中のわたしをななめうしろから見つづけていたのである。
 プール内に男がいた。64くらい。この男はわたしのあとを泳いでいた。わたしがターンのときにかぎって、端にとどまり先にいかなかった。こういうときのあと、わたしのあとを泳ぐ。これをくりかえしていた。
 フリースペースで泳ぐことにした。

●ファミマ“お母さん食堂”と“ママ深夜便”
731.2021年3/25 ファミマは“お母さん食堂”と称して弁当や総菜を売っている。これに女子高生三人がかみついた。ジェンダー役割の押しつけだというのである。
 押しつけでないなら刷りこみである。彼女らはネット上で署名を募った。
 “お母さん食堂”というものに、わたしのなかでうさんくさいものがあった。お母さんがつくるから旨いのか。お母さんの料理が、千篇一律でまずかったという記憶しかない人がいよう。お母さんのいない人は何を思う?実母から虐待された人だっていよう。お母さんのいない家庭ではお父さんがごはんをつくるとして、そんな家の子は“お母さん食堂”なるものにふれて寂しいものを感じるだろう。
 お母さんになれなかった女がいる。継母をお母さんと呼べと強いられた人がいよう。継母からのいつわりの愛に苦悩してきた人がいよう。
 “お母さん食堂”というものに、NHKR1第4木曜の“ママ深夜便”に憎悪をかきたてられる人がいる。すくなくとも胡乱だと思う人がいる。どちらの考案者も、世間並みというばかげた基準にからめとられている。かゆいところに指先がとどいていない。
 東京ディズニーランドは園内アナウンスで、レイディーズアンドジェントルメンをやめて、ハローエヴリワンにかえると発表した。性差をこえた人のあり方に鑑みてのことである。

●ビニール傘の女。中野。
730.2021年3/21 中野通りの信号待ちはわずらわしい。それでガストのエレベーターのところにいた。隠れひそむふうにいた。女がきた。21くらい。わたしは用があってそこにいるのではないので、歩道にでていくことにした。女は雨にぬれたビニール傘を閉じたりひらいたりして雨粒をはらいおとす。こっちにかかりそうだ。
 うわっ。
 ちいさく声をあげた。
 ごめんなさい。
 女はいった。こんな場合いわない女もいるなか、ふつうの感覚にふれることができた。
 中野駅1・2番線ホーム。1番線のほうをむいていると、右前方よりカップルがきた。目の前をとおっていきそうなので体を右にむけた。目をあてないようにした。
 うっ。
 男が口を鳴らした。23くらい。女22?のほうがべちゃべちゃくっちゃべっている。男は女といても赤の他人へのいやがらせをした。これが高卒男の真骨頂である。
 実際は2番線の始発を待っていた。そのカップルが1番線にきた電車に乗るところを右うしろから何となく見てやった。身なり上等。これから吉祥寺にでもいくのだろう。

●鋳型男に鋳型女。風俗嬢。
729.2021年3/14 エスカレーターのあるところで階段をつかう。おりて右をとっているとき、むこうからきている男が、ごほごほっとやった。やりかえすと、それをまたやった。四回はやっていた。高卒である。
 駅の手洗い場に男がいた。48くらい。この男はわたしが手を洗うとき鏡にうつるわたしを見た。わたしは手をささっと洗ってでいく。これにあわせるように男はわたしのあとをついてきた。またこんな男がいた。
 男が乗りこんできた。68くらい。すじむこうにすわった。体をわたしにぴたりとまっすぐむけている。こんなすわり方がよくできるなあというものである。
 となりの車両に移った。するとわたしのいたところにだれかがきたと、連結部越しにわかった。だれかとは、当の男である。そこに移っている。車両のあいだのガラスをとおしてわたしを見ようとでもいうのか。
 男48くらいが立ちあがった。わたしを見て、おりていく。またこんな男がいた。
 ごほっ。
 うしろから口腔音がとんできた。わたしが追い抜いた男からである。25くらいか。幾人かでたらたら歩いていた男だ。
 とある受付前に女がいた。25くらい。やや太め。風俗嬢か。わたしはもうひとつの受付へいく。横手のその女は、こちらに30度身体をむけており、わたしを見ている。
 右手をかざした。こんな女に背中をみせた。ということは受付の係員には右肩をむけていることになった。首を左へまわす。女を見てやると、女は30度のまま、こずるそうに目玉だけを動かした。内面ゼロ女がまたいた。なんのためにそこにいつづけているのか。
 先に受付をおえた。こんな女の奥のほうへいく段になったとき、左回転した。女はうしろにさがってわたしをとおした。うしろからは絶対に見られたくないといったようすをありありとみせてくれた。

中野駅北口改札。韓国男性アイドル。
728.2021年3/14 中野駅南口改札へいくとき、中野通りをわたらなければならない。その信号待ちが長い。これを避け、同駅北口へむかった。夫らしき男30?幼児3?妻らしき女26?この三人の家族連れが手をつなぎあってわたしの目の前を歩いている。どこへいくのだろう。歩みがおそい。改札手前でわたしはこの一行をまわりこむように、遠いほうの改札へとすすんだ。改札口へとまがりこもうとしていたそのときだ。
 ごほっ。
 そこからでてきた男が口腔で音をたてた。23くらい。身なり上等。韓国男性アイドルふう髪型。わたしの眼前につんとした横顔があった。男はこちらの外貌を見ていたのである。人の前にくるなといいたかったのか。が、わたしは口腔音がするまでそんな男がきているのを見てもいなかった。この男がでてきた改札口と、わたしが入ろうとしていたそこはおなじではなく、となりあっていたにすぎない。
 またこんな男がいた。糞土を楽園ととりちがえていよう。

●女子スイマーのセンス。南長崎スポーツセンター。
727.2021年3/11 ファミマに立ち寄った。水泳前の水分補給のためである。お茶のあるところに男がいた。26くらい。動かない。冷蔵庫の扉のガラスを見ている。そこに映りこむわたしを見ている。
 近づくと、わたしへと顔をむけた。何をとるかも見た。高卒男である。ペットボトルに水道水をいれてこればよかった。そうすればこんな男を見ないですんだ。
 南長崎スポーツセンター。プールのコース内で男がううっと口腔音をたてた。68くらい。この男は帰りの着替えのときわたしに45度体をむけていた。この程度の男である。
 上のことごとを凌駕するのは、ひとりの女子スイマーを見たことである。21くらい。女子大生か。クロールのとき肩がまわっていた。泳げる人はよくいるが、肩甲骨がまわっている人はほとんど見かけない。その女子スイマーの体の細さと泳ぎとが印象に残りつづけている。

野方駅ホームの女。中野駅1・2番線ホームの女。
726.2021年3/4 女がいた。51くらい。歩いていくわたしに体をむけている。左肩を線路側にしてホーム全体を見わたしているかっこうである。この女のいないほうを歩いていく。すると、22くらいの女のいるベンチの先で、その51くらいのほうはわたしへと体をむけなおした。そりかえるように身をさらしている。わたしを見た。またこんな女がいた。高卒まるだしである。
3/7 バチン。だれかが音をたてた。自転車のスタンドをはねあげた音である。わたしが通るその瞬間を狙ったと思えた。この人はわたしの一連の動きを見ていたのにちがいない。階段をおりていく、地上で方向を転じるその動きである。ガレージにいたのは男28?である。そこの自転車に乗るには、いったん玄関から外にでなければならない。そのときわたしに気づいたのである。
 中野駅南口への横断歩道を渡っていく。むこうから男がきている。55くらい。スマホを見ながら緩慢にきている。すれちがおうとするとき、うっと口腔で音を立てた。チンピラになろうとしてなりきれなかったといったような男にみえた。
 中野駅ホーム。東中野方面へ歩いていく。めざすは先頭車両である。女がいた。48くらい。体を階段口へむけている。どんな人がホーム上にくるのか見ている。内面世界は砂漠も同然なのである。わたしはこの女が端のほうへいったので自販機のところにとどまっていた。女からは蔭になっているところをえらんだ。女はやがてわたしのいるほうへときた。わたしを見にきたのである。
 自販機の蔭へまわりこむ。女はまたも姿をみせた。はじめからいやな女がいるなと思っていた。黒い羊毛ふうのコートをきて、ポケットに両手をつっこんでいる。高卒。
 こんな女から離れるようにホーム上を高円寺方面へと歩いた。

セブンイレブンの鋳型女。エリアーデ
725.2021年3/7 中野駅北口店に女がいた。22くらい。わたしはこの女がいないほうにまわり、買うべきものをカゴにいれた。
 やがてこの女は店の中央付近、通路の出入口のところに立ちどまっているようになった。そこでスマホを見ている。時間稼ぎである。わたしが先にレジにつくのを待っているのである。それが証拠に、わたしがレジ前へと通路をまがりこんでいくとき、女は、わたしの動きが映りこむガラスを見ていた。冷凍食品の入る棚のガラスである。
 思ったとおり、レジ会計中に女はわたしの横のレジ前にきた。体をレジにたいして45度にむけこうしてこちらをうかがっている。何を買うのかまで目におさめたにちがいない。自己戒慎のない女がまたいた。こんな女に背をむけ、体を出入口にむけた。
 エリアーデは『世界宗教史Ⅱ』のなかでこう書いた。
「自己が自由で永遠で無為であると理解したその刹那に、われわれの身にふりかかること、苦、感情、意志、思考等々はすべて、われわれとは無縁なものになるのである」
 ばか女という気にもなれない。

●ベビーカーの男。
724.2019年5/20 中野始発の電車内はがらがらである。発車前、優先席の端にすわっていた。真ん前の車椅子スペースにベビーカーを押す男がきた。妻らしき女もきた。ともに20代にみえる。男は美容師によくあるような帽子をかぶっている。
 ごほっ。
 男が口を鳴らした。わたしはごほっとやりかえし、席を立った。となりの車両へいく。
 新宿につく頃その場所から、ごほっと男が口を鳴らした。その家族連れがわたしのいたところにすわっているもようである。まんまとわたしを追い払っていたというわけだ。

●男が人の前に立つ。
723.2019年5/20 きのう秋葉原駅ホーム上を歩いていた。男が壁にもたれるようにいた。52くらい、黒スラックスをはいている。左肩を総武中央各停の線路側へむけ、電車を待っている人たちを見ている。わたしはともかく端のほうへいきたくて、この男に見られるとわかってもこの男を右手にとおりすぎた。
 三鷹行きがきた。そのときもなお男はそんなふうにいた。この男にうしろから見られるとわかっても、最後尾の車両のいちばん前寄りから乗ろうとした。
 優先席にすわれた。その男が乗りこんできた。車椅子スペースに入りこんだ。窓に背をむけ、体をまともにこちらにむけている。人に目をつけ、わたしを狙ってそこにきたとみえた。白いワイシャツ、ノーネクタイである。黒いビジネスシューズ。肩かけバッグ。スマホをもっているだろうに見てはいない。顔をあげつづけている。わたしを見ているのである。見ていないというなら、視界にいれている。わたしのとなりも、そのとなりもあいているのに、男はすわらない。さがせばほかにも席はあるだろう。
 三つ目か四つ目の駅で、女ふたりがわたしのとなり側にすわった。ともに20才くらいである。すると男がそこを離れた。連結部へと入っていく。前方の車両へと移った。思ったとおり、男はわたしを標的にしていた。何の気なしにそこにいたのではなかった。女に見られることをいやがったというのに、わたしに見られるとは思わなかったのか。わたしが冊子を見ていたからか。

●バス停の女。
722.2019年5/20 毎度のことながら停留所などというものは始発であれ何であれストレスの磁場である。
 高円寺駅北口からバスに乗るつもりであった。先頭から二人目に女がいた。42くらい。ピンクのニットふうのものを着て、白いジーンズをはいている。よくある紅茶色のサングラスをはめて、目をかくしている。体をはすにし、三人目がいるならまともに見ることができるように立っている。
 ちかくでうろうろしていても他人から何かされそうなので、三人目としてこの女のうしろについた。思ったとおり女はわたしをまともに見ている。わたしは背をむけつづけた。四人目として女33くらい太目がいた。
 我慢にもかぎりがある。いったんそこを離れた。ピンクの女のうしろへいく。それからふたたび列についた。太目の女をガードにしてやった。
 ピンクの女がいなくなった。何のためにそこにいたのか。見ると、駅前ちかくにいって、そこでロータリーをむいて立ちどまっている。きょろついている。
 この女がもどってきそうにみえた。乗ろうとしているバスは横断歩道で歩行者待ちである。バスがきた。その女が列の後方からバスに乗りこんできたから、結局のところバス待ちだったようだ。
 ごほっ。
 男20代くらいが思いっきり口中音をたてた。左ななめうしろのほうからである。運転席真後ろのひとりがけにいるわたしの様子を見て、そうやったのにちがいない。
 ごっほごっほ。
 またやった。マスクをしている音ではない。ハンカチでおさえようともしていない。
 この男が席をたって赤ん坊をあやすことがあった。男ではなく女だとこのときわかった。わたしのようすをさぐったのにちがいなかった。
 女23くらい。赤ん坊をだっこひもで抱えている。咳をだしつづけた。終点の赤羽でおりるとき、わたしを見ていた。これによって、わざと咳ににせた口中音をだしつづけていたことが裏書きされた。密閉されたバス車内において好き放題のことをやっていた。
 くそったれ女。高卒女。知性なし。宗教性なし。倫理性なし。

●またこんな人がいた。元気プラザ。中央特快。
721.2019年5/8 はじめて赤羽の元気プラザへいく。プールはすいていた。やがてひとりの男が視界に入るようになった。常連の泳ぎをしている。62くらい。泳ぎつづけるわけではなく、コース端でわたしの泳ぎを見ていることがあった。水からあがってプールサイドで腰をおろし、両脚を投げだしている。流水プールを歩く人びとを眺めている。これを目にすることになったわたしは、これを潮に水からあがった。
 赤羽駅ちかくの交差点をわたりきると、男が立ちどまっていた。22くらい。白マスクに黒枠めがね、スマホを手にしている。青信号にまにあわなかったのである。
 ごほごほっ。
 男がわたしに口中音をたてた。やりかえすと、総身をわたしにむけて、ごほごほっとまたもやった。 
 枝道から女46?白マスクがでてこようとしていた。顔だけをわたしにむけつづけ、車通りの歩道へでてきた。わたしに見られていると思ったのか。人を見ないではいられないたちの女である。
 やよい軒から赤羽駅方面へ歩いていた。佐川急便の制服を着た女23?がキャスターを押してすすんできた。この女は車の通らない路地裏をわたしにむかってきた。
 電車のなかがすきだした。乗客がだいぶおりたからである。ドア脇にスーツ姿の男46?がいた。スマホに目をおとしている。だが体はわたしにむけている。
 すわると、となりの女がごほごほっと口中音をたてた。白マスク、21くらい。
 真ん前に女がすわっている。23くらい。スマホをしていたというのに目をあげては、わたしを見るようになった。こうるさく見ていた。
 黒スーツ、すなわちリクルート姿の女がいた。22くらい。改札内外を区切る境をあいだに、ごほっと口中音をたてた。わたしが顔をむけたときにはすでに顔をそむけている始末であった。この女に記憶があった。女はさっき洗面所からでてくるとき、正面にわたしを見ていたのである。わたしは横目で、女子トイレから男がでてくるのかと思っていた。パンツルックの女だったからである。五月になってもまだ内定をもらえていない、とりもなおさず鬱屈感のある女にちがいなかった。
 勤め帰りふうの女24?がホームにいた。同僚らしきスーツ姿の男ふたりといながら体をわたしにむけている。線路側に背をむけて、あぶないところにいた。このようすからわたしはその場を立ち去った。
 中央特快に乗った。すいているほうであった。乗りこんできた男はスーツ姿にして48くらいである。この男は車両のいっとう端、優先席の真ん前に立った。ごほっとやった。走行中に体をわたしにむけ、わたしを見つづけることもあった。
 新宿から乗りこんできた女は、いつしかわたしのちかくでわたしにいくらか体をむけて立っていた。手にはスマホ、24くらい。スマホを見てはいるものの、けっして目をおとしているのではない。こちらを視界にいれていると感じないではいられない。雑誌を右頰にもっていき、ガードした。すると女はがさごそ何かやりだした。わたしを見れなくなったからである。
 中野でおりようと吊り革にひっかけていた左手をはずす。あのスーツ姿男がわたしに体をむけて立ち、こちらを見つづけていた。人とせめぎあって生きているだけの男にみえた。

●いつもながらのことごと。高円寺駅北口。
720.2019年5/8 そこにバス停がある。赤羽駅東口行きを待った。ごほごほっ。本然の咳ににせた騒音がした。見ると、歩道のむこう端を女が下をむいてうつむくようにとおっていく。58くらい。サングラスをかけている。わたしは歩道のこちら側で、ならんでいる人の列のなかにいた。女は歩道をあいだにわたしとすれちがいざま、ごほごほっと、またもやってのけた。口元に片手をあてていた。あってしかるべき苦悶の表情は、影すらもなかった。紅茶色のサングラスで目をかくした愚者たる女である。文人墨客の域内からはとおく遥かかなたにいる。
 駅前ロータリーのなかに男がいた。72くらい。この男は真っ昼間することがなくてそこに入りこんでいるとみえた。顔だけこちらにむけつづけ、わたしを見つづけている。何かいいたいらしかった。何も言葉を発しなくても、世俗の垢にまみれたその表情から何をいいたいのかがみえた。

●叔父の妻。志賀こず恵。
719.2009年12/7 ある57才の男性は48才の妻と暮らす。こどもはいない。
 彼の父は十年前に亡くなった。昨年母も亡くなった。母の弟が父名義の土地を三十年前に借りて、そこに家を建てて住んできた。そんな弟も五年前に亡くなり、そこに今現在、弟の妻がひとりで住んでいる。七十五か六才である。こどもはいない。もっとも彼女は再婚であり、前夫のこどもがいる。
 三十年前の契約書のなかに、弟が死亡の場合、土地を原状に復して返すという一項がある。
 弁護士氏(志賀こず恵)はいった。
「それは借り手側に不利な条項であるとみなせます。裁判では借り手側有利に斟酌されましょう」
 土地代として故弟の妻が毎年十二月、一年分六万五千円を現金で支払いにくる。この金額は三十年前の当初とまったくかわっていない。地積、百二十坪。そこに三十から四十坪の家屋が建っている。土地はいまだ亡父の名義である。
 相談者には妹がいる。この妹は相続は放棄するといっている。
 志賀氏は「あなたが土地の登記をするのが第一歩です」といった。
 故弟の妻は高齢である。もし万が一のとき、前夫のこどもが入りこんで居すわらないか。相談者はそう危惧し、同時に憂えている。
「建物の名義ならびに土地の賃借権は法廷相続人へいくことになります」と志賀はいった。「最終的に裁判なり調停なりをせざるをえないでしょう」
 加藤諦三は結尾にこういった。法律上の手続きは面倒くさいですが、そのときそのとききちんとしておくことが必要です、と。

●トレイをもつ女。マック中村橋店。ヴェイユ
718.2009年12/6 マック中村橋店は込んでいた。だれかいい人に席にすわってもらうつもりで帰り支度をしていた。若い女がトレイをもって、わたしの席のほうへきている。トレイには、買ったばかりと覚しきものがのっている。すわれる席をさがしていた。
 それっとばかりに立ちあがった。女とのすれちがいざま、女はトレイの先をつっと動かした。わたしの存在を突っぱねるようにみえた。
 今度は若い男がいた。狭い通り道でおなじようにトレイを手にしている。わたしが通るに際して、彼はみずからよけようとした。商品をのせているというのにわざわざそうしようとした。すいませんといった。こちらの行く手をさえぎったと思ったのである。わたしが行く手をさがして少しくまごつくと、またもすいまんせんといった。わたしはこの男性に席をあげるべきだったのである。
 シモーヌ・ヴェイユは書いている。隣りの人のすべてを愛することはできない、と。如上のことはまさにそういうことである。

●立ち食いそば店の男。エリアーデ。ナーガールジュナ『大乗についての二十詩句篇』。
717.2021年3/15 中野の駅前を歩いていた。ごほっ。男がうしろから口を鳴らした。ううっーとやりかえし、反転し、男を見てやった。立ち食いそば店からでてきたばかりの男である。22くらい、ふだん着である。
 中野サンプラザはすぐそこである。いつだったか午前五時ごろ老人の男が自転車で年歯二十有余の男を追いかけ、カッターナイフで何度も切りつけた。その現場とは目と鼻の先である。逃げていた容疑者は70才?、なぜだか野方署にひっとらえられた。黙秘しているらしい。被害者は三人で歩いていた。自転車の老人に、ごほっとかやったとしたら、老人は怒火をめらめら燃やしたかもしれない。被害者があおりつけたのである。
 エリアーデは『世界宗教史Ⅱ』のなかでこう書いた。――「安定した棲み家にみずからの居を構える」(つまりは、完全な宇宙に存在の場所を占める)というアルカイックな理想に対して、仏陀はその同時代人である精神的エリートの理想、世界の消滅と、限定されたあらゆる「状況」を超越するという理想を対置させているのである。
 若年者にかぎらず一群の人たちは「人格の非実在性を瞑想することによって、その根にあるエゴイズムを粉砕する」(エリアーデ)などとはまったく考えない。空(くう)の思想を知らずにいる。だから「苦と同様に喜びを捨て去り、完全な純粋さと無頓着さ、覚醒した思考の状態に到達する」(エリアーデ)ことはない。
 ナーガールジュナは『大乗についての二十詩句篇』のなかでこういう。「愚かな凡夫どもは、迷妄の闇に覆われて、真実にはそれ自体のない物について常住であるとか、自己であるとか、快適(楽)であるとかいう想いを起こし、この輪廻の[迷いの]生存の海のうちにさまよう。」(中村元『龍樹』)
 塵世において幅をきかせているのは凡夫ばかりである。

●王将でごはんを食べた。銭湯。
716.2019年4/25 王将中野店でごはんをたべた。そのあと中野サンプラザへと中野通りの横断歩道を渡っていく。左どなりにスーツ姿の男がいた。32くらい。この男は歩きつつスマホに目をおとした。よくいる型の男だ。すれちがおうとする人にたいして視線耐性が希薄なのだろう。わたしはこんな男を尻目にすたすた歩いていく。
 ごほごほっ。
 背中に口中音がとんできた。ううっとわたしは条件反射のように口のなかで音をたて、ふりかえった。その男が、スマホを見ている体勢のまま目線だけをあげ、わたしを見た。やりかえしてきた男がどういう顔なのか、さぐっている目をしている。
 いきかう人の多い横断歩道上で、前にいくのをやめた。その男を先にやった。男は渡りきると、うしろを気にした。
 ごほごほっ。
 男はまたやった。不自然このうえなかった。カモフラージュである。よくもまあこんなことにエネルギーをつかうものだ。男は方向をかえ、中野サンプラザへの壇をのぼっていく。
 くそサラリーマンめ。

 銭湯に中二階の建物がくっついている。経営者の住居である。そこから包丁でまな板をたたく音がしていた。料理中の音が、台所の網戸からきこえてきていた。
 うううっー。
 そこから女が口を鳴らした。歩いているわたしにむけられたものだ。網戸ごしに人を見ていたわけである。またこんな女がいた。この国の人びとの通性に染まっている。

●高円寺“座”の女。
715.2019年4/25 きのう杉十小で泳いだ。そのあと、はじめて高円寺“座”の前にある停留所へいった。赤羽行きのバスに乗るためである。高円寺駅北口までいくのは、そこがいくら始発でも大儀であった。
 ふりむいた。“座”の敷地内に女がくるとわかった。30くらい。環七のほうからである。小雨のなか建物から張りだしている屋根の下に入り、壁際に立った。スマホを手に、たばこをすいだした。目はスマホに落とされているけれど、体はバス停にいるわたしへと、幾何学に忠実であるかのようにまっすぐむけられている。その気もちわるさといったらなかった。こちらの隙に乗じて、人を視野にいれこんでいよう。
 そこを離れた。わたしよりも先にいてバスを待っている女63?に見られるのもかまうことなく、自販機の陰に身をよせた。
 高円寺駅北口をでたバスがくるのが遠くにみえた。わたしはバス停へともどっていく。さっきのたばこ女が環七のほうへと歩き去っていく後ろ姿がみえた。そのあたりの事務所かどこかに勤める女がたばこ休憩に“座”の灰皿を利用しくさったのである。

セブンイレブン。阿佐ヶ谷パールセンター。コロナ以前の白マスク。
714.2019年4/24 その商店街にあるセブンイレブンに入った。レシートをみると杉並阿佐谷南一丁目店である。長い商店街のまんなかあたりにある。出入口が東西にあり、店内をとおりぬけて中杉通りにでることができる。なんでこの店に入ったかというと、キッチンオリジンが改装中だからである。
 たくさん買うつもりであり、買い物カゴを手に商品棚の前にいた。男があらわれた。いかにも昼休憩に昼食を買いにきたというふぜいだ。白マスクで顔をかくしている。黒っぽいスラックス、黒靴、白いワイシャツ。24くらい。[注。まだコロナ以前のこと]
 この男はわたしのいるほういるほうへときた。またこんな男だ。わたしはこの男のいないほうへと動いた。するとこの男がちかづいてきた。わたしは離れたところに立ちどまって、男がどくのを待った。こういう男にかぎって手にとるのがおそい。品定めばかりしている。
 うしろをむいた。すぐうしろに女が立ちどまっている。46くらい。わたしを見ている。
 ずーっとこっち見てるぅっ。
 そういってやって、そこを離れた。おにぎりの棚の前へいく。あの男がちかくにいなかったからだ。だが、あの男が顔は棚にむけきって体をわたしにむけてどんどんちかづいてきた。塵俗の型にはまりこんだ経済人間の匂いがぷんぷんしていた。たかがコンビニである。そういうコンビニにどういう人がいるのか見ないではいられない人、独立自存の軸をもたない人がまたいた。

●女が男を見る。セブンイレブン高円寺駅東店。
713.2019年4/23 その店に女がいた。24くらい。ジャケットにスカートの仕事帰りOLふうである。この女はすでに商品を手にしながら、わたしに気づくや、通路に立ちどまった。動かない。ほかに何を手にしようかと考えているようにみせつつ、わたしがどう動くか見ているとみえた。先にレジにはいかない。そう決めたにちがいなかった。女としての自分を、易々と見ず知らずの男の眼にはさらさないというわけだ。非恋愛対象の、愛染の衝動のおきようのない男は、論外だというわけだ。自分の肉体には価値があると思っているのである。他方、普遍への精神的志向性はない。こういうことには何ら気がまわっていない。好きな男には目がない。いやなものはいや、というわけだ。
 レジについた。ふりむいて女がくるかどうかを見た。顔を元にもどす。もう一度うしろを見渡すと、もうひとつのレジにその女がついたところであった。頃合いを絶妙にはかっていた。このセブンはレジがL字型になっている。女は横をむいたわたしに背をむけ、むこうむきになっていた。
 くそったれ女め。
 外にでた。買ったものをリュックに詰めたかった。しかしリュックにはこの日文房具店で買ったかさばるものなんかが入っている。歩きながらは無理だ。すぐそこの角をまがりこんだ。建物の廂の下に入る。あの女が買い物をおえてとおるのではないか。
 あの女がとおっていく。わたしがいることに気づいていない。売れている女にはみえなかった。腰まわりや脚つきからすると、したたる汗のひいたあとの清々しさといったものには親しんできていそうにない。人を避けることで自身の価値をたしかめるときの生彩ぶりは、地味づくりの顔形に、もはやうかんでいなかった。その足取りに、おもしろくも何ともないOL勤めの憂さがただよっているようにみえた。

●日傘の老婆。
712.2019年10/3 家と家のあいだの道へと折れた。まだ遠いむこうから女がきている。日傘をさしている。68くらいか。しゃれたかっこうである。
 日傘は要注意だ。女は日傘で目元を隠している。これによって、わたしにいちはやく気づいているのだとわかった。絶対に目をあわすものかといわんばかりのようすである。日傘の笠のひろがった縁が目元の下すれすれのところにある。いざとなったら、危害でも加えられそうになったら、目をだすと身構えているようにみえた。そんな年令まで生きてきて人と人とのあわいの、いったい何を学んできたのだろう。

★“ママ深夜便”のおかしさ。ナーガールジュナ。이십육.veintiséis.

686~711

●中央線快速。
711.2019年10/2 四ツ谷から中央線快速立川行きに乗った。横にいる男が顔をわたしにむけ、ズボンと靴を見た。品定めである。22くらいの高卒ふう。次駅、新宿への走行中、この男は体をわたしにむけ、手にはスマホであった。進行方向に背中をむけてまでそんな体勢をとっていた。人の外相にたいして異様なほどの関心をもっているとみえた。内面は砂漠の男でしかなかった。
 新宿で上の男をふくめてたくさんの人がおりた。右前方のドア脇に女22くらいが入りこんだ。もともと吊り革のほうにいた女である。顔をわたしにむけた。わたしはたまらず反転していく。長椅子の端から二番目か三番目にすわっている女21?が、わたしに顔だけをむけているのがみえた。げーっ。

●人身事故の余波。
710.2016年7月某日 阿佐ヶ谷駅で人身事故がおき、吉祥寺から歩く羽目になった。西荻窪駅にて折しも到着した各停に乗った。快速が動いていない。そのため各停の新宿方面行きは午後なかばすぎにしては込んでいた。立っていた。ほどなく、子連れの――幼児を胸に抱いた――女25くらいがドアガラスのほうを見ていたというのに体のむきを反転させ、わたしへとまともにむけた。そこに映りこむわたしが気になったのにちがいない。わたしは路線図を盾にした。女の顔を見ないようにした。とうとういたたまれなくなり、反転し、そんな女に背中をむけた。するとドア脇にいる女22?がわたしに顔をむけてきた。その目は見ひらかれている。荻窪駅へと近づくと、すわっていた女22?が立った。体を顔をわたしにむけた。どうしようもない。
 新宿スポーツセンター一階にて女38くらいは、こどもふたりを連れていた。そうでありながら――いや、だからこそ――体をわたしへとむけつづけ、かえることがなかった。

ココカラファイン
709.2016年7月某日 女が自転車を押すのをやめてとまっている。40くらい。わたしはそんな女のすぐちかくをすれちがっていくわけにもいかず、すこし離れて歩く。ごほっ。女は口中音をたてた。女を見ると目を見ひらいてわたしを視野にいれていた。
「またやりやがって」
 そういってやった。んっと別異の口中音をやりかえした。
 ココカラファインで洗剤とパラゾールを買う。帰路をとっていると、むこうからきている男45?が顔をまっすぐこちらへむけているのがみえた。45くらい。白マスクの上の目を見ひらいている。わたしは顔を横にして歩いた。このとき、もうひとり男がきていた。60くらい。パチンコの景品交換所からでてきていた。わたしはふたりの男のあいだを歩かざるをえなかった。白マスク男はすれちがいざま、マスクに手をあててごほっごほっと口中音をたてた。マスクをしていることを忘れているしぐさである。愚の骨頂とはこういう行為をする男の存在力の弱さをいう。
 安原顕。有名編集者。亡くなっているその人は、村上春樹の手書きの生原稿をネコババし、古本屋に売ってお金を手にした。それは当の作家に返されてしかるべきものである。
 高校三年生の男子がオートバイの脇で倒れ、死亡していた。20才の自称土木作業員が殺人容疑で逮捕された。供述はこうである。オートバイに追い抜かれた。ガンをつけられたと思い、腹がたった。追いかけて車をぶつけた。
 56才の女が逮捕された。神戸市のスーパーの鮮魚コーナーにゴキブリ十数匹を放った廉である。防犯ビデオの映像が決め手であった。

●ファミマ天沼三丁目店の男。
708.2016年6月某日 その店で買った食べ物のゴミを捨てたかった。ゴミ箱のところに男がいる。スーツ姿、28くらい。正面の青梅街道をむいている。わたしはその男の前をとおってゴミを捨てようとした。そのとき店内からスーツ姿の男28くらいがでてきて、わたしの目の前を横切っていくや、んんんっーと口を鳴らした。男らは仕事仲間であり、わたしにたいして、じゃまだ、どけということだった。そんなところで同僚を待っているかなあ。わたしは憤りを覚えるとともに、口を鳴らした男の心田の貧しさ浅さを思わないではいられなかった。

中野サンプラザ。中野郵便局。二組のカップル。
707.2019年4/21 中野サンプラザの地下一階からでていこうとするとき、ごほっと口中音がとんできた。喫茶コーナーにいる男24?がわたしを見てそうやったのだと思えた。その男はスマホを手にひとりでそこに居つづけている。日曜の夜にいったい何のためにそんなところにいるのか。そこでバイトをする二十代前半くらいの女子大生ふうの女が目当てではないか。高卒のチンピラふうである。
 同夜、中野郵便局へいく。そのうち必要となる切手を買うためである。夜であってもあいている。列にならんだ。局員がふたり、すなわち窓口がふたつあるので順番がすぐにきた。
 となりに中年カップルがいる。大きな荷物をふたつだしていた。男52くらいはわたしに体をむけてきた。わたしをまともに見ている。よくいる類型男だ。わたしは顔をそむけて舌べろをだしてやった。
 むきなおり、ふたたび男のほうへ目をやった。男はもう体のむきを正面にかえていた。舌べろが効いた。だがおのれの所為の愚かさには気づいていないだろう。哲学などしそうにないようすである。
 中野駅から西南方向へ歩いた。女29?が外国人の彼氏30?と歩いている。この女は三叉路へ入っていくとき、建物のガラス窓を見て、映りこむすぐうしろのわたしを見ていた。わたしはその三叉路を避けた。
 このカップルがセブンイレブン中野桃園店へ入っていくではないか。
 欲しいものがあるのでつづいた。
 牛乳、ヨーグルトをとってむきをかえると、ごくちかくにその女がいた。こちらに体をむけている。にやけた顔つきで、あまりにもちかくにいる。彼氏といっしょだからである。男がいるからこその行動をしている。まったくもって類型女である。一定数の女にたいしてのみ範を垂れるような、無思想な定型女である。

●中野の夜。
706.2019年4/20 松屋でカレーを食べていた。カウンターの端、出入口側である。ごちそうさまと、男がいった。離れたところのカウンターで食べおえた男が、店員の東南アジア系外国人、妙齢の女性21くらいにいった。この男はわたしのうしろをとおっていくとき、ごほっと口中音をたてた。わたしは、ううっとやりかえした。男は出入口で立ちどまった。でていけばいいものをでていかない。かぁーっー。痰を切る音をたてた。わたしに対抗した。みえている白髪の具合から55くらいの男にみえた。そのまま店内に痰を吐くのか。思いとどまったようだ。でていく。
 こんな男がいるのか。いるのである。不道徳、不品行をなんとも思わない。ごちそうさま。この男のそれは、店員女性の気をひくためのものだった。好色狒々野郎め。
 かつて新井薬師の寺において柏手をうって参拝した男24?が、わたしをじーっと見て口笛を吹いた。あのときの男と、上記の男は同類である。
 中野サンプラザへいこうと横断歩道の信号待ちをする。林立するビルの一階エレベーター前でうろうろしていると、やってきたカップルの女21?に、うっと口中音を吐きつけられた。この女はわたしを避けようともしていなかった。ずんずんむかってくるばかりであった。
 うわあー、めいわく野郎だあ。前にそう言ってのけた高円寺のカップル女とどこがどうちがうのか。ちがわない。おなじような女や男が大量生産されている。
 サイバック中野店に入ろうと受付の列にならんだ。店員があらわれていない。わたしのすぐ前はカップルである。男29?女23?この女は受付のほうではなく横の彼氏に体をむけている。ずっとこうなのである。自分らのうしろにだれがくるのか気にしていたというわけだ。白マスクで顔を隠したいやな感じの女がいると、わたしは列につく前からわかっていた。〔2019年だから新型コロナ前のこと〕
 店員はまだあらわれない。
 気づくと、女の体がわたしへとむいていた。顔はそむけて、彼氏と何か話している。こういう女である。赤の他人に体をむけ、受付には背中をむけて、何はともあれ彼氏のいる女であることをこれでもかとアピールする。
 彼氏のいる女がのさばっている。
 中野駅南口から西へいくとファミマがある。ゆるゆるとした坂をのぼったところの三叉路に男がいた。23くらい。スマホをしつつこちらへ歩いてきた。
 ごほっ。
 男が口を鳴らした。しらばっくれたような顔をしている。わたしの気づいていないあいだ、こちらを見つづけていたのである。またこんな男だ。
 黄塵の巷にあってわたしがするべきことは・・・・・・

●桃園川緑道。赤いスカート。
705.2019年4/18 道のむこうから女が歩いてきている。57くらい。赤いスカートをはいている。その派手派手しさもあってわたしはついと踵をかえした。元きた道、桃園川緑道へとまがりこんだ。すこし歩いた。もうその女がいなくなったかと思ったとき、ふたたびあの道へいこうと反転した。
 なんとその女が立ちどまっているではないか。緑道と道との交わるところにいた。こちらを見つづけている。避けられた腹いせに、どんなやつかとずっと見ていたのである。見届けようとしていたのである。
 女はわたしがくるのを見て、もどっていく。すぐそこの八百屋の店先に立った。これを見てわたしはまたもどった。こんな女に見られてはたまらない。学知を欠くばかりか一片の宗教心もない。そういう女にみえた。

●俗塵の巷。
704.2019年3/28 高円寺駅の南側はロータリーである。その縁を歩いていた。ごほごほっ。口中音がした。見ると、自転車の女46くらいが前方を右から左へと走っていく。だいだい色のふだん着らしいダウンを着ている。奸邪を気まかせにだしいれするような顔つき。その顔をいちいちわたしにむけ、その目を例によって見ひらいていた。学事、文事をこととしていない。
 路地裏を歩いた。作業着姿の男35?がズボンのポケットに両手をつっこんで歩いている。この男を抜き去ると、ううっと口中音がとんできた。またこんな男がいた。
 ごほっ。
 またも口中音がした。三叉路のむこうと見ると、男がわたしを見ながら歩いていた。56くらい。定業なしといったようすである。
 すっかり日が落ちていた。
 ごほごほっ。
 まただ。見ると、四つ辻を女が右から左へと歩いていく。29くらい。仕事帰りふうである。この瞬間わたしを見てはいなかったが、四つ辻を突っきるときに顔を右へ左へと動かし、わたしがいるとわかったにちがいない。その口中音がなければ、夜目のうえに視力の弱いわたしのことだから、女が歩いていくのを気にはしなかっただろう。またこんな女がいた。
 昧者たる男や女の口鳴らしが、俗塵を存分に俗塵たらしめている。

●ローソン杉並高円寺駅入口店の男。
703.2019年3/25 環七とJRの交わるところにローソンがある。歩道を歩きつつガラス越しに店内をみると、いかにも仕事帰りといったふうの男24くらいが雑誌の立ち読みをしている。ビジネス用の黒いリュックを背負い、スーツにコート、黒靴である。一定の鋳型から寸分たがわずでてきたようにみえた。いやなものを感じないではいられない。個として独立していないのだから、目につく他人にマイナスの働きかけをしそうにみえた。
 食べたカレーの味がまだ口のなかに残留物のごとくあった。それを拭いさりたくてスティックコーヒーを買いたかった。環七のむこうにデイリーストアがある。そちらへいくことも考えたものの、横断歩道を渡るわずらわしさがあり、いやな予感がしながらもローソンに入ることにした。
 あの勤め人男がアイスクリーム売り場へといく。わたしはスティックコーヒーを手に、その男のいないほうへまわった。レジ前に女がいた。34くらい。体をはすにして清算中である。だれが店内に入ってくるのか注視しているというわけだ。
 パンコーナーのところでひとまず時間を稼ぐ。ついでにパンをひとつ手にとった。その女はなかなかおわらない。ひとつしかあいていないレジの順番に外国人の男性30くらいがついた。わたしはそのあとだと思い、そのままパンコーナーにいた。
 女がでていった。中東出身にみえる外国人男性がレジ前についた。わたしは順番待ちのところに立った。と、あの勤め人ふう男がまだアイスクリームのところにいるとわかった。人の動静をうかがいつづけているのである。絶対に先にレジにいかないと決めていたのである。女がよくやることをやってのけていた。
 男は白マスクの上の目をわたしにむけた。アイスクリームどころではない。わたしは外国人男性がおわるのを待つあいだに、うしろをふりむいた。男は場所をかえ、わたしをまともに、まっすぐに見ることのできるところに立って、見るのがきつい角度だというのにいまだアイスクリームを見つづけている。不自然このうえない。
 レジ前につく。男は小走りに順番待ちのマークのところにやってきた。
 くそ男め。
 清算をおえてでていくとき、男がわたしへとなかば顔をむけているのがわかった。出入口の自動ドアにそのようすが映りこんでいるからである。人を見つづけていた。精神生活をしていない男がまたいた。
 このローソン、杉並高円寺駅入口店はJR高架下にあたらしくできた店である。心的な風通しを欠く感じがする。店内に入りこんだら最後、逃げ場がない。

●交番の警察官。 
702.2019年3/24 おとつい青梅街道の歩道を荻窪方面へと歩いていた。交番があり、出入口の前にひとりの警察官が立ち番をしている。顔をわたしにむけつづけている。することがなくて暇そうだ。公務員として給料はそこそこもらっているけれども、心内はうつろであり、物質文明に浸りきっているゆえうつろであることに気づかないといったふうだ。
 ちかづいていきつつ右手を目通りにかかげた。視界をせばめた。指のあいだから、当の警察官が顔をそむけて別のほうを見ているとわかった。わたしはとおりすぎざま、べーっと舌をだしてやった。制服の男は体のむきを、歩いていくわたしにあわせていた。
 右手でパーとやってやった。幾度となくやってやった。

●ファスナーぴしーっ。
701.2020年9/18 28くらいの男が正面にすわっている。その目がしつこい。だからいったんおりて車両をかえようと思った。
 ドア前に人がいる。そのうしろに立った。
 ぴしーっ。
 すわっている女19?がわたしを意識し、バッグのファスナーを音をたててひいた。いやがらせである。まただ。

●杉十小プールの変質者。
700.2020年9/15 杉十小プール更衣室。男65?はベンチに服をおいて、始終わたしをうかがって着替えをしていた。またこんな男がいた。だが、これはまだましだった。
 26くらいの男が素っ裸で、帰りの着替え中のわたしを見にきた。陸上選手が試合後にするようにバスタオルを背中にかけ、両腕をあげている。靴脱ぎ場兼洗面スペースにまできて、鏡にうつるわたしを見ていた。依然として何も身につけていなかった。
 変質者である。ヘンタイ。変態。
 このプールには着替え用の個室がない。他人の着替えを見ようと思えば見放題なのである。

●歩道にテーブル席ってありか。超ミニスカート。高円寺。
699.2020年8/18 高円寺駅南口からみえるところに焼き鳥店がある。ロータリーの角で、一方の側が高円寺通りに面している。酒を飲む客がいっぱいいる。いるといっても店内ではない。歩道にビールケースなどで簡易にテーブル席をつくってあり、そこにあふれるようにいる。違法?不法?警察権力は見て見ぬふりか。高円寺にはこういう店が北口にもある。
 高円寺通りをその店のほうへわたろうと信号を待つことにした。
 ごほっ。
 焼き鳥店の客のかたまりから男が口を鳴らした。信号待ちのわたしにたいしてである。もっともわたしはその店のほうへ体をむけてはいなかった。うろうろしていた。かえって目立ったのだろう。感情を検束しない男がまたいた。
 すぐそこのビルから女があらわれた。20才くらい。超ミニスカートにハイヒール。細身。ふくよかな胸まわり。ビルの何階かにある風俗店で働いているのだろう。この女はわたしに顔をむけ、信号を無視して同通りをわたっていった。わたしが目で追いかけることはなかった。

●関係はエンドレスにつづく。中川潤。
698.2009年11/26 ある58才の女性に33才の独身の娘がいる。この娘は家を離れてひとりで暮らす。
 娘から連絡がきた。おかあさん、彼を助けてあげて、身元引受人になってあげて、と。彼が傷害罪で逮捕されたというのである。
 相談者たる女性は娘の望むとおりにした。やがて彼は裁判で実刑をくらった。
 加藤諦三はいった。
「その男性はヒステリー性格です。きわめて巧妙に人を利用します。その場をつくろう嘘をつくんです。あなたは箱入り娘でしたか」
「はい」
 人をだます人、たちのわるい人は世の中にごまんといる。娘さんはころっとだまされたんです、と加藤はいった。えっと驚かざるをえないことがおきたとき、その時点で身を引かなければならなかったんです。
 彼の保護司は娘にこういった。
「刑務所をでたら彼と結婚してやってくれ」
 加藤は、その保護司もだまされているといった。
 弁護士氏(中川潤)はいった。
「逮捕、拘留、裁判とあって、身柄引受けが発生するのは通常、保釈のときです。実刑をくらったのでは身柄引受けはない」
 彼には前科がある。今度の傷害事件で一発で実刑となった。
 中川氏は次のようにいった。——結婚してやってくれは、余計なお世話である。彼が両親に虐待されたのかどうか。真偽のほどはわからない。説得してわかってくれるような相手ではない。こちらから手紙をだそうものなら、逆上させるだけかもしれない。仮出所で迎えにいたら、あとあと取り返しがつかない。保護司には、結婚する気がないことをはっきりいうべきだ。根比べに負けて折れたら、関係はエンドレスにつづく。
「対応したら相手の要求はエスカレートするんです」と加藤はいった。「このタイプ、人を見抜く力は抜群です」
 人あたりがよくて洗練されて話題が豊富な人。注意してください。生涯を棒にふります。加藤は結尾にそういった。

●女ふたり。セブンイレブン高円寺駅東店。
697.2021年2/24 電車をおりた。改札へとむかった。折から女20くらいがエスカレーターをおりてきて、階段をつかったわたしとならびあうことになった。ごほっ。女が口を鳴らした。またこんな女がいた。
 こんな女がいかないほうへいくつもりだった。女はふだん着であり、交番のむこうの東急ストアに入っていく。
 それでセブンイレブン高円寺駅東店へ入った。牛乳売場に女がいた。21くらい。わたしに顔をむけた。いやな予感がした。女はこちらをうかがっている。買おうとするものはすべて手にしていながら通路の出入口のところにいる。こうしてわたしがどこで何をするのか見ているのである。先にレジへいく気はまったくない。
 レジで会計中、ふりむいてその女をさがした。別の女が順番待ちの先頭にいる。19くらい。人を色めがねでは見ていないとみえた。
 あの女がアイスクリームのボックスをのぞきこんでいる。レジをうかがうに絶好のスポットである。惣菜売場を背に、アイスクリームを見て興味があるふりをしているのである。
 レジ袋を手にふりかえると、この女が列にいる。先頭である。見てやると、目玉だけをそらした。首、体は微動だにしていない。人をうしろから観察しつづける。みずからはうしろから見られないようにする。これを徹頭徹尾やってのけた。人の自己肯定感を踏みつけにすることによってコンビニで地に足をつける。こういう女がまたいた。夜、もうこのコンビニには入らないことにしなければなるまい。

●ペンキ屋。老人がむかってきた。
696.2021年2/26 ひとまず中野駅方面へと細道を歩いていた。ごほっと口中音がした。外装工事中のところからである。ふりむくと、ペンキ屋ふうの男45くらいが体を細道にむけている。しらを切っている。こいつだ。通りがかったわたしを見ていたのも罪だが、口を鳴らしたのは層一層罪深い。またこんな類型男、高卒男がいた。
 むこうから女30?がきていた。T字路でまがっていく。それでわたしはその女をさけて、いつもまがっていくそこをまがらずまっすぐいった。頃合いをみて、もどった。あのペンキ屋がまだこちらへと顔をむけている。わたしはてのひらでパーッとやってやった。
 新井薬師駅をすぎていた。靴ひもがほどけていたので、小路のとば口で小腰をかがめてしばりなおした。ふたたび歩きだすと、道の反対側をいく男23?が顔を真横にむけてわたしを気にしていた。何度もそうやっていた。靴ひもを直すところのわたしを見ていたわけである。
 南長崎へと幅四メートルくらいの道を歩いていた。反対側から男がきていた。眼鏡をかけた70くらい。手ぶら。することもなく歩いているのか。道をななめにまっすぐにわたしにむかってきた。わたしを避けるどころかむかってきた。その凝結ぶりは、ばかもばか、おおばかであることの証憑であった。わたしはこの男の行動を予想していたから、道の上で対峙することになった。平穏に歩くことなど、もはやありえない。

●鳥良商店。サンドラッグの女ふたり。阿佐ヶ谷パールセンター。
695.2021年2/25 鳥良商店の前に男が立っている。30くらい。商店街に入っていくところに仁王立ちである。だからこの男をよけてとおるそのとき、ごほっと男は口を鳴らした。わたしを見つづけていた。高卒まるだしである。 
 サンドラッグで目薬を買いたかった。花粉症対策である。
 通路で目薬を見ているとき、出入口に女57くらいが立っているとわかった。わたしにたいして体を45度にしている。こうしてそこからわたしを見つづけていたのである。うげぇー。
 使用期限がみじかいので買うのはやめにした。
 目がかゆい。それでふたたび同店に寄った。使用期限が2年くらいであっても、どれか買うことにする。ひと箱とって体のむきをかえると、女がいた。53くらい。目を見ひらいてわたしを見ている。美容院でととのえた髪。身なり上等。ななめうしろから人を見つづけていたのである。こんなふうに描写されようとはまるで思っていないのだろう。
 レジにならんだ。これを見届けて、その女はわたしがいたところへいった。わたしが何を買おうとしているのかたしかめるふうである。目的をはたすや、すたすた奥へいった。店の買い物カゴを腕にさげているから薬というよりも日用品めあてであろう。人をこけにする態度をとりつづけていたから、精神生活は皆無である。夫の運んでくるお金という名の経済力のみで生きているとみえた。最初にみかけたあの女も同様である。寂黙とは無縁であり、学知、芸術への造詣、雅量、節度、どれもないのだろう。

●能なしの標本。ファミマ高円寺北3丁目店。
694.2021年2/17 階段をおりていく。ここは比較的静かな住宅地なのに話し声がきこえた。下までおりたとき、三人の男がならんで歩いてきていた。すぐちかくに建築現場があり、そこの作業員である。コンビニでもいくのだろう。ちょうど至近距離になったとき、うっと男のひとりが口を鳴らした。階段をおりてきたわたしのようすを見つづけていたのにちがいない。28くらいにみえた。あとのふたりにわたしは目もくれなかった。社会階層の低さに鬱憤をためこんでいよう。そういうものを学問や芸術、宗教によって昇華させようなどとは考えもしない。そんな連中である。
 高円寺駅から北へいくとパチンコ店がある。だが、閉店になっていた。洗面所をかりられない。それで早稲田通りのファミマに入った。ついでにペットボトルを買うつもりだった。水泳の前に水分をとっておきたいからである。
 個室のなかにいた。
 ううっ。ううっ。
 ドアのすぐむこうで男が口を鳴らした。なかにいるわたしに、早くやれ、早くでろ、という合図のようなものだと覚った。
 あけちゃえ、あけちゃえ。
 別の男がそういったのがドアの板越しにきこえた。前者の男にけしかけたのである。早くしろと命じるも同然のことをする輩がよくいる。ロックがかかっているのにわざとそこをあけにかかるのである。この手合いである。
 ふつうにおえて個室をでた。ちかくに背中をむけている男がいた。この男だ。28くらい。紺色のジャージふうの上下を着ており、上着には黄色いラインが入っている。スポーツジムか介護施設で働いているのか。この男が個室に入っていった。ちかくで働いていそうであり、コンビニトイレをつかう必要ってありか。
 お茶のペットボトルをもってレジへいく。ふたつのレジの一方に、さっきの男と同種のジャージの男がいた。こいつが二人組のひとりである。あけちゃえあけちゃえと吐いたほうだ。財布から小銭ばかりを何枚もだして時間をくっている。もともと感覚がにぶいといわざるをえない。能なしの標本だ。

●NHKR1“ママ深夜便”のおかしさ。山田真貴子。ナーガールジュナ。
693.2021年2/25 第4木曜は憂鬱になる。村上里和という女子アナウンサーが“ママ深夜便”なるものを放送しているからだ。この夜、村上はこういった。ママ深夜便は真夜中の子育て応援団です、と。自身が子育て中の当事者だからである。わたしは悪臭をかがされたような気になった。
 リスナーを限定している。だいいち夜11時すぎて“ママ”たる女が起きているのか。世紀の檮昧愚昧番組である。やるなら、ラジオ第二放送かEテレでやればいい。あるいは半年に一回とか特別番組を組めばいい。
 応援するなら対象は“ママ”ではなく、コロナ時艱で失職した人とか、食費にも事欠く大学生、理不尽にいじめられている小中高生だろう。

 ナーガールジュナは『中論』においてこういう(中村元『龍樹』)。

「〈有り〉というのは常住に執着する偏見であり、〈無し〉というのは断滅を執する偏見である。故に賢者は〈有りということ〉と〈無しということ〉に執着してはならない」
 子育て応援団を標榜するかぎり、村上は賢者から遠い。果てしなく遠い。
 こどもが“ママ”を押しつけられる。たまったものではない。将来こどもからのDVが発現しよう。
 加うるに、山田という内閣広報官もしかりである。この人は学生にむかって、飲み会をことわらない女としてやってきたと啓発するようにいってのけていた。旗をかかげ、それで安倍・菅両首相の偏愛をうけてきている。

●NHKR1ラジオ深夜便の女子アナ。放送の私物化。
692.2021年2/24 安倍晋三。この前首相の妻、安倍昭恵は夫の把持した権力の私物化にあずかった。菅義偉。この現首相の長男は菅が総務大臣のとき秘書官であった。いまは東北新社という会社に勤め、総務省の高級官僚どもらとひとり七万をこえる会食をしていた。むろん利権がらみである。菅による権力の私物化、濫用である。
 これにたいしNHKの私物化をしているのが、ラジオ深夜便の渡辺あゆみ、それに“ママ深夜便”の村上里和である。
 おかあさん、お誕生日おめでとう。これは渡辺が深夜便MCという立場に乗じて公共の電波にのせたものである。母を亡くしている人の神経を逆撫でしている。このまえは、わが家ではと得々といって番組を始めた。
 不妊治療をしてもこどものできない四十代女性がいる。こういう人の神経を逆撫でしているのが、ママたる村上である。その苦悩がわかっていない。こういう番組は民放ではありえないだろう。

まいばすけっと中野三丁目店。
691.2021年2/20 男58?は体を通路にむけて動かない。豆腐をとったわたしを見ている。豆腐を別の種類の豆腐にかえようとするとき、男は、買物カゴのなかで何かの音をさせた。またこんな男がいた。この男はわたしのあとを追ってきた。常に体をわたしにむけていた。
 こんな男を撒いた。男はレジ会計のとき、小銭を何枚もだして時間をくい、買ったものをマイバッグに自分でいれるのにも時間をくっていた。
 レジ待ちの列にいた。ふたつあるレジにはともに客がいた。そのうしろ側、出入口そばに男がいた。45くらい。この男は首をねじって顔だけをレジ待ちの列へとむけている。目はすぐそこの果物類に落としているというわけだ。なんでそんなところに、そんなふうにしているのか。わたしは列の二番目にいた。こんな男の、知慮を欠いていそうな顔を見ることになっていた。その目でなんとなくこちらを警戒している。
 男がレジ会計中の女30くらいの腕にさわった。付き添いでそんなところにいつづけているのだと、このときわかった。醜い顔をさらすようにして、この女が自分のものだといいたかったのにちがいない。バカ男がまたいた。

●せんべい店の男。阿佐ヶ谷。
690.2021年2/19 阿佐ヶ谷駅方面へ旧中杉通りの商店街を歩く。せんべい店がある。男48?白マスクが店番としてすわっている。店主のようだ。その目は伏せられているものの、わたしを見ていたというような感じがした。
 ごほっ。
 その店主?が口を鳴らした。やっぱりこっちを見ていたのである。やりかえすと、またもごほっとやった。客がこなくて、することがなくて、暇なのである。

●猫と小鳥と女ふたり。
689.2021年2/16 小川を埋め立てた緑道がある。そこに猫がいた。毛色は薄茶である。緑道のまんなかにある植込み沿いをちょこちょこ駆けている。小鳥を追いかけているのである。黒い羽の、スズメよりもちいさな鳥が飛びたつことなく、こちらもちょこちょこ逃げている。脚がほそい。猫が右手を草刈り鎌のようにくりだすも、小鳥は逃げた。
 まだ遠い先から女がふたり、ともに二十代前半くらいが、ならんで緑道に入ってきているのがみえた。わたしは猫を見ていたかった。猫のほうへ足をむけた。
 ごほっ。
 その女のひとりが口を鳴らした。わたしが女を目当てにしていると思ったか。バカか。単細胞め。

●森発言。みのもんた。高嶋秀武。増島みどり
688.2021年2/20 ニッポン放送夕方六時からの高嶋さんの番組に、みのもんたが電話出演していた。みのもんた77才。高嶋秀武78才。学年でふたつちがう。みのはパーキンソン病であり、朝、四千歩あるく。広大な家の敷地をあるく。酒好きで40才で?糖尿病になっている。
 妻は66才でなくなっている。みのよりひとつ下である。浮気が露見すると、奥さんは銀行預金をすべてひきだした。納骨はしていない。いっしょに墓に入ろうと思っているからである。妻との思い出の地である鎌倉にいつづけている。世話をしてくれる女性がいる。元銀座のホステスである。こどもたちは東京に住むことをすすめている。
 森喜朗発言について、みのはこういった。ぼくはね、あれは差別でいったんじゃないと思うね。だらだらしゃべっているな、はやくやれという意味でいった。女がどうっていわなければ問題にならなかった、と。
 2/21日曜のNHK日曜討論で、増島みどりはこういった。
「森発言を私は蔑視とは思っていません。差別とは思っていますが」
 男だって発言の長いやつはいるというのである。

●馬鹿のきわみ。高円寺。
687.2021年2/19 環七方面へ細道を歩く。
 んんっー。
 男が口を鳴らした。左のマンション二階からだ。通りがかっているわたしを上からひそかに見つづけ、離れていく瞬間を狙ってそうやったとみえた。
 うううぅーとやりかえした。その建物をふりあおいだ。すでに隠れているのか。姿はみえない。ただしわたしは近眼である。
 内面からっけつゆえに、みえる人にちょっかいをだす。高卒まるだしのばか男である。またこんな男がいた。25くらいか。
 このあと上石神井プールへいった。そこは5分の休憩があるところなので、連続して泳いでいられるように入館時刻を気にした。到着したもののまだ道路にいると、入館していく女68?がこちらに顔をむけ、わたしを見つづけていた。
 プール内は込んでいるほどではなかった。コース内に入ろうというとき、そこに男25?がいた。泳ぎださない。それでわたしはひとまず「戻り」のコースに入った。その男がわたしに顔をむけた。泳ぎださないばかりかわたしを見たのである。何のためにコース内にいるのかと問いたくなった。わたしがそちらのコースに潜っていこうとするとき、男は泳ぎだした。
 上の男、女、男は同臭同気の人たちである。

●立ち読みの女。中杉通り
686.2021年2/18 高円寺駅北口側に書店が二軒ある。日の当たらない店のほうが大きい。そちらに入った。女がいた。48くらい。太りめ。立ち読みをしている。わたしはこの女の目が、わたしを追いかけているのがわかった。立ち読みに溺没などしていない。またこんな女だ。身なりは上等である。会社関係の昼休みか。
 買う目的があってこの書店に入った。18日発売の目あてのもの、これを手にとってレジへとむかった。その女は、わたしがいたところを見ることができる場所に移っていた。立ち読みのふりをしていた。レジ側に背をむけ、わたしを見つづけていたわけである。どんなものを手にしたかも見ていたのだろう。わたしはこういう内面空虚女の餌食になっていたとわかった。
 わたしがレジ会計をおえるや、女はそそくさとわたしから離れ、でていった。この女なりに判定をくだしたというわけである。人や物の市場価値ではなく真の価値を見ようとする。これをてんでやりつけていそうになかった。
 女はわたしの入ってきたほうからでていったから、外のどこかで、でてくるわたしを見ているのかもしれない。わたしは別の出入り口から外にでた。
 阿佐ヶ谷。中杉通りの歩道。男68?は背がたかく、女66?とならんで歩いていた。立ちどまったりしてぶらぶらきていた。ほかにも歩いてきている人がいた。わたしはこの老夫婦?を避けるように右へ寄った。折しも前方からほかのふたりがきていたから、立ちどまらざるをえなかった。
 ばーか。
 その背のたかい男がわたしに首をまわしていった。トラブルを避けずならんできている神経の持ち主である。内面からっぽ男がまたいた。
 何分かのち、このふたりが阿佐ヶ谷駅の高円寺寄りガード下、三菱UFJ銀行の前を、このときもぶらぶら歩いているのがみえた。老いた男が老いた女に顔をむけてしゃべっている。気もちわりぃー。

★森喜朗は女性を蔑視したか。莫言。이십오.veinticinco.

660~685

●木曜の夜ふたたび。ラジオ深夜便。龍樹。
685.2021年2/18 NHKR1からラジオ深夜便が流れてきた。ニュースのつづきでダイヤルをそのままにしておいた結果である。木曜の夜。このタイトルの中島みゆきの歌なら聴くことができる。だが渡辺まゆみである。わが家では、と始まった。わ、が、家をいやに強くいった。頑愚である。
 わたしのブログを読んで反感をもったのか。いまいましいというわけである。毎週水曜と金曜、週二回クリーニング屋さんがくる。三十代の男性で、父の仕事をひきついだ。奥さんとこどもがいる。渡辺はそんなことをいった。
 ダイヤルをまわした。TBSのニキさんの番組にかえた。すぐに切ってしまった。この文章を書くためである。
 ラジオから流れてくる声が、個と孤にとどくか。渡辺の話すことは究竟家庭自慢にきこえる。公共放送であるのに自分の家庭はこれこれこうです、どうです、こんな話題があるんですといっているようにきこえる。もっとも当人にそんな意識はこれっぽっちもないのだろう。こういう心的態度は来週、第四木曜の女子アナウンサーにもある。40代の高齢で図らずも第二子?を出産したことから“ママ深夜便”をやっている。
 真の価値とは何か。この人たちはそれに目覚めていない。臥し所に眠っているにひとしい。
 中村元『龍樹』のなかにこうある。

 一切諸法[あらゆる事物]は空である。何となれば、一切諸法は他の法に条件づけられて成立しているものであるから、固定的・実体的な本性を有しないものであり、「無自性[むじしょう]」であるから、本体をもたないものは空であるといわねばならぬからである。
・・・・・・
 [『中論』は]概念を否定したのではなくて、概念を超越的実在と解する傾向を排斥したのである。「であること」essentiaを、より高き領域における「があること」existentiaとなして実体化することを防いだのである。

 パウロは「コリント人への第一の手紙」のなかで次のように書いた。なおこの引用は以前にもこのブログのどこかでやっている。同じところを中村元も『龍樹』において論証にとりいれている。それくらい含蓄がある。

 時は縮まっている。今からは妻のある者はないもののように、泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。

 こういう文章にふれると、ラジオ深夜便の上記ふたりの女子アナが低次の領分で自己主張をしていると思える。ことに渡辺は龍樹やパウロの感覚をもっていない。ちいさい頃から育んできていない。いじめられるのではなく、いじめるほうに首まで浸かっていよう。
 2/20土曜朝、TBSラジオをきいていると、あの蓮見孝之が自分は三児の父だといった。これをうけてアシスタント役の北村まあさが、自分は30代で独身、こどもはいないといった。こういうのってわざわざいうことか。わたしはそう思った。蓮見はたいてい話題を自身の家族にもってくる。ラジオ深夜便の渡辺とおなじである。新約聖書、龍樹、ドゥルーズ、どれも読んでいそうにない。

●上石神井の男。女。中島みゆき鬼束ちひろ
684.2021年2/15 雨がふっていた。上石神井駅の改札をでて階段をおりていった。右ななめ上から男がおりてくるのがわかった。この男、23くらいはわたしを追いぬいて先におりていくことがない。おなじ間隔をとりつづけている。きっと、そこまでは詰めてそれ以上は意図的にいかないというわけだろう。先にいくならわたしに見られると思っているからである。
 コッ――コッ――コッ――
 男が階段を一段おりるごとにビニール傘の石突きでステップをたたいているのである。一定のリズムでそうやっている。その音をわたしの耳にいれていた。音ばかりか余韻も、人の耳をかきみだしていた。
 こういうちょっかいのだしようがあるのか。こう思わないではいられなかった。
 地上までいって左をとった。西友の出入り口のほうである。その前をいく。ふりむくと、その男がわたしのあとをつけるかのようにきていた。高卒、アルバイトふう。この男が関心をもっているのは、お金、スマホ、外見だけにみえた。
 交差点がある。西荻窪や吉祥寺行きの路線バスが、ぎりぎり左にまがっていく。そこを渡っていくとき、前方から女がきていた。21くらい。桜色のちいさな雨傘で首から上を隠している。まだ遠くからわたしを見くさったあげくの、含みたっぷりの行為である。わたしは赤信号もものかは、ぎょうざの満州のあるほうへ折れた。ふりかえって女を見てやった。自分がよければそれでいいといった閉じた驕慢さを感じとれた。(高卒女。)
 上石神井体育館のプールで泳いだ。駅へと歩いているとき、雨はあがっていた。男がでてきた。二階に千円カットの店のある建物からである。22くらい。高卒ふう。韓国男性アイドルのようなヘアスタイル、茶髪、片手をズボンの脇ポケットにつっこんで道を横切っていく。わたしの前方数メートルのところだ。
 うっ。
 男が空気を切り裂くような口中音をたてた。このとき顔はこちらにむけてはいたが、わたしを見てはいなかった。近眼のわたしが気づいていないときに、こちらを見て感じるものがあったにちがいない。排撃をあらわにした。所為の是非をみずから問うことをしないのだろう。またこんな男がいた。
 如上のふたりの男、それにひとりの女のそれぞれの親が五十才くらいだとすると1971年生まれになる。二十才のとき1991年。きょう2/15に株価が三十年ぶりに三万円台になったというから、これは景気のいいときである。よくもわるくもお金、お金、お金の時代であった。この親からして成長期に精神性をまったくつちかわずして、そのままこれまで生きてきているのではないか。
 中島みゆきが「時代」を発表したのが1975年、この年23才である。
 
 まわるまわるよ時代はまわる 喜び悲しみくりかえし、きょうは別れた恋人たちも生まれかわってめぐりあうよ
 それから25年後、2000年に鬼束ちひろは「月光」で次のように歌った。この年20才である。

 この腐敗した世界に堕とされた・・・・・・こんなもののために生まれたんじゃない

 「月光」から21年後のいま、ラジオから流れてくる歌は、男や女が恋人のことをなよなよでれでれ想っているものばかりである。それはおおきやかな愛ではない。

●森さんは袋叩きにされた。ナックファイブの松山千春
683.2021年2/14 日曜夜九時。ナックファイブ(FM埼玉)で松山千春が生放送をしている。冒頭話題にしたのは昨夜の地震のことではなく、森さん辞任のことだった。
 こんなことをいった。――おれは女性を蔑視した発言とは思っていない。男女比較をしたまでだ。記者に問いつめられれば、そりゃあ逆ギレもするわな。みんなで森さんを袋叩きにした。報道によって物事の本質がねじまげられている。
 また東京都知事小池百合子について、こういった。――四者会談に私は出席しませんといって責任放棄をし、森さんを追いこんだ。
 さすが、千春。
 きのうの大宅映子につづいて松山千春が私と同意見である。
 男女平等って声高に唱えるなら、百メートルの短距離走を男女ごったでやれ、というようなことを松山はいった。そうだ、そうだ。
 なお上記の記者はTBSラジオの澤田記者である。この人は同ラジオ局唯一の政治記者であるらしく、同局のニュースコーナーによくでてくる。女性がいると会議が長くなるのがどうして女性蔑視とつながるのか。これについて感覚がにぶい。
 よく勉強してもらいたいわなと、当の記者を念頭に千春は番組エンディングにいった。
 莫言の『酒国』のなかにこうある。

 先生、実際人類の味覚の多くは訓練の結果です。あるものを皆が美味しいと言えばだれも不味いとは言えません。大衆の味覚には大いなる権威があり、それは市党委員会組織部長が末端幹部に権威を揮っているようなもの、お前は仕事ぶりが良いと言われりゃ実際の良し悪しにお構いなく良いのであり、悪いといわれりゃやはり悪いのです。

 森さんはたぐいまれなる顔をもっていたのに、追放された。ニッポン放送舛添要一がいっていたが、女はどう男はどうと区別しなればよかったのである。

森喜朗は女性を蔑視したか。TBSラジオ莫言
682.2021年2/13 女性がいると会議が長くなる。森喜朗オリパラ組織委員会会長によるそんなコメントが女性蔑視ととらえられ、とうとう森氏は辞任に追いこまれた。森氏のコメントをきいたとき、わたしはわらってしまった。嘲笑でも嗤笑でもない。ほんとうのことをいっているよなあと思ったわけである。事実、あたしのことだとラグビー協会の女性理事のひとりがこたえていた。
 女性蔑視などとは思えなかった。
 IOC委員のカナダ人女性は、朝食の席で森氏を問いつめたいといったらしい。とんちんかんもはなはだしい。
 けさTBSラジオに大宅映子がでていた。いつもの出演である。大宅はこんな趣意のことをいった。――森氏の発言は女性蔑視とまではいいえない。サービス精神旺盛なひとだから、ついいってしまったのであり、居酒屋でいっていればよかったのに、と。
 大宅映子は円熟の時評家である。わたしとおなじような感覚の人がいた。
 森氏自身も弁じた。女性を蔑視するつもりはなかった。解釈のちがいだ云々。
 森氏は7才のとき母を亡くしている。まぶたの裏に、まだわかい母の姿が、みずみずしく芳烈なままに残っているだろうか。女性を蔑視するか。
 つづいて午前八時の例刻に生島淳がでてきた。彼がいうようにメディア・SNSのすさまじきバッシングによって、三日遅れでJOC会長の山下泰裕が森氏を擁護しない見解をだした。女性蔑視はオリンピック精神にもとるとのIOC会長バッハ氏に同調したものである。IOCJOCもどちらも世論の風浪を気にした風見鶏である。
 森氏は疇昔若かりし頃、大学ラグビー部に入ったものの数か月でやめている。だから邦家のラグビーの顔でありつづけているものの、どれだけ思い入れがあるのか疑わしい。
 ちょうど二十年前、宇和島水産高校の練習船アメリカの原子力潜水艦にぶつけられ、高校生が何人も犠牲になったとき、首相であったのに名門ゴルフ場でクラブをにぎりつづけていた。支持率消費税なみとなっても、ゴルフで辞めたといわれたくなくて総裁選前倒しという奥の手をつかった。
 それはさておき、世耕議員であったか森氏のことを「余人をもってかえがたい」といったのは、ただしい。生島のいうように(ソ連軍のアフガニスタン侵攻をうけての)1980年モスクワ大会ボイコット以往、オリンピックが政治がらみとなり、海千山千の森氏の功績は関係諸氏の目には赫奕たるものがある。
 女性蔑視ではない。曲解である。一般大衆が寄ってたかって森氏を断頭台にあげたというのが今次の構図である。これを奇貨とするなら、生島のいうように男女同数へと社会がかわっていく転換点として歴史に刻まれるだろう。
 この番組のMCはTBSアナウンサー、蓮見孝之(のりゆき)である。老害ということに鑑みて、五十代、おじいちゃんの六十代になっても若い人に拒まれないようでありたいとか何とかいっていた。この人は二児?の父親でありこの役割意識を全面にだしてマイクにむかっている。だが当人は何も感じていなさそうで、人生には年令に応じたレールというものがあるというように放送していると思える。第三木曜夜のNHKR1、ママ深夜便という気もちわるいこと甚深なるものをぬけぬけと放送している女子アナと似ている。
 このあと人権コーナーで漫画アクション連載中の、顔に青い痣のある女子高生を主人公とするマンガのことが紹介された。この女性マンガ家はその痣、太田母斑をもち、さまざまに傷ついてきた。カフェでバイトをしていたときお客さんの年配男性にこういわれた。女の子なのにそんなものがあって、かわいそうだねえ、と。女の子の顔はきれいでなくてはいけない。そんな通念の押しつけである。
 こういうことを蓮見はどれほどに痛切に思っただろうか。

 きみといっしょにいたい。・・・・・・愛してることさえまだいえず、ぼくはきみに何をあげられるだろうか。・・・・・・きみといれたら・・・・・・

 またこの手の歌詞の歌がラジオから流れてきた。千殊万別とは対極の、こんなワンパターンの歌ばかりが流れてくる。この歌い手も森氏に女性蔑視の反旗をかがげるのだろうか。
 『酒国』は莫言の長編小説である。その翻訳を読みすすめているとき彼にノーベル文学賞が与えられるとの報に接した。次のような一節がある。

 人が他の人をこれほどまで強烈に憎めるというのは、疑いもなく一種の美であり、全人類に対する偉大な貢献である。それは人類の感情の沼地に咲き誇る紫紅色の猛毒のケシの花のようなもの、それに触れたり食べたりさえしなければ、それはある種の美的存在であり、善良なる花ではどうしても持ち得ぬ魅力を備えているのである。

 強毒素はコロナウイルスのようにはびこる。

●ネックストラップの女。セブンイレブン高円寺駅東店。
681.2019年8/7 きのう、セブンのレジで会計をしてもらっていた。ふりむくと、女がわたしに体をむけて立っているとわかった。24くらい。弁当類のあたため待ちらしい。スマホに目をおとしつつ、そこの通路の出入口にいつづけている。氏名入りのネックストラップをかけているから、全体のようすからしても仕事の昼休みのようだ。体のむきをぴたりとわたしにむけているのは、この女に自分というものがないからである。そればかりか、忘我の境というものに無縁だからである。たまたま目にしたわたしにとらわれ、人を踏み台にそこにいつづけることができていた。

●男が口笛をふく。
680.2019年9/28 階段を一段一段昇っているとき、口笛がきこえてきた。不吉な、まがまがしい音だ。右手、小道のむこう側、櫛比する住宅のどこかの二階からだとわかった。わたしの知らない男がこちらを見つづけ、わたしが見ていないのをよそに、口笛を吹いて人の耳底にとどかせている。夜、二階の窓かベランダから人を眺めるしか能のない男だ。そこの住宅の男とかかわりをもとうとは、もとよりつゆ思ってきていない。凡愚の高卒男がまたいた。

●高円寺の夏男。
679.2020年8/17 高円寺駅構内を左手にみてJR南側、高架沿いの道をいく。女ふたり、ともに20代前半くらいが、むこうからきている。それで道の反対側へ動いた。そちらからは男ふたり、こちらも同年代くらいがきていた。この四人に面識はなさそうであった。すれちがうにあたって、ひとりの男が、うっと口を鳴らした。夜なのに汗くさそうな帽子をかぶっている。アロハシャツふうのものを着た、イモ類顔の男である。人を避けようともせず躊躇なくそうやった。ふたりで歩いていながら会話はしていなかった。経済の地平で生きるばかりで精神生活をてんでしていないとみえた。目にうつる他人に反応する。他人を消閑の具とする。存在力の弱さは目を覆うばかりだ。またこんな男がいた。(高卒)愚昧醜劣男である。
●自転車の男。
678.2020年8/18 鷺宮体育館をめざした。歩いていると、むこうから自転車がきていた。23くらいの男である。もしかすると高校三年生くらいなのかもしれなかった。わたしとの距離が二メートルほどになろうというとき、うっと口で音をたてた。例によって威嚇と排却の音である。この街の憲兵でもあるまいに、あるまじきことをした。
 よくいるような男だ。旦夕怠らず心的に何をしているのだろう。内面の想像界に一木一草も生えていないのだろう。腕力をつかっての駆けひきやせめぎあいのなかでしか生きていないのだろう。

セブンイレブンの女店員。
677.2020年8/15 その店は阿佐ヶ谷駅南口にある。わたしが食料品をカゴにいれるようすや通路にいるようすを、女店員23くらいはコロナ対策用の透明シート越しにまじまじと見ていた。
 会計をおえて帰るとき、ほかの客がいたから衝突しないようにその通路をとおった。そこをとおらざるをえなかった。当の女店員は、わたしがどこをどうとおってでていくのかを見ていながら、顔は十全にそむけていた。やりたい放題である。

中野駅北口の男。
676.2021年1/29 改札前方は人ごみである。そこに男がひとり立っている。40くらい。行き来する群集といってよいなかにひとりだけ立って、わたしに顔をむけた。人を探しだしたとでもいうようににやついている。
 こんな男を避け、方向をかえた。
 ごほっ。
 この男が思いっきり口を鳴らした。わたしはその男のほうへ首をまわす。男はすでにそっぽをむいていた。然らぬていをよそおっている。またこんな男がいた。

●男が電車の座席に腰をおろすとき。龍樹。
675.2021年1/28 東西線落合駅でひとりの男が乗りこんだ。23くらい。現場作業員ふう。この男は、すわっているわたしにむかってきた。わたしは冊子に目をおとしていたにすぎない。このあと男は、背中に目があるかのように後ずさりしてすわった。わたしの真ん前である。
 人にまっすぐにむかってきて後ずさりしてすわる男を初めて見た。人をたしかめずにはいられなかったのである。終点中野までひと駅区間であり、男は顔をあげつづけていた。わたしを見ていた。監視員のようにである。
 またこんな没人格、没個性の男がいた。高卒め。
 東西線のホームから階段をおりていった。おりきって右をとるや、ごほっとだれかが上から口を鳴らした。階段の上からわたしを見つづけて反応した男がいるというわけだ。
 セブンイレブン中野桃園店を右に見て細道をいく。ごほっ。後方で男が口を鳴らした。男は同店前から桃園通りへと入っていくのである。江戸時代、妙法寺へといける道である。男はそのときを狙ってちょっかいをだした。さもしき高卒か。
 上述の男らには「空観から出発する大慈大悲の利他行」(中村元『龍樹』)なんて思いも考えもしないのにちがいない。

●夫って何。三石由紀子。
674.2009年11/18 ある44才の女性は37才の夫とのあいだに3才の双子の男の子がいる。けれでも、もう夫とは別れたい。夫は甘えたがり屋である。一方、彼女は強い夫をひたぶるに求めている。
 一年半の交際期間があった。そのおわり頃にはもう彼とは別れたかった。ところが検査薬によって、思いがけなくも妊娠がわかった。産婦人科で検診をうけると、なんと双子であると告げられた。
 彼女はバツ一である。最初の結婚においては子供ができなかった。年令も年令であることを重ねあわせたとき、堕胎、それに彼との別れをえらぶことはできなかった。
 出産後に入籍した。結婚生活において彼の性向はかわることがなかった。
 彼女は夫に包丁をふりまわしたことがある。子供ふたりを道連れに心中をしようかと思い詰めたこともある。そんなこんなの悩乱ゆえに心療内科にかよって投薬治療をうけている。
 夫は自営業である。
 三石由紀子氏は次のようにいった。
「いま別れていいことはない。この国では子供ふたりの教育費はおおきい。夫はできのわるい子供だと考えよう。給料をもらってくるいい子だと考えよう」

●千住スイミー。虫酸が走る。
673.2021年1月某日 男が靴脱ぎ場にいた。21くらい。首をのばし顔をあげているのは、入ってこようとするわたしを見るためだ。底気味のわるさを覚えないではいられなかった。背に〈陸上競技部〉の縫いとりのある青っぽいジャージを着ているのがみえた。
 この男が更衣室で、ベンチふうの台にすわっていた。ロッカーを決めていない。わたしを待っていたようであった。
 奥へいく。この男はわたしを視野にいれられるところにきた。
 ロッカーをかえようと動いた。すると着替え中、こいつは洗面台の大鏡を目的とするふりで、わたしの視野にずけずけ入ってきた。わたしがどのロッカーをつかっているのか見にきたとみえた。
 帰りの着替えのとき、そいつはいちばん最後にやってきた。コロナ禍害による自粛要請下にあって20:00終了である。わたしの真後ろである。そこにロッカーをかえていたというわけである。
 おえーっ。荷物をもって洗面台に移った。と、男が横にやってきた。着替えに集中していない。どこまでもわたしを追っている。
 ふたたび荷物を手に奥までいった。この一部始終を着替え中の男36くらいが、体を室内にむけて見ていた。子息らしき10くらいの男児ときていた。
 かくまで気もちわるい男がいるものだ。目についた人を標的にすることで、弱い存在を支えている。こすっからい。

●女が反応した。
672.2021年1/17 中野駅のホームにいた。予想はしていた。ニット帽をとってハンカチで目の縁をぬぐっていると、ごほごほっと女が口を鳴らした。後方からである。1番線には三鷹行きが発車待ちでとまっている。なかにすわっている女が、わたしを見つづけて反応したというわけである。またこんな女がいた。声からすると40代か50代だろう。高卒にして衣服の見かけ上等にちがいない。わたしはけっしてふりむかなかった。

●女の本性。上田秋成
671.2021年1/16 おとつい、高円寺駅西側の横断歩道を拾っていた。むこうから女53くらいがきていた。それなりのかっこうをしている。まだら白髪のその女が顔をわたしにむけていた。
 顔をそむけてやった。
 ごほっ。
 女が口を鳴らした。すれちがいざまの、まさにその一瞬にそうやった。貪・瞋・癡の女だ。わたしはすぐさまやりかえした。
 上田秋成雨月物語春雨物語』のなかにこんな文章がある。――およそ女の本性はねじれ曲がっているもので、そのためにあさましい鬼にも変身するものです。
 高円寺のあの女の心内がどういうものか、たかが知れたものである。まこと、飾られた外見は人を愚昧化する。

●女が乗りこんできた。
670.2021年1/15 新宿駅。乗りこんできた女53?が、すわっているわたしを品定めするように見た。このあとようやく、ひとつおいたむこうにすわった。すぐに男70?がキャリーケースをひきずって乗りこんできて、わたしと当の女のあいだにすわろうとした。ふたりが夫婦ものにみえた。わたしはあいだをもっとあけようと体を右にずらした。だが女は、つと席をたった。この老人を嫌悪するようにである。となりの車両へ移っていった。いやな女だ。

中野駅へ。中島みゆき「明日なき我等」
669.2021年1/10 成人の日 セブンイレブン中野桃園店をすぎた。左へまがっていく。うしろから人がきているのがわかった。
 ううっ。
 口中音がとんできた。ふりむくと、男23くらいスマホがきている。またこんな男がいた。知的水準がひくいうえに宗教心もない。個力が、すくないというよりも、とんとない。
 線路のむこうに道がある。そこを歩いている男が、発車待ちですわっているわたしに顔をむけている。高校生三人組のひとりだ。島忠のほうから集団で歩いてきている。志向が天上のものへとまとまらないというわけだ。
 中央総武各停。飯田橋をすぎて女が車内を歩いてきた。車椅子スペースの連結部寄りに立った。20才くらい。体を、すわっているこちらにまともにむけて、わたしを見ている。すいている車内でこれだ。またこんな女がいた。
 乗り換え駅への階段を下りていく。エスカレーターはつかわない。人からのストレスが多いからだ。駆けるようにおりていくと、前方、ふたつめのエスカレーターへと近づいていく女21?が顔をむけてきた。女はスマホに目をおとす。歩みをゆるめる。なんとなればわたしに先にエスカレーターをつかわせようと謀るからである。わたしは階段ばかりをつかっておりていくつもりであり、女であれ男であれ人に近づく気は一毫もなかった。それにその性向の女になぞ近づくわけがなかった。
 プール内。ある男はコースにいながらゴーグルのずれを直すなどして先にいかない。これは類型行為である。 
 更衣室。着替えている男がロッカー越しにぴしーっと何かのファスナーをしめた。わたしへの攻撃である。この男が帰っていく。あのゴーグル男に似ていた。
 駅への道においてその男が歩いているのが目に入った。きょろきょろしながら、たらたら歩いている。高卒にみえる。
 上記のだれが中島みゆきをきくだろう。「明日なき我等」はこんなふうにうたわれる。

 われら明日なきものは何も願いをもたず、風のままに風にうたれ、いつか風になろう
 すぎた日々と明日とは支えあうやじろべえ。きのうを捨てても明日だけが運命としてそこにあるわけじゃない。
 されど衆生は明日を占い、されど日々を明日に託す
 あわれわれらさすらう者、渦巻く時の波間に

 

●ただれた塵中とはこんなところ。ピエール・アドネス。マックス・ヴェーバー
668.2020年12/14 階段をおりていく。足元を見ていた。ころばないようにである。顔をあげれば遠く近くを見渡すことができる。けれど、いつもそんなことはしていない。
 うっ。
 空気をひきさくような口中音がした。顔をあげると、隣家の敷地で男の頭が動いていくのがみえた。外にいた男が家のなかへ入っていく。
 この男30代?は階段上のわたしを、こちらが気づいてもいないあいだ見上げていたのにちがいない。鍵をかける音に、ついで現実の、目にみえるわたしに反応したのである。平日なのに家にいるとは悪疫コロナで失職したのか。心的痴鈍者がまたいた。
 わけあって松村圭一郎という名の文化人類学者の文章にふれた。この人の心中をおもんみるに、学者呼ばわりされたくはないだろう。こんな一節があった。――「わたし」はその輪郭を維持する必要がある。それは「わたしたち」でも同じ。ただ、それを変わらない絶対的な輪郭だと勘違いしてしまうと、その輪郭を維持するために、異質な他者が見つけだされ、差異が強調され、排除される。(『はみだしの人類学――ともに生きる方法』)
 男がわたしにむけて二階から口笛を吹いた。女が自転車に乗って、うしろから人の虚をついてごほごほっと威嚇した。女が庭先に立って体をわたしにむけ、じーっとこちらを見つづけた。喫煙スマホ男が、鍵の音がするや、ごほっとやった。ほかにもまだいる。全員このあたりの住人である。
 ピエール・アドネスは『カトリック神学』のなかでこう書いた。

 意志のゆがみを正す、神の恩寵を注ぎこまれた本性的徳が必要である。とりわけ、神の愛、愛徳が必要である。

 塵中の俗流の住人たちは、マックス・ヴェーバーのいう「鋼鉄のように堅い檻」に似たものを身につけていよう。もっとも、プロテスタンティズムをうけいれた人たちとは著しくちがい、心根はただれている。

●男がスマホをかける。
667.2020年12/18 秋葉原駅の地下ホームにて男がスマホで電話をしている。48くらい、コート姿、サラリーマンふう。この男は階段をおりていくわたしへとまっすぐに体をむけ、わたしを待ちうけている。
 右へいくと、この男はわたしのいくほうへと体をむけた。心的貧困をこれでもかとみせた。またこんな男がいた。

上石神井駅。ピエール・アドネス。ウォルト・ホイットマン
666.2020年12/28 階段をおりた。右へいこうとしたとき、小学生の女児が歩いていくのがみえた。背にはNマークの青いリュックを背負っている。日能研へいくのである。それで左をとった。自転車にまたがって動かない男46くらいがいた。通りがかってとまっているというわけだ。何故か。わたしのようすを見つづけていたのである。こうまでして人を見たいものとみえた。個のない俗物である。年末の休みに入っているのだろう。
 三叉路をまがるとき、ふりかえってこの男をみてやった。まだそこにいた。遠ざかっていく女児を見つづけている。自己を制御する力をもたない。変態である。またいた。
 環七の歩道をいく。まだ遠方に男がいる。自転車にまたがっている女もいるし、幼児もいるとわかった。その男36?は体をわたしにまっすぐにむけ、歩道の中央に立ちはだかるように立った。またこんな男がいた。わたしはマスク越しにべーっと舌をだしてやった。通りすぎざま、男はわたしのほうへと体をまわした。
 野方の理髪店にいきたかった。店前までいった。あかりがついていない。貼り紙を見ると、きょうから年末年始の休みとあった。もどりはじめると、松屋のところに男24?がいるのがみえた。この男は体を道へとむけている。その目がそれた。いましがたまでわたしを見つづけていたことがわかるようにである。またこんな男がいた。
 上石神井駅の改札口をでた。左をとって歩く。すぐ前方を男が歩いている。72くらいである。この男は端をいかない。それでいてゆっくりである。
 焦れた。左から抜こうと動いた。そのときだ。
 ごほっごほっ。
 うしろから口中音がとんできた。歩みをとめ、ふりむくと、腐った落花生みたいな顔の高卒現場労働者ふう46?がこっちを見て歩いてきている。
 ひゃあーっ。
 わたしはちいさく叫んだ。
 ううっ。
 男はまたも口を鳴らした。人に小突かれて生きてきているのだろう。またこんな流俗の、けだかい心慮をもたない男がいた。直指人心見性成仏[じきしにんしんけんしょうじょうぶつ]だ。
 ピエール・アドネスは『カトリック神学』のなかで次のようなことを書いている。――恩寵のたまものによって義化され内面的に変えられた人間は、神のうちに自分の生存の究極目的を認めている。
 如上の男らは「人間がその行為のあらゆる活力をつうじて暗黙のうちに指向する存在」を希求していない。義人以外の何者かである。
 ウォルト・ホイットマン『草の葉』のなかに神々と題されたものがある。こんなふうにうたう。

 廉直にして多能、美しく、心豊かに、情[なさけ]あり、
 肉体は完成し、気宇おおどかなる、
 卿[おんみ]よ、わが神たれ。
 ・・・・・・
 あるいは「時間」、あるいは「空間」、
 あるいは秀絶にして驚異にみちたる「大地」の姿、
 あるいはわが看て、賛仰する美しい人の姿態、
 あるいは燦爛たる太陽、あるいは夜空の星、
 卿らよ、わが神々たれ。

 

●男がデイリーストアに入ってこない。
665.2020年7/9 きのうデイリーストア杉並環七通り店に入った。買うものを買って、さあ帰ろうと出入口へむかった。手動のドアの先に男23くらいがいる。手にはスマホをもっているふうで、顔をわたしにむけ、こちらを見ている。わたしがでてくるのを待っているのである。自分でドアをあけない。人がドアをあけるのを待っている。あるいは、ドアをあけて入っていくのをわたしに見られると思っているのか。すれちがうのがいやなのか。存在力が薄弱なのか。
 でていくのをやめにした。左の雑誌コーナーのほうへまがりこんだ。これでようやくその男は自分でドアを押しあけ、入ってきた。
 この男の行為の態様は、むろん例外ではない。またこんな形而下男がいた。内面からっぽゆえに、目にみえるものだけに様式的に反応するというわけだ。

●ファミマ高円寺南店でアマゾンをうけとる。
664.2020年7/7 そのファミマは駅から歩いて一分である。そこに入ろうとした。アマゾンで注文した日本近代文学の一冊、岩波文庫版をうけとるためである。出入口に木のベンチがあり、男がふたりすわって、べちゃくちゃ話をしている。ともに25くらい、ラフなかっこう、友人どうしのようだ。へたに目をあわせるならろくなことが出来しないだろうから、ひたすらにドアだけを見て店内に入った。
 文庫本一冊のおさまった包みは、ちいさな、ひらべったいものだ。それをリュックにいれようと、イートインスペースに開かれたところにいた。いましも清算をおえた男27?サラリーマンふうがわたしに体をむけて立った。顔だけはそむけ、買ったばかりの缶コーヒーか何かを飲んでいる。またこんな男がいた。
 ただちに外にでた。二三歩すすんだ。というのはベンチに男ふたりがいつづけているからで、アマゾンの包みをリュックにいれようとしたそのとき、右の頰のところに何か気配を感じた。耳元でうううっとか何とか奇声がきこえた。無用なかかわりである。顔をむけた。茶色いスナック菓子のひとかけらが右の頰にあたらんばかりに近づいている。
「やめろっ」
 そう制したのは、ベンチにいるもうひとりの男のほうである。目についたわたしに男の一方が、おふざけで独断でかかわったというわけである。
「あいてててー」
 男はたわいもないことをいいつつ、手首に傷をおったかのようにおおげさに演技をしてベンチにもどった。酒を飲みおえて微醺をおびているようだった。
 わたしは出入口から離れた。男らを見てやった。
――すいませんでした。
 おふざけをしたほうがそういった。わたしのなかに怒りはなかった、というなら嘘である。
 この男は赤の他人とかかわっておのれの存在をたしかめたのである。地に足のついた有機的なつながりを想像界にもてていない。ひらたくいうなら本を読んでいないにちがいなかった。お金、お金、お金の亡者の小物にみえた。お金で楽寝をむさぼりたいのだろう。
 ふたたび店内に入った。今度は食料を買うためである。
 買いおえてでていく。ベンチには男ふたりが依然としてすわっている。このふたりに顔をむけることなく、すっすっと高架下のほうに遠ざかった。男のどちらも、後ろ姿のわたしに何もかかわってこなかった。

●ぶっ殺すぞ。高円寺トリアノン
663.2020年7/2 とある商店街において女24くらいが、道を横切ってむかってきた。わたしはもっと早く気づいて避けるべきであった。おそきに失した。この女の、あしき欲望に屈したも同然である。
 三叉路交差点は赤信号であった。そこから離れていき、車がとぎれるのを見計らって道をわたっていく。このとき横断歩道を前にして待ちつづけている男24?が、おろかにもわたしに顔をむけ、わたしの動きを目で追いかけていた。
 ぶっ殺すぞ。男72くらいがそういい、杖か棒きれを野球のバッターのようにかまえ、男24?白マスクに相対している。映画の撮影か。ちがう。横町にあるアパートの敷地内で猫が一匹、えさを食べている。どうやらえさやりが不当か正当かでやりあっているものらしかった。ぶっ殺す。こんな言葉がよくもまあでてくるものだ。刑余のじじいか。
 中野駅改札内南口側に洗面所がある。個室があまりにも汚れていたので、使用をあきらめた。男23?派遣社員ふうが、かがみこんで水をつかっている。でていくわたしに、この男はごほごほっと思いっきり口を鳴らした。またこんな男がいた。
 7/3 高円寺通りにケーキ店、トリアノンがある。その横を男73くらいが新聞をひろげて読みつつ歩いている。おそい。わたしはじれた。この男を追いぬいていこうとしているとき、むこうから男24?がきており、ちょうど三人が横一列にならぶ瞬間がうまれた。追いぬきざま、かつすれちがいざま、24くらいの、わたしをよけずにすすんできている男が、ううっと口を鳴らした。高卒男め。
 阿佐ヶ谷パールセンター、といってもすずらん通りのほうに惣菜店がある。男68くらいがわたしに体をなんとなくむけてテーブルの前に立った。買う気もないのにテーブル上の商品を見ている。人がいることに乗じた行為だ。またこんな男がいた。
 高円寺駅への商店街へ。ファミマのファミポートが目当てである。アマゾンで近代文学の文庫本を注文したかった。それは文学史にかならずでてくるもののいまとなってはほとんどだれも読まないだろうものだ。その道のニューヨーク生まれの専門家、立川の近代文学館館長、ロバート・キャンベルは読んだらしい。
 細い道のむこうから女23がきている。小雨のなか傘で顔をかくしている。
――顔をかくす。顔をかくす。
 わたしはいってやった。
 ファミマをでて商店街を歩く。ううっ。うしろから口中音をひっかけられた。歩くのをやめた。きた道をもどっていく。男23くらいがわたしを無視しつつ歩いてくる。この男が不逞のやからにちがいなかった。

●公衆電話からでると。ウォルト・ホイットマン
662.2019年12/24火曜 高円寺駅南口にロータリーがあり、その縁に公衆電話ボックスがある。そこからでると、むこうから男がきていた。39くらい、スーツ姿。この男がごほごほっと口中音をたてた。わたしがひかえめにやりかえすと、この男はごほごほっとまたやった。片手を青系スーツのズボンのポケットにつっこんだまま歩いていく。演技だと見破られていることを何とも思わないにちがいなかった。
 そいつは次のウォルト・ホイットマンの詩句を知らないのだろう。
 君と私のために、詭計と外被とを打破するその人は何処にいるのだろう。・・・・・・君が通りすがりに、未知の人に愛されるということが、どんなものか、君は知っているか。(『草の葉』)

●ある宣言。
661.2020年12/24 曲がっている道のむこうから男24くらいがきているとわかった。
 ごほごほっ。
 男はけたたましく口を鳴らした。高卒無宗教宣言である。おまけにわたしとすれちがうとき、道で立ちどまっていた。何かのカモフラージュか。人のようすをこうまでして見たかったのか。
 靴屋の店員?弱いから吠えるのは犬にそっくりだ。存在力の弱さをいちいちおもてにだしている。心的鍛錬を日夜まったくしていないにちがいない。人に苦味酸味をあたえ、それでこうして文章が書かれるという事理がわかるはずもなさそうだった。
 心の住居は塵塚にでもあるのだろう。塵まみれであることに気づかず、だれかがどこかで書いたようにそういうものを東天からさしのぼる暁光で洗いきよめようなどとは一毫も思わないのだろう。

●女ふたり。ファミマ高円寺パル商店街店。
660.2020年12/5 18くらいの女が店内にいた。商品を手にとるそぶりをまったくみせていない。何のためにいるのか。わたしが奥のほうへいったときにはわたしを追いかけるようにし、体をわたしにむけ、仁王立ちのように立っていた。こうしてわたしの形貌を目にいれていた。女子高生なら就職組の馬鹿女である。

 レジ清算中のことだ。

 ごほっ。

 女が口を鳴らした。顔をむけてやると右手すぐのところに女がいた。50くらい。例によって瞬きを忘れたような目をし、揚げ物のならぶケースを食いいるようなさまで見ている。顔全体をガラスに近づけるとともに、その目顔をわたしの目にみせてまったく恥じることがない。

 レジはひとつしかあいていなかった。店員女性はアジア系?外国人である。この人はわたしが買おうとする商品を、わたしのもってきたレジ袋に入れようとしなかった。商品をひとつひとつこちらのほうに寄せてならべたのである。それでわたしが一個一個詰めることになり、時間をとられた。

 その女は順番待ちの所定のところから揚げ物ケースの前にまででてきて品定めをして、高卒よろしく早くやれとの謂でごほっと口を鳴らしたのである。またこんな人を食った女がいた。

 カードの残高不足により清算できない。このやりとりにも時間をとられた。わたしは口鳴らし女を見てやった。その目はまるで出目金のそれのようにみえた。自分がよければそれでいい。この感覚だけをそなえていよう。

 このときあの18くらいの女が棚と棚のあいだの通路にいるのがみえた。いまだ店内にいる。わたしのようすを横目で見ていた。

 23時25分。まさに怒りの余燼がくすぶっている。もらったレシートで店名をたしかめた。ファミマ高円寺パル商店街店とある。こんな店に入ったのがまちがいであった。もう二度といかない。